坂田家住宅主屋

五泉市の東寄り、土堀の集落で坂田家の前に立つと、まず目に入るのは横への広がりである。道に沿った正面の間口は二〇メートルを超え、その上に一枚の大きな瓦屋根が平屋を覆う。坂田家は江戸時代に庄屋を務め、明治に入ってからは中蒲原郡の戸長を任された旧家で、地域のなかで一定の役割を担ってきた家柄だった。今に残る主屋の規模には、その立場がそのまま現れている。

建物は道に南面し、敷地の北西寄りに建つ。屋根の造りは少し立ち止まって見たい。棟は東西に走り、その端は左右で表情を変える。東側は入母屋造、西側は切妻造とし、中央には玄関の入母屋屋根が前へ突き出す。仕上げはいずれも桟瓦葺。単純な箱ではなく、意図をもって組まれた屋根であることが、輪郭からうかがえる。

登録の理由と価値

平成二三年(二〇一一年)一月、主屋は同じ敷地内の四棟とともに国の登録有形文化財に登録された。登録番号は一五―〇三二五。歴史的景観への寄与を理由とする他の四棟とは異なり、主屋は「造形の規範となっているもの」という基準で評価されている。平面と屋根の扱いの確かさが認められた形である。

訪ねる前に一点だけ押さえておきたい。文化庁のデータベースは建築の年代を昭和二八年(一九五三年)と記す。これは大きく建て替えられた年にあたる。五泉市の説明によれば、住宅そのものは江戸時代末期に始まり、昭和二八年に改築された。二つの年代は、あわせて読めば矛盾しない。現存するのは戦後の改築であり、そこに古い農家の静かな部屋が受け継がれている。

その古さが残るのが室内である。奥座敷や茶の間には、戦後に大きく改められた建物のなかにあってなお、近世の農家がもっていた落ち着いた気配が留められている。

見どころ

主屋は常時見学できるが、外観のみの公開である。その前提が、訪ね方を決める。内部を巡るのではなく、大きな農家の住宅を外から読み解く時間だと考えるとよい。

まずは玄関から。南面中央に突き出す入母屋造の玄関は、正式な出入口を示している。庄屋の家が客を迎えるために使った表の構えである。少し後ろに下がって、間口の端から端まで視線を移してみたい。東端の入母屋から西端の切妻へと変わる屋根の形は、正面からより斜めから見た方がとらえやすい。周囲に並ぶ蔵や堆肥舎まで含めて、はじめて豪農の屋敷全体が見えてくる。主屋は、単独ではなく建物群の中心として眺めるのがよい。

Q&A

Q主屋の中に入れますか。
A入れません。坂田家住宅は常時見学できますが、公開は外観のみです。私有地ですので、外からの見学にご協力ください。
Q建物は実際いつのものですか。
A国の登録では昭和二八年(一九五三年)とされ、これは大きな改築の年です。五泉市は、住宅が江戸時代末期に始まり昭和二八年に改築されたと説明しており、古い農家の部屋が一部受け継がれています。
Q坂田家とはどのような家ですか。
A古くからの旧家です。江戸時代には庄屋を務め、明治期には中蒲原郡の戸長を任されました。
Q屋根のどこが変わっているのですか。
A東西の棟の端が、東は入母屋造、西は切妻造となり、中央には玄関の入母屋屋根が前へ突き出します。全体を桟瓦で葺いています。
Qほかの建物も見る価値がありますか。
Aあります。同じ敷地内の四棟が主屋とともに登録されており、あわせて見ると裕福な農家がどのように屋敷を構えたかが分かります。

基本情報

名称坂田家住宅主屋(さかたけじゅうたくしゅおく)
所在地新潟県五泉市土堀字上ノ代295
指定区分登録有形文化財(平成23年〈2011年〉1月26日登録/登録番号15-0325)
登録基準造形の規範となっているもの
年代昭和28年(1953年)改築(五泉市は江戸末期に起源とする)
構造木造平屋建、桟瓦葺、建築面積301㎡
員数1棟
公開状況外観は常時見学可/内部は非公開

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)— 坂田家住宅主屋
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00008431
文化遺産オンライン — 坂田家住宅主屋
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/146917
五泉市公式ホームページ — 坂田家住宅
https://www.city.gosen.lg.jp/organization/21/7/1/1/1869.html

最終更新日: 2026.07.07