燕岳の登山口に開かれた湯治場

中房温泉は、長野県安曇野市穂高有明の中房川上流、北アルプス燕岳の登山口にある温泉地で、文政4年(1821年)に湯治場として開かれ、本館菊をはじめとする7件の建造物が平成23年(2011年)7月25日に国の登録有形文化財に登録された。所有者は中房温泉株式会社で、現在も宿を営んでいる。

湯の起こりについては古い伝説がある。延暦23年(804年)、東へ向かう坂上田村麻呂がこの地に立ち寄り、村人を苦しめていた魏石鬼八面大王を討ち、傷を負った将兵を湯で癒したという。中房温泉はこの話を開湯の由来として伝えている。

記録にたどれる始まりは文政4年である。松本藩の命を受けた百瀬茂八郎が明礬(みょうばん)の採掘に入り、同時に湯小屋を設けた。明礬は生糸に艶を出すのに用いられ、藩の財源だった生糸の価値を押し上げた。信州大学の大塚勉教授によれば、この谷では温泉が花崗岩を変質させ、にじみ出た湯が地熱で蒸発して明礬を析出させる。鉱山と湯治場は、同じ地質から生まれた二つの生業だったことになる。

明治に入り近代登山が広まると、中房温泉は登山基地へ姿を変えていく。6代目の百瀬亥三松は明治42年(1909年)、日本山岳会の機関誌『山岳』に文章を寄せ、登山道の整備、道標の設置、案内人の賃金の統一、山小屋の建設に自ら取り組むと表明した。7代目の百瀬彦一郎の代には、燕岳から大天井岳・常念岳を経て上高地へ抜ける縦走路が整えられ、槍ヶ岳方面へ山小屋が次々に計画された。

大正元年(1912年)には、日本の近代登山を海外に紹介した英国人宣教師ウォルター・ウェストンが訪れている。大正7年(1918年)には、成城の校長だった澤柳政太郎がこの地で林間学校を開いた。日本で最も早い時期の林間学校の一つとされ、中房温泉が登山の拠点であるだけでなく、山の保養地としても受け止められていたことがうかがえる。

7件の登録と、二つの時代

平成23年に登録されたのは、本館菊・旧湯会所・田村薬師堂・山の神の社・温泉大プール・土蔵・板倉の7件である。登録番号は20-0372から20-0378まで連続し、いずれも「国土の歴史的景観に寄与しているもの」という基準が当てはめられた。員数は6件が1棟、温泉大プールが1所である。

年代を並べると、7件ははっきり二つの層に分かれる。一つは江戸時代の層で、嘉永元年(1848年)の田村薬師堂、嘉永7年(1854年)の土蔵、江戸末期の板倉と山の神の社がここに入る。もう一つは近代の層で、明治期の旧湯会所と本館菊、大正12年(1923年)の温泉大プールが属する。

日本建築史を専門とする信州大学の梅干野成央准教授は、この二層をそれぞれ別の山岳文化の証拠として読んでいる。江戸の建物は、明礬採掘という生業と信仰が結びついた近世の山の暮らしを示す。明治・大正の建物は、登山と保養によって山が都市とつながった近代の姿を示す。同じ敷地のなかで、湯治場が鉱山の付属から登山基地・保養地へと変わった過程が、建物の年代の順にたどれる。

敷地の配置と歩き方

登録された7件は、東西およそ100メートルの範囲に収まっている。東寄りに本館菊があり、その南西に旧湯会所、東に板倉、東南に土蔵が寄り添う。明治の宿泊棟を中心に、江戸末期の倉2棟と明治の小屋が囲む配置である。

本館菊の一群から西へ50メートルほど進むと、田村薬師堂が建つ。そのすぐ西、刻みのある巨岩の上に山の神の社がまつられている。温泉の起源伝説にまつわる堂と、山の神をまつる小社が並ぶこの一角は、敷地のなかほどにあたる。さらに南西へ下ったところに、石積みの温泉大プールが広がる。

