平安京の屋根を支えた窯
平成16年(2004年)、大山崎町のなだらかな丘陵地で宅地造成に先立つ発掘調査が行われた。掘り進めるうちに、斜面に切り込まれた粘土張りの穴が一列に現れた。穴のまわりには灰と割れた瓦が厚く積もっていた。大山崎町教育委員会の調査担当者は、これを瓦を焼くための窯と判断した。調査からわずか1年あまり後の平成18年(2006年)1月26日、この一帯は国の史跡に指定される。その後も調査は続き、確認された窯の数は現在12基にのぼる。
大山崎瓦窯跡は、京都府の南西端、乙訓郡大山崎町に位置する。時代は平安時代前期、8世紀から9世紀にかけて。ここは官営、すなわち国が運営した瓦の生産施設だった。延暦13年(794年)に開かれた新しい都・平安京と、その中心である平安宮の屋根を葺くための瓦が、この窯で焼かれた。
瓦窯がなぜ国史跡になったのか
更地から都を築くには、数十万枚の単位で瓦が必要になる。一つの窯で賄える量ではないため、瓦の生産は平安京周辺の各地に分散して行われた。大山崎瓦窯もそうした官営窯の一つで、その立地には意味があった。ここは陸運と水運が交わる要衝にあたる。焼き上がった瓦は約300メートルほど運ばれて川岸で船に積まれ、淀川と桂川をさかのぼって都の造営現場へと届けられたと考えられている。
この遺跡を単なる生産地以上のものにしているのは、瓦の行き先と仕事の進め方を物的に語る証拠が残っている点である。ここで出土した軒瓦は、平安宮の中枢である朝堂院をはじめ、嵯峨院、河陽離宮といった建物に供給されたことが確認されている。名のある宮殿建築とこれほど直接に結びつけられる窯跡は多くない。
大山崎の瓦を西賀茂瓦窯や吉志部瓦窯(現在の大阪府吹田市)の瓦と比べると、もう一つの事実が見えてくる。瓦の文様を付けるための型、すなわち笵が、これらの窯のあいだで共有されていたのである。笵と、それを扱う工人が官営窯のあいだを移動していたことがうかがえる。一方で、大山崎瓦窯にしか見られない独自の笵で作られた瓦も出土しており、これは平安時代前期の瓦供給体制について新たな知見を加える発見となった。
地面が語るもの
12基の窯は、焚口がどの方向を向くかによって二つの群に分かれる。南へ開口するものが5基、東へ開口するものが7基。東向きの一群はさらに南側5基と北側2基に分かれる。この配置の背後にある計画性は驚くほど明瞭だ。5基が一単位をなす場合、焚口は一直線にそろえて並び、約6メートル間隔で配置され、窯そのものもほぼ同じ形と大きさに造られていた。少しずつ増えていった作業場ではない。最初から設計されたものである。
各窯の基本構造は共通している。薪を燃やす燃焼室、瓦を積んで焼く焼成室、そして焚口の前に設けられた平らな作業場としての前庭部。その前庭部の縁には灰原が広がっていた。度重なる焼成で出た灰に、ひび割れたり歪んだりして捨てられた瓦が混じった堆積である。考古学者にとって、こうした失敗品の捨て場はありがたい資料となる。成功品と同じくらい明瞭に、笵や粘土、焼成温度の手がかりを教えてくれるからだ。
窯が生み出したのは一種類の瓦ではなく、屋根を構成する部材一式だった。発掘では、屋根の軒先を飾る軒丸瓦と軒平瓦に加え、広い平瓦、湾曲した熨斗瓦、棟の端を飾る鬼瓦が出土している。あわせて見れば、新しい都が求めた格式ある瓦葺き建築のための、ひとそろいの部材構成になっている。
史跡を訪ねる
発掘された窯そのものは、現在は埋め戻されている。土でできた遺構は露出するとすぐに傷むため、これは標準的な保存方法である。つまり訪問者が目にするのは粘土の構造物の実物ではない。その代わり、史跡大山崎瓦窯跡公園では、窯の位置と輪郭を陶板や植栽で地上に表示し、一基は実物大で示して規模が体感できるようにしている。要所には説明板が立つ。
訪れる楽しみの一つは眺望にある。公園は高台にあり、展望広場に立つと京都盆地の南半分が眼下に開ける。淀川流域が広がり、比叡山から生駒山へと連なる山並みが見渡せる。ここに立つと、この場所の理屈が体で分かる。瓦を運んだ川が視界に入り、都のあった方角もまた目の前にあるからだ。
