横湯川第五一号堰堤とは
横湯川第五一号堰堤は、長野県下高井郡山ノ内町の横湯川に大正14年(1925年)に内務省が築き、昭和7年(1932年)に改修された重力式コンクリート造の砂防堰堤で、令和3年(2021年)10月14日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。所有者は長野県である。
位置は第三号堰堤の約170メートル上流で、横湯川石積堰堤群を下流から数えると4番目にあたる。ここから上流には、内務省期の堰堤と戦時中の横湯川堰堤が交互に現れる。
堤高1.8メートルの横に長い堰堤
横湯川第五一号堰堤は、堤長52メートルに対して堤高が1.8メートルしかない。8基の中でもっとも背が低く、長さは第五七号に次いで2番目である。川幅いっぱいに低い段を一本引いたような姿で、水は堤の上を薄く広がって落ちる。
文化庁の解説は、表面に不ぞろいの自然石を築いた堰堤と書く。形も大きさもまちまちな石を組み合わせて面をつくっており、玉石をそろえた下流の第二号や、切石で角を立てた上流の第五〇号とは、同じ石積でも手触りがまったく違う。内務省期の堰堤らしい、荒々しさの残る表情である。
和合橋周辺を守る4基の一つ
文化庁の解説によれば、横湯川第五一号堰堤は、内務省の横湯川砂防工事で、人家の集中する和合橋周辺に優先して整備された4基の堰堤の一つである。和合橋は渋温泉の中心にかかる橋で、まわりに宿や家が密集している。大正7年(1918年)に始まった直轄工事は、まず人の暮らしがもっとも近い区間から手をつけたことになる。
長野県の資料も、内務省の計画で下流部に4基の巨石積堰堤が置かれたと記している。横湯川第五一号堰堤は、大正期の直轄工事がもっとも急いだ区間を受け持つ堰堤である。
改修の年の昭和7年(1932年)は、工事が内務省から長野県へ引き継がれた年にあたる。改修の具体的な内容は公表された資料からは分からない。
横湯川第五一号堰堤が登録された理由
横湯川第五一号堰堤の登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」で、登録番号は20-0594である。大正期の内務省直轄工事の姿を伝え、温泉街の中心を守ってきた堰堤として評価された。
横湯川第五一号堰堤の見学
横湯川第五一号堰堤は屋外の砂防施設で、見学料はなく、道路や橋から外観を見る形になる。文化庁の登録写真は、正面を右岸側から、背面を左岸側から写している。堤高が低いので、水量の少ない時期のほうが、表面の自然石の組み方がよく見える。約140メートル上流には昭和19年(1944年)の横湯川堰堤があり、大正の石積と戦時中の堰堤を続けて見比べられる。川原へ降りる道の案内はなく、増水時は川に近づかないこと。渋温泉への行き方は横湯川石積堰堤群のページにまとめてある。
Q&A
- 横湯川第五一号堰堤はいつ造られましたか?
- 大正14年(1925年)に内務省が築き、昭和7年(1932年)に改修されています。
- 横湯川第五一号堰堤の大きさは?
- 堤長52メートル、堤高1.8メートルです。横湯川石積堰堤群の8基の中でもっとも低い堰堤です。
- 横湯川第五一号堰堤の表面はどんな石ですか?
- 形や大きさが不ぞろいの自然石を表面に築いています。
- 横湯川第五一号堰堤はなぜ早く整備されたのですか?
- 人家が集中する和合橋周辺を守るため、内務省の砂防工事で優先して整備された4基のうちの1基だからです。
- 横湯川第五一号堰堤は見学できますか?
- 道路や橋から外観を見ることができ、見学料はかかりません。増水時は川に近づかないでください。
基本情報
| 名称 | 横湯川第五一号堰堤(よこゆがわだいごじゅういちごうえんてい) |
|---|---|
| 所在地 | 長野県下高井郡山ノ内町大字平穏字安代~字村西 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物) |
| 指定年 | 令和3年(2021年)登録 |
| 員数 | 1基 |
| 寸法 | 堤長52メートル、堤高1.8メートル(重力式コンクリート造、表面自然石積) |
| 所有者 | 長野県 |
| 公開状況 | 屋外の砂防施設。道路や橋から外観を見学できる(見学料なし) |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)横湯川第五一号堰堤
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00014007
- 文化遺産オンライン 横湯川第五一号堰堤
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/520357
- 長野県 水系別砂防事業の概要(PDF)
- https://www.pref.nagano.lg.jp/sabo/siryou/documents/04_4suikeisabo.pdf
最終更新日: 2026.10.01