米寿の年に建てられた家
旧金子堅太郎葉山別邸米寿荘は、神奈川県三浦郡葉山町一色にある昭和15年(1940年)頃建築の木造2階建住宅で、令和3年(2021年)2月4日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。同じ斜面に建つ先行の別邸、恩賜松荘のすぐ隣にあたる。
名称が年代を示している。米寿は数え88歳の祝いで、「米」の字を八十八と読み分けたことによる。金子堅太郎の生年は嘉永6年(1853年)2月。数えで88となるのが昭和15年である。金子自身の揮毫による「米寿荘」の扁額が残り、葉山町教育委員会はこれを建築年代の主要な根拠としている。
後妻のための住まいとして建てられた。金子が最後に構えた家であり、その2年後、89歳で世を去った。
一階は民家、二階は数寄屋
建築面積169平方メートル、入母屋造桟瓦葺の2階建。玄関から入ると一階は田の字形の四間取で、奥に食堂を別棟として接続する。二階にも四室を配する。
この建物の要点は、上下二層の意匠が正面から対立していることにある。
一階は民家である。用いられた部材は京都の民家から運ばれたと伝わり、平面も別荘の作法ではなく民家の四間取りを踏襲する。梁組を露出させた上に天井を張り、開口部には指鴨居が太く通り、建具も骨太に造られている。避暑の家に必要な仕様ではない。ただし粗野ではない。四室はそれぞれ意匠を少しずつ違え、素朴な平面を落ち着いた上質の空間に転じている。
階段を上がると語彙が入れ替わる。二階は銘木を用いた数寄屋風の造作で、部材の寸法が細く軽い。この対比こそ登録の評価が名指しした点である。
さらに、二階の部材は近隣にあった小倉房蔵別荘から譲られたものと伝えられる。他家の建物を組み合わせて成り立った住宅であり、しかも二層は初めから揃える意図で造られていない。
なぜ元勲が農家の家に住んだのか
古い民家を解体して建て直す手法は、大正末から昭和初期にかけて富裕層の間で流行した。背景のひとつは民藝運動で、無名の職人の仕事や庶民の住居に、作家の制作が失った実直さを見出す考え方が広がっていた。もうひとつは技術的な事情である。継手と仕口で組まれた木造軸組は、釘打ちの構造と違って解体と再建に耐える。
金子の身近にも実例があった。隣接する團琢磨の葉山別邸には、小田原近郊の入生田から移した民家があり、数寄屋を得意とした仰木魯堂の手が入っていたとされる。團は金子と同じ福岡藩の出身で、同時期に米国へ学び、のちに義弟となった。昭和7年(1932年)に凶弾に倒れるまで交友は続いた。葉山町の解説は、米寿荘の民家風意匠が團別邸から大きな影響を受けた可能性を指摘している。
そう読めば、この建物は珍奇な趣向ではなく嗜好の記録になる。憲法草案を起草し、二つの省を預かり、米国大統領に自国の立場を説いた人物が、晩年を農家の造りの家で送り、その頭上に茶室の意匠を置いた。
登録の内容
登録番号は14-0290、第97回登録。登録告示・登録は令和3年2月4日で、恩賜松荘と同日である。適用された基準は「造形の規範となっているもの」。
登録有形文化財は指定文化財と制度が異なる。平成8年(1996年)に発足した登録制度は、築後おおむね50年を経た建造物を対象に、大きな改変の際に届出を求める緩やかな保護を行うもので、所有者は建物を使い続けられる。重要文化財の「指定」に伴う強い規制とは別の仕組みである。米寿荘は登録の物件である。
なお、文化庁の解説は本建物を恩賜松荘の東に建つとし、葉山町の解説は恩賜松荘の北側に建てたと記す。二棟は同じ斜面の至近距離にあり、物件の同定に揺れはないが、両方の資料を読む場合は留意されたい。
評価の柱は二つある。葉山および湘南一帯の別荘史における位置づけと、対照的な二層の意匠が昭和前期という時代の嗜好を反映している点である。登録に際して、恩賜松荘の所有者は、所有者が替わっても建物をこの地に残す意思を引き継いでもらえるのではないかと地元紙に語っている。
周辺を歩く
一般公開はしていない。葉山町も明記している。拝観時間や拝観料の設定はなく、内部にも敷地にも立ち入れない。所有は民間法人で、樹木に囲まれた私有地である。敷地内での撮影も控えるべきである。
周囲の公共空間は歩く価値がある。葉山しおさい公園は旧御用邸付属邸の跡地で、大正8年に金子が明け渡した土地にあたる。付属邸の車寄せがしおさい博物館の玄関として残る。神奈川県立近代美術館葉山館は一色2208-1、屋外の彫刻は無料で見られ、海に向いたレストランがある。山口蓬春記念館は一色2320で、金子邸の区画とほとんど接している。日本画家の住居兼画室であり、同時期の葉山の別荘建築を内側から知る手がかりになる。
背後には三ヶ岡が控え、短い散策路が尾根まで通じている。相模湾から江の島を望み、冬の晴れた朝には富士山が見える。
交通はバス。JR横須賀線逗子駅東口3番のりば、または京急逗子・葉山駅南口2番のりばから京浜急行バス逗11・逗12系統(海岸回り)で「三ヶ丘・神奈川県立近代美術館前」下車、所要15〜20分。夏季の休日は渋滞で延びる。海岸沿いの葉山御用邸は撮影が禁じられており、門前でカメラを構えた段階で制止される。
Q&A
- 旧金子堅太郎葉山別邸米寿荘は見学できますか?
