蠶織神社 天明2年の旧本殿が絹の守り神へ

網野神社の境内、東寄りに西を向いて建つ、檜皮を重ね葺いた小さな社殿がある。8棟の登録建造物のなかで、檜皮葺はこの一棟だけだ。蠶織(こおり)神社の本殿であり、境内で群を抜いて古い、天明2年(1782年)の建築である。以後一世紀あまり、この社殿は網野神社そのものの本殿を務めた。大正11年(1922年)に新しい本殿がその役を引き継ぐと、古い建物は取り壊されず、第二の生を与えられた。

大正13年(1924年)に檜皮で葺き替えられ、翌年、織物と養蚕の神を祀る蠶織神社として改めて奉斎された。蚕と織の字を当てたこの社名は、大正天皇の皇后・貞明皇后の命名による。皇室との縁は隠されていない。社紋は菊と桐を組み合わせ、その両方が社殿の棟にあしらわれている。

この建物の価値

蠶織神社は平成21年(2009年)、8棟の一群として登録有形文化財となったが、建築としては周囲からいくぶん際立っている。本殿や拝殿が大正期のものであるのに対し、この社殿は18世紀後半の華やかな彫刻趣味を帯びる。三方に縁をめぐらす一間社流造で、柱や頭貫の上部には龍、鳳凰、唐獅子、飛竜、象鼻の彫刻が張り出す。

この彫刻こそ、訪れる理由である。大正11年の本殿が古式を抑制して引くのに対し、天明2年の社殿は装飾を存分に楽しんでいる。同じ境内で両者を見比べると、140年のあいだに神社の意匠感覚がどう移ったかがよくわかる。祭神の由緒も一様ではない。織物の神は京都紫野の今宮神社から、養蚕の神は皇居紅葉山の養蚕神から、それぞれ分霊して勧請された。

絹と祭り、そして丹後の回廊

この社殿は展示品ではない。蠶織神社は、丹後の縮緬産業の隆盛を祈って昭和26年(1951年)に始まったちりめん祭の象徴となり、今も毎年4月、織物業と養蚕業に携わる人々が集まって感謝の神事を営み、丹後ちりめんの反物を奉納する。網野神社は、この海辺で三百年続く縮緬織りの歩みをたどる日本遺産「300年を紡ぐ絹が織り成す丹後ちりめん回廊」の構成文化財に含まれている。

4月に訪れる人には、ちいさな楽しみがある。祭りで授けられるおみくじは、前年に奉納された丹後ちりめんの反物で仕立てたお守り袋に納められている。境内はどの季節も自由に参拝でき、彫刻の密度が高い正面から社殿を眺めるとよい。

Q&A

Q蠶織神社の社殿はどれくらい古いのですか。
A天明2年(1782年)の建築で、8棟の登録建造物のなかで最も古い建物です。大正11年以前は、網野神社の本殿でした。
Q「蠶織」という名前の意味は。
A蚕と織の字を当てています。大正14年(1925年)に織物と養蚕の神を祀る社として改められた際、大正天皇の皇后・貞明皇后が名付けました。
Qなぜ菊と桐の社紋なのですか。
A皇室との縁を表しています。社名が皇后の命名によること、養蚕の神が皇居内の社から分霊されたことによります。
Q訪れるのに良い時期はありますか。
A4月中旬です。ちりめん祭で絹産業への感謝の神事が行われ、丹後ちりめんが奉納されます。境内は通年無料で開かれています。

基本情報

名称網野神社境内社蠶織神社本殿(あみのじんじゃけいだいしゃこおりじんじゃほんでん)
所在地京都府京丹後市網野町網野789-1他
指定区分登録有形文化財(平成21年8月25日登録、登録番号26-0339)
員数1棟
構造及び形式木造、一間社流造、檜皮葺、建築面積約7.6平方メートル
年代天明2年(1782年)/大正13年・昭和38年改修
所有者宗教法人網野神社
参拝境内自由・無料。網野駅から徒歩約30分

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース — 網野神社境内社蠶織神社本殿
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00007760
京丹後市 文化財保護 — 網野神社
https://www.city.kyotango.lg.jp/top/soshiki/kyoikuiinkai/bunkazaihogo/3/1/2/3309.html
海の京都観光圏 — 網野神社、蠶織神社
https://uminokyoto.jp/spot/detail.php?sid=340

最終更新日: 2026.07.03