今井家住宅(今井御小休本陣)米蔵とは

今井家住宅(今井御小休本陣)米蔵は、長野県岡谷市今井の屋敷で主屋の西北方に建つ寛政元年(1789年)の土蔵で、平成11年(1999年)10月14日に登録有形文化財(建造物)に登録された。

土蔵造の2階建、建築面積33平方メートル。文庫蔵の北に隣接して並び建ち、東正面に両開きの土扉を設ける。周囲の腰壁には雨除け板を備え、南の妻面の2階に窓を開く。屋根は切妻造の置き屋根形式で、鉄平石で葺く。

建築年代は祈祷札によって知られる。祈祷札は普請の際に棟木などに納められた札で、年月や願主が記されることが多い。文化庁の国指定文化財等データベースは年代欄に「寛政1」と記すが、西暦欄には1879年とあり、両者は一致しない。寛政元年は1789年、1879年は明治12年にあたる。時代欄が「江戸」であることから、本記事では寛政元年(1789年)を採った。

なぜ登録有形文化財になったのか

今井家住宅(今井御小休本陣)米蔵の登録基準は「再現することが容易でないもの」である。屋敷の11棟のうちこの基準によるのは3棟で、主屋と文庫蔵、そしてこの蔵が該当する。

名主を務めた家にとって、米を収める蔵は経営の中心にあたる施設だった。年貢の取りまとめや貸し付けを扱う立場にあれば、蔵の容量と防火性能はそのまま家の信用になる。寛政元年(1789年)という年代が札で裏づけられている点も、建物の価値を支えている。

見どころ

文庫蔵と並べて見るのがいちばん分かりやすい。今井家住宅(今井御小休本陣)米蔵と文庫蔵はどちらも建築面積33平方メートルの土蔵造2階建で、鉄平石の置き屋根まで共通する。ただし建てられた年は70年余り離れている。

違いは窓の位置に出る。文庫蔵が南妻の各階に窓を開くのに対し、こちらは南妻の2階だけに窓を設ける。1階に開口を作らない構成は、床いっぱいに俵を積むことを前提にした納め方といえる。

東側に並ぶ二つの土扉の列も見ておきたい。蔵の正面はどちらも主屋側を向いており、母屋から蔵へ、蔵から荷車へと動線が短く収まるように置かれている。

見学方法

今井家住宅(今井御小休本陣)米蔵は主屋の西北方、文庫蔵のさらに北に建つ。旧中山道から見ると主屋の奥にあたるため、道路上から見える部分は屋根まわりに限られる。

屋敷は個人の住居であり、内部も敷地も公開されていない。立ち入らず、道路から眺めることになる。撮影も道路から行いたい。見学の可否は岡谷市教育委員会生涯学習課の文化財担当に問い合わせられる。(2026年9月確認)

よくある質問

Q今井家住宅(今井御小休本陣)米蔵はいつ建てられましたか?
A寛政元年(1789年)です。普請の際に納められた祈祷札から建築年代が知られます。
Q今井家住宅(今井御小休本陣)米蔵と文庫蔵はどう違いますか?
Aどちらも建築面積33平方メートルの土蔵造2階建で鉄平石の置き屋根ですが、米蔵は南妻の2階だけに窓を設けます。建築年は70年余り離れています。
Q今井家住宅(今井御小休本陣)米蔵はなぜ登録有形文化財なのですか?
A「再現することが容易でないもの」を基準に、平成11年(1999年)10月14日に登録されました。年代が札で裏づけられている点も評価されています。
Q今井家住宅(今井御小休本陣)米蔵は道路から見えますか?
A主屋の西北方にあるため、旧中山道から見えるのは屋根まわりに限られます。
Q今井家住宅(今井御小休本陣)米蔵の屋根は何葺きですか?
A鉄平石です。切妻造の置き屋根形式で、壁体の上にもう一段屋根を架けています。

基本データ

名称今井家住宅(今井御小休本陣)米蔵
所在地長野県岡谷市今井1832
指定区分登録有形文化財(建造物)
指定年1999年10月14日登録
員数1棟
寸法土蔵造2階建、鉄平石葺、建築面積33平方メートル
所有者個人(文化庁データベースに記載なし)
公開状況非公開(外観のみ、旧中山道の道路から)

参考資料

文化庁 国指定文化財等データベース 今井家住宅(今井御小休本陣)米蔵
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00001383
文化遺産オンライン 今井家住宅(今井御小休本陣)米蔵
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/181293
文化庁 国指定文化財等データベース 今井家住宅(今井御小休本陣)文庫蔵
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00001382

最終更新日: 2026.09.15