斎藤家住宅主屋 ― 戊辰の火を経て建て直された関屋の大屋根
新潟市中央区関屋本村町に建つ斎藤家住宅主屋は、慶応4年(1868年)以前の建物ではない。文化庁の登録記録は、旧主屋が戊辰戦争で焼失し、その後に再建されたと明記している。年代は「明治初期」、西暦では1868年から1911年の幅で記載される。
斎藤家は関屋の旧家で、江戸期には米沢藩の陣屋とされていたと伝わる。米沢藩は奥羽越列藩同盟に加わって新政府軍と戦い、関屋一帯は北越戊辰戦争の激戦地となった。金鉢山には新政府軍が陣を構え、米沢藩家老・色部長門が討死した地も近い。屋敷が焼けた経緯は、この土地の位置がそのまま説明している。
再建された主屋は大きい。木造2階建、瓦葺、建築面積395平方メートル。屋根は切妻造で、平側ではなく妻側から入る妻入の形式をとる。街路に対して幅広の横顔ではなく、高く縦に伸びた顔を向ける構えである。
その妻面は、立ち止まって見る価値がある。直梁と貫を数段重ねた構成が、漆喰で覆われることなく外にあらわれている。壁面が、そのまま構造の説明図になっている。
登録有形文化財という枠組み
日本の建造物保護には二つの系統がある。この主屋にどちらが適用されているかを知ると、建物の読み方が変わる。
古いほうが指定制度で、国宝・重要文化財を生む。選別は厳しく、所有者の負担も重い。現状変更には許可が要り、国の関与も強い。新しいほうは、平成8年(1996年)の文化財保護法改正で加わった登録制度である。おおむね築50年以上の建造物を対象とし、大きな変更の際に届出を求めるにとどめる。制度が想定していたのは特定の問題だった。国宝とは呼ばれないが、失われれば国土の景観がやせ細っていく、明治・大正期の建物の静かな消滅である。
斎藤家住宅主屋の登録は平成12年(2000年)4月28日、告示は同年5月17日。第23回登録にあたる。登録番号は15-0046で、頭の15は新潟県を示す。登録基準は三つあるうちの第一、「造形の規範となっているもの」。評価が向けられたのは、希少性や古さではなく、妻面の構成と内部の設えである。
その内部が、この建物の面白いところだ。日常の場である茶の間では、豪快な梁組が天井を張らずに見せられている。ところが座敷に移ると調子が一変し、瀟洒な書院風にまとめられる。書院造の語彙は、武家の住宅や禅寺の方丈で洗練されてきたものだ。一つの家のなかに、富裕な在村の家がどう見えるべきかについての二つの答えが並んでいる。
見学の可否と、代わりに訪ねられる場所
先に確認しておきたい。本物件は株式会社斎藤不動産が所有する私有財産で、一般公開されていない。登録有形文化財であることは、公開の義務を伴わない。住宅地のなかにあるため、外観を公道から眺めるにとどめるのが礼儀である。
関屋という土地そのものは歩く価値がある。信濃川の洪水から新潟を守るために掘られた関屋分水が近くを流れ、慶応4年に新政府軍が本陣を置いた高台は金鉢山公園になっている。色部長門の追念碑は県立新潟高等学校の近くに立つ。この地形と歴史を踏まえて主屋を見ると、写真では伝わらない重さが出てくる。
新潟の商家・地主住宅の内部に入りたい向きには、選択肢がある。白山公園内の燕喜館は、明治期の斎藤家住宅主屋を移築したもので、新潟市が管理し無料で公開している。西大畑町の旧齋藤家別邸は大正7年(1918年)の建物で、国の名勝に指定され、砂丘地形を生かした庭園と座敷が一体で味わえる。ただし名称には注意が要る。新潟には「斎藤家」「齋藤家」と表記される家に関わる著名な建物がいくつもあり、すべてが同じ家系というわけではない。ここで扱う関屋の主屋は、それらとは別の物件である。
越後の農業資本の規模を実感したいなら、江南区沢海の北方文化博物館がある。伊藤家の26棟が登録されたのは、奇しくもこの主屋と同じ平成12年4月28日だった。
Q&A
- 斎藤家住宅主屋の内部は見学できますか。
- できません。株式会社斎藤不動産が所有する私有物件で、公開はされていません。登録有形文化財に公開義務はありません。外観を公道から見ることは可能です。
- 建てられたのはいつですか。
- 文化庁の記録では「明治初期」、西暦1868年から1911年の幅で示されています。慶応4年の戊辰戦争で焼失した旧主屋の後身にあたります。建築年を一年に絞った記載は国のデータベースにはありません。
- 旧齋藤家別邸や燕喜館とは同じ建物ですか。
- 別の建物です。旧齋藤家別邸は中央区西大畑町にある大正7年の名勝、燕喜館は白山公園内に移築された旧斎藤家住宅主屋です。関屋の斎藤家住宅主屋は、所有者も履歴も異なる物件です。
- 米沢藩との関係とは何ですか。
- 文化庁の解説文は、斎藤家が江戸期に米沢藩の陣屋とされていた旧家であると記しています。米沢藩は戊辰戦争で新政府軍と戦った側であり、旧主屋の焼失はその戦火と直結する出来事でした。
- 同じ敷地に他の登録建造物はありますか。
- あります。敷地最奥に建つ斎藤家住宅土蔵が、同日に登録番号15-0047で登録されています。弘化2年(1845年)頃に他所から移築されたと伝わる江戸期の土蔵です。
基本情報
| 名称 | 斎藤家住宅主屋(さいとうけじゅうたくしゅおく) |
|---|---|
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物) |
| 登録年月日 | 平成12年(2000年)4月28日(告示:同年5月17日)/第23回登録 |
| 登録番号 | 15-0046 |
| 登録基準 | 造形の規範となっているもの |
| 時代・年代 | 明治/明治初期(1868-1911年) |
| 員数 | 1棟 |
| 構造及び形式等 | 木造2階建、瓦葺、建築面積395平方メートル |
| 種別 | 住宅/建築物 |
| 所在地 | 新潟県新潟市中央区関屋本村町1-148-1 |
| 所有者 | 株式会社斎藤不動産 |
| 公開状況 | 非公開(私有物件。外観のみ公道から視認可能) |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁):斎藤家住宅主屋
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00001574
- 文化遺産オンライン:斎藤家住宅主屋
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/114454
- 新潟県:新潟県内文化財一覧(国・県・市町村指定等)(PDF)
- https://www.pref.niigata.lg.jp/uploaded/life/765000_2406788_misc.pdf
最終更新日: 2026.07.15