備中国分寺五重塔とは
備中国分寺五重塔(びっちゅうこくぶんじごじゅうのとう)は、岡山県総社市上林の備中国分寺の境内に建つ江戸時代後期の木造五重塔で、昭和55年(1980年)12月18日に重要文化財に指定された。
塔が立つのは、奈良時代の天平13年(741年)に聖武天皇の詔によって置かれた備中国分寺の跡地である。古代の伽藍は早くに失われ、いまの国分寺は江戸時代中期に再興された寺院にあたる。文化庁のデータベースも、この塔を奈良時代創建の国分寺跡に建つ大型の五重塔として紹介している。
建立を図ったのは国分寺の証旭和尚で、総社市の解説によれば工事は文政4年(1821年)ごろに始まった。文化財建造物保存技術協会の修理記録は、天保6年(1835年)に上棟と入仏が行われたとする。完成は天保14年(1843年)とも弘化元年(1844年)ともいわれ、二十数年をかけた事業だった。
一方、文化庁のデータベースは年代欄を「江戸後期・文政(1818〜1829年)」としている。着工・上棟・完成のどれを基準にするかで数字が変わるため、備中国分寺五重塔の建立年は資料によって一つに定まっていない。
形式は三間五重塔婆、本瓦葺。一辺が三間の方形平面で、総高は34.315メートルある。初重から三重までは主にケヤキ、四重と五重は主にマツでつくられた。総社市は、岡山県内に現存する五重塔はこれ一基だけだと説明している。
備中国分寺五重塔が重要文化財に指定された理由
備中国分寺五重塔は昭和55年(1980年)12月18日に重要文化財となった。文化庁の解説が評価しているのは、江戸時代後期という時代の特色がはっきり表れている点と、近世の大工技術の進み具合が構造に読み取れる点である。
まず全体の比例。塔身部が縦に長く、頂部の相輪は短い。総社市の観光案内は、上の屋根と下の屋根がほぼ同じ大きさで、細長く伸び上がる姿だと説明している。遠くから眺めたときの直線的な輪郭は、この比例から生まれている。
次に細部の意匠で、文化庁は輪郭を持たない蟇股を時代の特徴として挙げる。
そして構造。塔の中心には心柱が通り、その周囲を四天柱と呼ばれる4本の柱が囲む。備中国分寺五重塔では、長い四天柱を大梁の間に立て上げていく手法がとられており、文化庁はこれを近世における木工技術の発展を示すものと位置づけている。外観の姿と内部の骨組みの両方に、江戸後期の塔としての個性がある。
備中国分寺五重塔の見どころ
相輪の長さに注目して、離れた場所から全体を見る
備中国分寺五重塔の輪郭を確かめるなら、まず境内から少し距離をとって見上げたい。相輪が短く、屋根の出が上下でほとんど変わらないため、塔全体が一本の柱のように細く立ち上がって見える。
この短い相輪は、平成の修理で取り戻された姿でもある。修理記録によると、相輪は後世に継ぎ足されて高くなっていたが、修理で本来の長さに戻され、それまでより約2.1メートル低い7.5メートルになった。いま目にしている比例は、当初の設計に近いものと考えてよい。
初重の軒下を見上げる
塔に近づいたら、初重の軒下に目を移す。柱の上の組物の間に置かれた蟇股が、文化庁の解説がいう「輪郭のない蟇股」である。塔は東を正面とし、正面の建具も修理の際に当初材を補修して再び用いている。
初重の内部と天井画
初重の内部には須弥壇が設けられ、心柱のまわりに四如来像が安置されている。総社市文化財課の解説では、釈迦・阿弥陀・宝生・阿閦の四尊とされる。
格子状の天井には彩色画がはめ込まれている。文化財課によれば、描いたのは備前長船の住人・横山春篤で、天女や花鳥が主題である。観光課の案内は枚数を104枚とし、四天柱のそばの4枚が天女図、残りが季節の草花の図だと説明する。なお天井板の材は、文化財課の解説では杉、観光課の案内では欅とされ、記述が分かれている。
平成の解体修理
備中国分寺五重塔は、大正4〜5年(1915〜1916年)と昭和36年(1961年)に屋根の葺き替えを受けた。本格的な修理は平成2年(1990年)8月から平成6年(1994年)3月にかけて行われている。
当初は半解体の計画だったが、工事中に台風で破損したため、全解体の解体修理に切り替えられた。礎石はそのまま残し、傷んだ部材は再用できるものを補修して用い、取り替える部材は当初の加工に倣って新たに作った。屋根の本瓦葺も、このとき葺き直されている。
