登ることのできる重要文化財

善光寺三門は、長野県長野市元善町にある寛延3年(1750年)建立の五間三戸二階二重門で、昭和40年(1965年)5月29日に重要文化財に指定された。同じ建物に表記が二つある。文化庁の指定名称は「三門」で、これは三解脱門に由来する仏教用語。一方、善光寺自身は案内板でも拝観券でも「山門」を用いる。指すものは同一で、建立年も同じである。

着工は延享元年(1744年)。仏像を迎える入仏が行われた寛延3年まで、6年を要している。棟梁は善光寺大工の宇右衞門と記録される地元の工匠であった。43年前に江戸から下ってきた幕府大棟梁が本堂を完成させたばかりの境内で仕事をすることになったわけだが、できあがった門は本堂の隣で見劣りしない。

形式は五間三戸の二階二重門、屋根は入母屋造。正面五間のうち中央三間が通路として開いており、そこに扉は設けられていない。閉じる装置を持たない門である。だから境界というより額縁に近く、くぐる正面に本堂がまっすぐ収まる。

細部を見上げる

石畳の上でいったん立ち止まり、下から順に目を上げていきたい。

組物は和様を基調とした三手先。ただし彫り手はそれを素っ気なく終わらせなかった。中備は初重に蟇股、二重には間斗束を配し、初重の肘木は拳鼻の形に張り出す。門全体に施された絵様繰形の装飾は、建築史の側から18世紀半ばの特徴として名指しされる程度には目立つ。

柱間装置は、正面中央三間が桟唐戸、両端と側面が連子窓。正面の両端の間には花頭窓が開き、文化庁の記録はその奥に仁王像を安置したと記す。二階には高欄付の縁が一周し、内部の天井は格天井ではなく平らな鏡天井である。

屋根の来歴は込み入っており、資料の記述も一致しない。文化庁の指定情報は構造を檜皮葺とし、解説では当初こけら葺であったものを昭和5年(1930年)に檜皮葺へ改めたと説明する。善光寺の側にはその続きがある。弘化4年(1847年)の善光寺地震と昭和40年代の松代群発地震で基礎が傷み、老朽化も進んだことから、平成14年(2002年)10月から平成19年(2007年)12月まで、三門としては初の大規模修理となる平成大修理が行われた。この工事で屋根は建立当初の木羽葺きに復原されており、寺はこれを栩葺と呼び、国内に現存する最大の栩葺建造物になったとしている。栩葺はこけら葺より厚い板を用いる。つまり現在見上げているのは板葺きの屋根で、国の登録上の記載は改修前の仕様のまま残っている。

楼上へ

二階への登楼参拝は約40年にわたり中断していた。平成大修理の完了を受けて平成20年(2008年)に再開されており、別途の拝観券を買う理由はここにある。

楼上の本尊は獅子に乗った文殊菩薩騎獅像で、四方を四天王像が固める。安置されるのは中の間の後方寄りに設けられた仏壇である。周囲には四国八十八ヶ所霊場の分身仏が並び、仏間の障壁画は修復されて彩色が戻っている。

壁面は別種の記録を残している。江戸期から昭和初期にかけて登楼した参拝者が墨で書き残した落書きが一面に広がるのだ。当時は門に登って名を記すことが参詣の作法のようなものだった。島津家の家紋とともに描かれた桜島らしき山の絵、浅野家のあとに赤穂を治めた森家家中の名前、会津討伐の帰路に立ち寄ったとみられる長州奇兵隊の記載などが確認されている。なお寺は現在の来訪者に対し、これを真似ないよう強く求めている。文化財への落書きは犯罪である。

縁に出ると、額が目の前にある。輪王寺宮公澄法親王の筆による「善光寺」の三文字で、大きさはおよそ三畳分。鳩字の額と通称されるのは、三文字の中に鳩の姿が五羽隠れているためで、さらに「善」の一字が牛の顔に見えるとも言われる。現在架かるのは平成大修理の際に作られた二代目で、先代は善光寺史料館に納められている。

そこから向きを変える。北側には本堂が間近に迫り、地上からは把握しにくいT字形の棟の形が、この高さからならよく読み取れる。南側は参道が仲見世通りを貫いて長野の市街へまっすぐ下っていく。

