明合古墳 ― 安濃川を見おろす台地上の大型方墳

三重県津市安濃町田端上野、安濃川の右岸に張り出した標高約四十メートルの台地に、一辺およそ六十メートル、高さ約十メートルの墳丘が築かれている。明合古墳である。五世紀前半、古墳時代中期に造られた首長の墓と考えられている。

この古墳が他と一線を画すのは、その形にある。同じ時期の大型古墳の多くは、円い後円部と台形の前方部を結んだ前方後円墳の形をとった。明合古墳は方墳、すなわち四角い墳丘であり、しかも南北の二辺にそれぞれ方形の張り出しが設けられている。左右対称のこの姿は、全国を見渡しても例の少ないものである。

長らく古墳とは知られていなかったが、昭和二十四年(一九四九年)、津高等学校地歴部の生徒たちが台地上の高まりを古墳と見抜いたことで、その存在が明らかになった。三年後の昭和二十七年、国の史跡に指定されている。

安濃川流域を治めた首長の墓

古墳が築かれた台地は、経ヶ峰から東へ延びる尾根の先端にあたる。墳頂に立つと、千年以上にわたって稲作が営まれてきた安濃川の谷が一望できる。

昭和二十四年の発見ののち、現地には梅原末治、斎藤忠ら、当時の考古学を代表する研究者が足を運んだ。調査によって墳丘の規模と形状が確かめられ、昭和二十七年十月十一日、国の史跡指定に至った。

埋葬施設の発掘調査は行われておらず、葬られた人物も、副葬された品々も、正確な築造年代も分かっていない。それでも墳丘の表面から読み取れることは少なくない。五世紀前半、これは安濃川流域で最大の古墳であった。そして、これに匹敵する規模と形をもつ古墳は、その後の三重県域では二度と築かれなかった。地域における勢力の盛衰を考えるとき、明合古墳は動かしがたい基準点となっている。

日本の古墳のなかでも稀な墳形

四角い墳丘をもつ方墳は、この時代を代表する前方後円墳に比べてはるかに数が少ない。明合古墳はその方墳のなかでも大型で、墳丘規模は全国第十位にあたる。南北の造出を含めた全長は八十一メートルに及ぶ。

この張り出しゆえに、古墳には「双方中方墳(そうほうちゅうほうふん)」という呼び名も与えられてきた。かつての研究者は、中央の墳丘と二つの張り出しが一体の形を成しているのではないか、前方後円墳の一種に近いのではないかと考えた。現在では、方墳の前後に「造出(つくりだし)」と呼ばれる張り出しを付した形、とする解釈が一般的である。造出は埋葬の場そのものではなく、葬送の儀礼が営まれた壇であったとみられている。

昭和二十七年の史跡指定は、二つの点に支えられている。完好な方形の墳丘であること、そして相対する二辺に方形の造出を備える点が、わが国の古墳のなかできわめて特殊であること。この二つが、地域の支配者がいかに自らを記念しようとしたかを示す貴重な遺構として、この古墳を位置づけている。

墳丘を歩く

主墳は二段に築かれている。下段は一辺の下辺が約六十メートル、上辺が約四十八メートルで、高さは二メートルほど。その上に高さ六〜七メートルの上段が重なり、全体で約十メートルとなる。今日では草に覆われた斜面を短く登るだけだが、それでも周囲の田畑から十分に見晴らしがきく高さに達する。

二つの造出は規模がやや異なる。北の造出は長さ約十メートル、幅約十七メートル。南はそれより大きく、長さ約十三メートル、幅二十一メートルほどを測る。いずれの壇上に立っても、人々が集い、供物が並べられた場であったことが想像される。

築かれた当初の姿は、現在の緑の丘とは大きく違っていた。斜面は拳大の石を敷きつめた葺石(ふきいし)で覆われ、テラスの縁には円筒埴輪の列がめぐっていた。墳丘の表面からは、家・盾・蓋(きぬがさ)をかたどった形象埴輪のほか、朝鮮半島から伝わって間もない硬質の須恵器の器台が採集されている。墳丘の裾には浅い濠がめぐっていたとみられ、その痕跡は今も地表に読み取れる。