公園は無料で毎日開放されているが、閉園時刻は季節によって変わる。半日かける場所というより、歩いてまわれる小ぶりな史跡で、大山崎に集まる他の見どころと自然に組み合わせられる。
大山崎の周辺
大山崎は小さな町でありながら、歴史の密度が際立って高い。町のすぐ上にそびえるのが天王山である。その名は決戦の代名詞となった。天正10年(1582年)、織田信長の死の数日後、豊臣秀吉の軍勢が明智光秀をこの地で破った山崎の戦いの舞台である。展望地点を通る登山道が山を登っていく。
天王山の麓には妙喜庵が建つ。茶人・千利休の作と伝わり、国宝に指定された茶室・待庵を擁する寺である。近くには、20世紀初頭の山荘を活かし、後に建築家・安藤忠雄設計の展示棟を加えたアサヒグループ大山崎山荘美術館があり、反対方向へ少し歩けば、日本最初のモルトウイスキー蒸溜所であるサントリー山崎蒸溜所がある。大山崎町歴史資料館は、瓦窯を含めこれらすべての背景を知るのに役立つ。二つの駅が近いため、いくつかを組み合わせた一日の散策も無理なく組み立てられる。
Q&A
- 本物の窯を見ることはできますか。
- いいえ。発掘された窯は保護のため埋め戻されています。土でできた遺構では一般的な措置です。公園では窯の位置と形を陶板や植栽で表示し、一基は実物大で見られるようにしています。
- どうやって行けばよいですか。
- JR山崎駅、阪急大山崎駅のいずれからも徒歩約8分です。公園内に駐車場はないため、公共交通機関の利用をおすすめします。
- 入園料は必要ですか。
- 不要です。無料で毎日開放されています。閉園時刻は季節により異なり、冬季の17時から盛夏の19時までの幅があります。開園は通年8時です。
- 見学にはどのくらい時間がかかりますか。
- 30分から1時間あれば、史跡を歩き、説明板を読み、展望広場からの眺めを楽しむのに十分です。大山崎を一日かけてめぐる際の一か所として組み込みやすい場所です。
- 周辺に見どころはありますか。
- 天王山とその登山道、国宝の茶室を擁する妙喜庵、アサヒグループ大山崎山荘美術館、サントリー山崎蒸溜所、大山崎町歴史資料館などが、いずれも町内またはその近くにあります。
基本情報
| 名称 | 大山崎瓦窯跡(おおやまざきかわらがまあと) |
|---|---|
| 所在地 | 京都府乙訓郡大山崎町大山崎 |
| 指定区分 | 国史跡(平成18年〈2006年〉1月26日指定、平成22年〈2010年〉8月5日・平成26年〈2014年〉10月6日追加指定) |
| 時代 | 平安時代前期(8〜9世紀) |
| 確認された窯 | 12基。南へ開口する群と東へ開口する群の二群に分かれる |
| 生産された瓦 | 軒丸瓦・軒平瓦・平瓦・熨斗瓦・鬼瓦。平安宮朝堂院、嵯峨院、河陽離宮などに供給 |
| 公園へのアクセス | JR山崎駅または阪急大山崎駅から徒歩約8分。公園内に駐車場なし |
| 開園時間 | 毎日開園。3〜5月・9月 8:00〜18:00/6〜8月 8:00〜19:00/10〜2月 8:00〜17:00 |
| 入園料 | 無料 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース「大山崎瓦窯跡」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/00003471
- 文化遺産オンライン(文化庁)「大山崎瓦窯跡」
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/164651
- 大山崎町「史跡大山崎瓦窯跡公園のご利用について」
- http://www.town.oyamazaki.kyoto.jp/annai/kyoikuiinkai/bunkageijutsukakari/5281.html
- 京都府観光連盟「史跡 大山崎瓦窯跡公園」
- https://www.kyoto-kankou.or.jp/info_search/9729
最終更新日: 2026.05.22