倒れて、また立ち上がった石鳥居

網野神社の境内南辺、その中央に石造の鳥居が立ち、そこから本殿へ向かう参道が北へ延びる。明治14年(1881年)の建立で、上部の笠木・島木が端で緩やかに反り上がる明神型の鳥居である。高さおよそ5.5メートル、幅4.4メートル。堂々とした石造物で、網野の町と、その先の神域とを分ける境目を示している。

この鳥居は、はじめから今の場所にあったわけではない。網野神社が大正11年(1922年)に新しい本殿を建て、成長する町の中心に向けて参道を南向きに改めたとき、新しい軸線に合わせて鳥居も現在地へ移された。網野神社は10世紀の延喜式に載る古社だが、参拝者が今日目にする鳥居・参道・社殿が一直線に並ぶ配置は、20世紀初頭に整えられたものである。

昭和2年の地震と、昭和4年の復旧

石は重く、もろい。鳥居はその継ぎ目に弱さを抱える。昭和2年(1927年)3月7日、北丹後地震が網野の近くを襲い、この石鳥居は倒壊した。二年後の昭和4年(1929年)、鳥居は再び起こされ、元の姿に組み直された。国の登録データベースは、大正後期の移築と昭和4年の改修を同じ項目に記しており、この鳥居のささやかな来歴は公式の記録に書き込まれている。

鳥居は平成21年(2009年)、社の8棟の一つとして登録有形文化財となった。登録は国土の歴史的景観に寄与する建造物を重んじる制度であり、参道を画し、大きな地震を経て丁寧に復旧された鳥居は、その趣旨によく適う。

鳥居で気づきたいこと

組み方に目を向けたい。低い亀腹の上に、円柱がわずかに内へ傾いて立つ。大工が内転びと呼ぶこのささやかな傾きが、全体に落ち着いた安定した姿を与えている。円柱の径はおよそ0.46メートル。柱は貫で横に固められ、その上に島木、さらに反り増しのある笠木が載る。比例は目新しさではなく古い伝統に従っており、その結果は静かに確かである。

この下をくぐるのが、参拝を始める自然なかたちだ。ここからの道は手水舎へ、そして社殿へと真っすぐに続く。境内は誰にでも無料で開かれており、鳥居は町側から見ると、背後の境内の木立を背景に映える。

Q&A

Q石鳥居はどれくらい古いのですか。
A明治14年(1881年)の建立です。大正11年頃に現在地へ移され、昭和2年の地震のあと昭和4年に復旧されました。
Q明神型の鳥居とは何ですか。
A上部の笠木・島木が端で反り上がる、広く見られる鳥居の形式です。この鳥居もその伝統的な姿に従っています。
Q本当に地震で倒れたのですか。
Aはい。昭和2年の北丹後地震で倒壊し、昭和4年に元の姿へ起こし直されました。
Q大きさはどれくらいですか。
A高さ約5.5メートル、幅約4.4メートル。石造で、円柱の径はおよそ0.46メートルです。

基本情報

名称網野神社石鳥居(あみのじんじゃいしとりい)
所在地京都府京丹後市網野町網野789-1他
指定区分登録有形文化財(平成21年8月25日登録、登録番号26-0341)
員数1基
構造及び形式石造、明神型鳥居、高さ5.5メートル、幅4.4メートル
年代明治14年(1881年)/大正後期移築・昭和4年改修
所有者宗教法人網野神社
参拝境内自由・無料。網野駅から徒歩約30分

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース — 網野神社石鳥居
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00007762
京丹後歴史文化めぐりマップ — 網野神社
https://kyotango-rekishibunka.jp/spot/165
京丹後市観光公社 京丹後ナビ — 網野神社
https://www.kyotango.gr.jp/sightseeing/698/

最終更新日: 2026.07.03