明合古墳は単独で築かれたのではない。周囲には五基の小型方墳が配され、中心人物に従う立場の者の墓、すなわち陪塚(ばいちょう)と考えられている。最もよく残るのは一辺二十二メートルの墳丘で、地元で「小塚(こづか)」と呼ばれ、葺石と円筒埴輪列を今もとどめている。かつてはもう一基あったが、昭和三十年頃の開墾によって失われた。

歴史公園としての明合古墳

古墳とその陪塚は、現在は明合古墳歴史公園として整備されている。入場門も決まった開園時間もなく、訪れた人は主墳や造出の上を自由に歩くことができる。この格の古墳としては珍しい開かれ方である。園内には桜が植えられ、四月の初めには墳丘が静かな花見の場となる。

現地に展示施設はないため、訪れる前に基本的な情報を押さえておくとよい。古墳群から出土した埴輪や土器は、安濃地区の郷土資料の収蔵先で公開されてきたが、近年その場所が移転している。見学を考える場合は、津市の観光案内窓口で現在の所在を確かめておくと安心である。雨上がりは斜面が滑りやすいので、歩きやすい靴をすすめたい。

周辺の見どころ

安濃の地は、ゆっくりと時間をかけて巡りたい。古墳から程近い安濃中央総合公園には広い芝生と散策路があり、見学のあとのひと休みに向く。県庁所在地である津市には、浄土真宗高田派の本山で国宝の御影堂・如来堂を擁する専修寺、日本でも名の知られた観音霊場のひとつ津観音といった寺院がある。明合古墳とこれらのいずれかを組み合わせれば、五世紀から現代までを一日でたどる行程となる。

Q&A

Q墳丘に登ることはできますか。
A登れます。古墳は自由に入れる公園として整備されており、主墳と二つの造出の上を歩くことができます。日本の古墳の多くは柵で囲われているため、古墳時代の墓の規模を直接体感できる貴重な場所です。
Q見学にはどのくらい時間がかかりますか。
A主墳に登り、二つの造出を歩き、周囲の陪塚を見て回るなら、三十分から四十五分ほどが目安です。四月初めに桜を楽しみたい場合は、もう少し余裕をみておくとよいでしょう。
Q方墳とは何ですか。なぜ注目されるのですか。
A方墳は、この時代に多い前方後円墳とは異なり、四角い平面に築かれた古墳です。方墳は数が少なく、明合古墳はそのなかで全国第十位の規模にあたります。墳形そのものが研究上の関心を集めています。
Q誰の墓なのですか。
A埋葬施設の発掘調査は行われておらず、葬られた人物は分かっていません。墳丘の規模から、五世紀前半に安濃川流域を治めた有力な首長の墓と考えられています。
Q出土品を見ることはできますか。
A古墳群から採集された埴輪や土器は、安濃地区の郷土資料として公開されてきました。収蔵先は近年移転しているため、見学を計画する前に津市の観光案内窓口で現在の所在を確認することをおすすめします。

基本データ

名称明合古墳(あけあいこふん)
所在地三重県津市安濃町田端上野
指定区分国指定史跡(昭和二十七年〔一九五二年〕十月十一日指定)
時代古墳時代中期・五世紀前半
墳形南北二辺に造出を付した方墳。二段築成。
規模一辺約六十メートル、造出を含めた全長約八十一メートル、高さ約十メートル
関連遺構陪塚五基(いずれも方墳)、周濠
アクセス明合古墳歴史公園内。入場無料・開放。津市中心部から自動車、または路線バスを利用。

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/1522
明合古墳群(津市観光協会「津の時間。」)
https://tsukanko.jp/spot/s101/
明合古墳(ウィキペディア日本語版)
https://ja.wikipedia.org/wiki/明合古墳
東京事務所長日記(明合古墳群)/津市
https://www.tokyooffice.city.tsu.mie.jp/www/tokyo/sp/contents/1631670205574/index.html

最終更新日: 2026.05.23