- できません。葉山町は一般公開していない旨を明記しています。民間法人の所有で、拝観時間・拝観料の設定はなく、内部にも敷地にも立ち入れません。周辺は住宅地の生活道路ですので、通行の際はご配慮ください。
- 旧金子堅太郎葉山別邸米寿荘の「米寿荘」という名の由来と建築年代は?
- 米寿は数え88歳の祝いで、「米」の字を八十八と分解した呼び名です。嘉永6年(1853年)生まれの金子堅太郎が数え88歳となるのが昭和15年(1940年)で、文化庁データベースの建築年代「昭和15年頃」と一致します。金子揮毫の扁額が残ることも根拠とされます。昭和25年頃に増築、平成18年に改修されました。
- 旧金子堅太郎葉山別邸米寿荘の見どころはどこですか?
- 一階と二階で意匠が正反対である点です。一階は民家の四間取りを踏襲し、梁組を露出させ、指鴨居や骨太の建具を用いた農家風。部材は京都の民家から運ばれたと伝わります。二階は銘木を用いた数寄屋風で、近隣の小倉房蔵別荘の部材を転用したと伝えられます。この対比が登録評価の中心です。
- 旧金子堅太郎葉山別邸米寿荘と恩賜松荘はどういう関係ですか?
- 同じ金子堅太郎の葉山別邸を構成する二棟で、隣り合って建ち、令和3年2月4日に同時登録されました。恩賜松荘は大正11年頃の木造平家建で、御用邸付属邸の用地買収を受けて海寄りから移った建物。米寿荘は昭和15年頃、後妻のために増設された木造2階建です。
- 旧金子堅太郎葉山別邸米寿荘のある一色地区へのアクセスは?
- JR横須賀線逗子駅、または京急逗子・葉山駅から京浜急行バス逗11・逗12系統(海岸回り)で15〜20分、「三ヶ丘・神奈川県立近代美術館前」下車です。神奈川県立近代美術館葉山館、葉山しおさい公園、山口蓬春記念館はいずれもバス停から徒歩圏にあります。
基本情報
| 名称 | 旧金子堅太郎葉山別邸米寿荘(きゅうかねこけんたろうはやまべっていべいじゅそう) |
|---|---|
| 所在地 | 神奈川県三浦郡葉山町一色字三ケ岡2311-6 |
| 指定区分 | 国登録有形文化財(建造物)/登録番号 14-0290/登録基準「造形の規範となっているもの」 |
| 指定年 | 令和3年(2021年)2月4日登録(第97回登録) |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 木造2階建、瓦葺、建築面積169平方メートル/昭和15年頃建築、昭和25年頃増築、平成18年改修 |
| 所有者 | 有限会社上田義彦写真事務所(営利法人/文化庁データベース記載) |
| 公開状況 | 非公開(一般公開なし、内部・敷地とも立入不可) |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース — 旧金子堅太郎葉山別邸米寿荘
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00013517
- 葉山町 — 登録文化財 旧金子堅太郎葉山別邸米寿荘
- https://www.town.hayama.lg.jp/soshiki/shougaigakushuu/7/1/11856.html
- 文化遺産オンライン — 旧金子堅太郎葉山別邸米寿荘
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/541161
- 逗子葉山経済新聞 — 葉山町の旧金子堅太郎葉山別邸、国登録有形文化財に
- https://zushi-hayama.keizai.biz/headline/359/
- 葉山町 — 登録文化財 旧金子堅太郎葉山別邸恩賜松荘
- https://www.town.hayama.lg.jp/soshiki/shougaigakushuu/7/1/11855.html
最終更新日: 2026.08.13