昭和2年の地震から再建された網野神社拝殿
網野神社の登録有形文化財8棟のうち、最も大きいのが拝殿である。建築面積はおよそ63平方メートル。本殿のすぐ南に建つ横広の建物で、参道を進んできた参拝者が最初に向き合うのがこの拝殿となる。桁行三間、梁間二間、四周に高欄付切目縁をめぐらし、入母屋造の屋根は正面に千鳥破風と、ふくらみのある唐破風をいただく。
その年代には、ちょっとした謎がある。国の登録データベースは時代を「大正」とするが、記録された年代は昭和4年である。どちらも正しい。最初の拝殿は大正11年(1922年)に本殿とともに建てられたが、昭和2年(1927年)3月7日の北丹後地震で倒壊した。今日見られる建物は、昭和4年(1929年)に旧規を踏まえて再建されたものである。
地震と再建
昭和2年の地震は、近代の丹後半島を襲った災害のなかでも被害の大きなもので、網野神社は震源域の近くにあった。大正11年建立の本殿は残ったが、拝殿は倒れてしまう。二年後の再建にあたったのは、当初から社殿を手がけた同じ顔ぶれで、設計は岸熊吉、大工の統率は長岡虎造。再建された拝殿は、大正11年の造営からの断絶ではなく、その続きとして読み取れる。
平成21年(2009年)の登録は、この拝殿を含む8棟をひとまとまりの歴史的建造物群として扱っている。本殿だけでなく群全体をまとめて登録したことで、鳥居、手水、拝殿、渡廊、本殿へと参拝者が進んでいく境内の空間の筋道が保たれている。
立ち止まって見たい細部
正面を見上げると、二つの破風が重なる。とがった千鳥破風が、ゆるやかに湾曲した唐破風の上に載り、この組み合わせが拝殿に儀礼的とも言える端正な顔つきを与えている。縁の端まで進むと、視線は内部へ引き込まれる。天井は折上小組の格天井。柱間には大きく広がる蟇股が渡され、左右対称の唐草模様が彫り込まれている。
側まわりは蔀で閉じられ、正午でも内部は薄暗く涼しい。境内は無料で開かれており、外観はゆっくり観察できる。内部への立ち入りは神社の判断により、通常の見学の範囲には含まれない。参拝者はこの拝殿に立ち、その奥の本殿に祭神が鎮まる。
Q&A
- なぜ記録に二つの年代があるのですか。
- 最初の拝殿は大正11年(1922年)の建立ですが、昭和2年の北丹後地震で倒壊しました。現在の建物は昭和4年(1929年)の再建で、大正の起源と昭和4年の年代が両方記録されています。
- 拝殿とはどのような建物ですか。
- 参拝者が祈りを捧げる建物です。祭神を祀る本殿の前に建ち、ここでは両者が短い渡廊で結ばれています。
- 正面の破風は何ですか。
- とがった千鳥破風の下に、湾曲した唐破風があります。格式ある拝殿によく見られる取り合わせで、堂々とした正面をつくります。
- 格天井は見られますか。
- 参拝時に縁の線から折上小組格天井の一部をうかがうことができます。ただし内部そのものは通常公開されていません。
基本情報
| 名称 | 網野神社拝殿(あみのじんじゃはいでん) |
|---|---|
| 所在地 | 京都府京丹後市網野町網野789-1他 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(平成21年8月25日登録、登録番号26-0335) |
| 員数 | 1棟 |
| 構造及び形式 | 木造平屋建、入母屋造(正面千鳥破風・唐破風付)、金属板葺、建築面積約63平方メートル |
| 年代 | 昭和4年(1929年)。大正11年建立の旧拝殿が昭和2年の地震で倒壊し再建/平成20年改修 |
| 所有者 | 宗教法人網野神社 |
| 参拝 | 境内自由・無料(内部は通常非公開)。網野駅から徒歩約30分 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース — 網野神社拝殿
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00007756
- 京丹後歴史文化めぐりマップ — 網野神社
- https://kyotango-rekishibunka.jp/spot/165
- 京丹後市観光公社 京丹後ナビ — 網野神社
- https://www.kyotango.gr.jp/sightseeing/698/
最終更新日: 2026.07.03