敷地の奥には源泉の湧き出し口と、温泉の沈殿物である膠状珪酸と珪華の堆積がある。珪華は湯に溶けた珪酸が冷えて沈殿した層で、別に国の指定を受けている。建物を見て歩くあいだも、湯煙と硫黄のにおいが絶えない。7件の建物は、この湯の湧く場所に寄り添うように配されてきた。

見学・入浴とアクセス

中房温泉は現役の温泉宿の敷地であり、建物群は自由に出入りできる公園ではない。登録文化財を見るには、宿泊するか、中房温泉が設けている日帰りプランを利用する。日帰りプランは3時間の軽食付き(3,300円)と、夕食付きで最長6時間滞在できるもの(6,600円)があり、どちらも入浴と地熱蒸し体験に加え、天然の珪華や登録文化財のある園地の見学が含まれる。3時間プランのチェックインは午前10時から午後3時まで。いずれも予約制で、電話は0263-77-1488。

燕岳登山口の脇には、日帰り専用の野天風呂「湯原の湯」がある。入湯料は950円、午前9時30分から午後5時まで(受付は午後4時まで)。こちらは入浴のみの施設で、登録文化財の並ぶ園地への見学は含まれない。

営業は春から晩秋までである。中房温泉へ通じる県道327号槍ヶ岳矢村線(通称中房線)は、雪のため11月末ごろから4月中旬ごろまで閉ざされる。令和8年(2026年)の通常営業は、県道が開放された4月下旬から始まった。

公共交通ではJR大糸線の穂高駅が起点になる。駅前から南安タクシーの中房温泉行き定期バスに乗り、終点までおよそ55分。バスの運行は4月下旬から11月上旬までで、日によって便数が変わる。車の場合は長野自動車道の安曇野インターチェンジからおよそ1時間。県道は大型車のすれ違いが難しい狭い山道で、登山口の駐車場は夏から秋の週末に満車になりやすい。

この県道は豪雨で崩れることがあり、令和7年(2025年)と令和8年の夏には長期の通行止めや時間規制が敷かれた。出かける前に、中房温泉の公式サイトと長野県安曇野建設事務所の道路情報で通行状況を確かめておきたい。

建物の撮影についての決まりは公式には示されていない。浴場や温泉大プールのまわりでは、ほかの入浴客が写り込まないよう気を配りたい。

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)― 中房温泉本館菊
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00008685
国指定文化財等データベース(文化庁)― 中房温泉旧湯会所
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00008686
国指定文化財等データベース(文化庁)― 中房温泉田村薬師堂
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00008687
国指定文化財等データベース(文化庁)― 中房温泉山の神の社
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00008688
国指定文化財等データベース(文化庁)― 中房温泉温泉大プール
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00008689
国指定文化財等データベース(文化庁)― 中房温泉土蔵
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00008690
国指定文化財等データベース(文化庁)― 中房温泉板倉
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00008691
中房温泉 公式サイト ― 歴史と自然・宿泊料金・交通・お知らせ
https://nakabusa.com/
梅干野成央「中房温泉 近世・近代の山岳文化が織りなす場所」(中房温泉 公式サイト)
https://nakabusa.com/pdf/historyandnature_03.pdf
大塚勉「天然記念物をつくる温泉」(中房温泉 公式サイト)
https://nakabusa.com/pdf/historyandnature_02.pdf
南安タクシー ― 中房温泉行き定期バス
https://nan-an.co.jp/nakabusa/
長野県安曇野建設事務所 ― 道路情報
https://www.pref.nagano.lg.jp/azumiken/doro/doro.html

最終更新日: 2026.09.25

基本情報

名称中房温泉
所在地長野県安曇野市穂高有明7226他
所有者中房温泉株式会社
指定登録有形文化財 7件
座標36.39445, 137.74673