拝観にあたって

門をくぐるだけなら無料で、時間の制限もない。楼上に登るには山門参拝券が必要である。令和8年(2026年)4月1日以降、一般800円、中高生300円、小学生100円、未就学児は無料。障害者手帳を持つ人は本人と付添1名まで無料。なお小学生以下は単独での登楼ができず、保護者の同伴が必要となる。

楼上の開館は9時、閉館は16時。12月31日のみ13時までとなる。この時間は固定されており、お朝事に合わせて動く本堂内陣とは扱いが違う。一日の予定を組むときは、こちらの16時が先に効いてくる。経蔵や史料館も回るつもりなら、一般1,500円の共通券のほうが個別に買うより安く上がる。

階段は古い木造建築らしく急で幅も狭く、昇降機の類はない。板の踏面を上り下りできる履物で来たほうがよい。

門の外観を個人の記録として撮る分には制限されないが、境内は私有地であり、媒体掲載や商用利用を目的とする撮影・写真使用には善光寺事務局への事前申請が必要である。

JR長野駅善光寺口のバスロータリー1番のりばから路線バスで善光寺大門下車、所要約15分、運賃190円。そこから参道を徒歩5分ほど上る。先に仁王門をくぐり、石畳の区間を抜けたところで三門が正面に立ちはだかる。

Q&A

Q善光寺三門は登楼できますか。拝観料と時間は?
A登楼できます。平成大修理の完了に伴い、平成20年(2008年)から登楼参拝が再開されました。拝観料は令和8年4月1日以降、一般800円、中高生300円、小学生100円、未就学児無料。開館は9時から16時(12月31日は13時まで)です。小学生以下は保護者の同伴が必要です。
Q善光寺三門の鳩字の額とは何ですか?
A楼上に掲げられた「善光寺」の額で、輪王寺宮公澄法親王の筆によるものです。大きさは約三畳分あり、三文字の中に鳩の姿が五羽隠されていることから鳩字の額と呼ばれます。「善」の一字が牛の顔に見えるとも言われます。現在の額は平成大修理の際に作られた二代目で、先代は善光寺史料館で見ることができます。
Q善光寺三門と善光寺山門はどちらが正しい表記ですか?
Aどちらも寛延3年(1750年)建立の同じ建物を指します。文化庁は重要文化財の指定名称として、三解脱門に由来する「三門」を用いています。善光寺は案内板や拝観券で一般的な呼称である「山門」を使っています。
Q善光寺三門の楼上には何が安置されていますか?
A中の間の後方寄りに設けられた仏壇に、本尊の文殊菩薩騎獅像と四天王像が安置されています。周囲には四国八十八ヶ所霊場の分身仏が並び、修復された仏間の障壁画も見られます。壁面には江戸期から昭和初期の参拝者が残した墨書の落書きが多数残っています。
Q善光寺三門の屋根は現在どのような葺き方ですか?
A板葺きです。国の指定情報は檜皮葺と記載しており、これは昭和5年(1930年)の改修を反映したものです。文化庁の解説では建立当初はこけら葺だったとされます。平成19年(2007年)に完了した平成大修理で当初の木羽葺きに復原されており、善光寺はこれを栩葺と呼び、国内現存最大の栩葺建造物としています。

基本情報

名称善光寺三門(ぜんこうじさんもん)/寺の表記は「山門」
所在地長野県長野市大字長野元善町
指定区分重要文化財
指定年昭和40年(1965年)5月29日
員数1棟
寸法五間三戸二階二重門、入母屋造、檜皮葺(指定情報の記載。平成大修理で板葺きに復原)
所有者善光寺
公開状況通行は無料。楼上は山門参拝券が必要(9時〜16時、12月31日は13時まで)

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)/善光寺三門
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/908
文化遺産オンライン/善光寺三門
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/144608
善光寺公式サイト/主要施設
https://www.zenkoji.jp/about/syuyou/
善光寺公式サイト/参拝券のご案内
https://www.zenkoji.jp/meguru/sanpai/
善光寺公式サイト/アクセス
https://www.zenkoji.jp/access/
国指定文化財等データベース(文化庁)/善光寺本堂
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/907

最終更新日: 2026.07.29