備中国分寺五重塔の見学方法とアクセス
備中国分寺の境内は自由に参拝でき、料金はかからない。備中国分寺五重塔は外観を見学する文化財で、塔の内部は通常公開されていない。内部の公開の有無は、現地の国分寺観光案内所(電話0866-94-3155、午前10時〜午後4時)で確かめるとよい。
屋外からの外観の撮影は広く行われており、岡山県の観光公式サイトも撮影スポットとして紹介している。冬には総社市と総社市観光協会による五重塔のライトアップが行われ、令和7年度は2025年12月23日から2026年3月31日まで、午後6時から午後10時まで点灯した。
公共交通で向かう場合、最寄りの拠点はJR総社駅である。駅からはタクシーで約15分、駅前で借りられるレンタサイクルなら約40分かかる。総社山手循環バスを使う場合は約20分で「吉備路もてなしの館」に着く。JR桃太郎線の服部駅から歩くこともでき、吉備路文化館を経由する道でおよそ5.2キロ、1時間10分ほどの道のりになる。
車の場合は、岡山自動車道の岡山総社ICまたは山陽自動車道の倉敷ICから約10分。無料駐車場があり、普通車200台が停められる。料金・時間・交通は2026年9月に確認した情報で、変わることがある。
Q&A
- 備中国分寺五重塔はいつ建てられましたか?
- 総社市の解説では、備中国分寺五重塔の工事は文政4年(1821年)ごろに始まり、天保14年(1843年)か弘化元年(1844年)に完成したとされます。修理記録には天保6年(1835年)の上棟・入仏が記されています。文化庁のデータベースは年代を江戸後期・文政(1818〜1829年)としています。
- 備中国分寺五重塔の中に入れますか?拝観料はかかりますか?
- 備中国分寺の境内は無料で自由に参拝できますが、備中国分寺五重塔の内部は通常公開されていません。見学は外観が中心です。公開の予定は国分寺観光案内所(電話0866-94-3155)で確認してください。
- 備中国分寺五重塔の高さはどれくらいですか?
- 備中国分寺五重塔の総高は34.315メートルです。頂部の相輪は平成の修理で本来の長さに戻され、7.5メートルになりました。
- JR総社駅から備中国分寺五重塔へはどう行けばよいですか?
- JR総社駅からタクシーで約15分、レンタサイクルで約40分です。総社山手循環バスなら約20分で「吉備路もてなしの館」に着きます。JR服部駅から歩く場合は約5.2キロ、1時間10分ほどです。
- 備中国分寺五重塔が重要文化財に指定された理由は何ですか?
- 塔身が長く相輪が短い比例や、輪郭のない蟇股といった細部に江戸時代後期の特色がよく表れていること、長い四天柱を大梁の間に立て上げる構造に近世の木工技術の発展が見られることが評価され、昭和55年(1980年)に重要文化財に指定されました。
基本情報
| 名称 | 備中国分寺五重塔 |
|---|---|
| 所在地 | 岡山県総社市上林 |
| 指定区分 | 重要文化財 |
| 指定年 | 昭和55年(1980年) |
| 員数 | 1基 |
| 寸法 | 総高34.315メートル |
| 所有者 | 備中国分寺 |
| 公開状況 | 境内は参拝自由・無料(外観の見学)。塔の内部は通常非公開 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース「備中国分寺五重塔」(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/3029
- 文化遺産オンライン「備中国分寺五重塔」
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/187176
- 国指定_備中国分寺五重塔(総社市 文化財課)
- https://www.city.soja.okayama.jp/soshiki/26/2879.html
- 備中国分寺 総社観光ナビ(総社市 観光プロジェクト課)
- https://www.city.soja.okayama.jp/site/kanko/3601.html
- 備中国分寺五重塔 建造物修理アーカイブ(文化財建造物保存技術協会)
- https://www.bunkenkyo.or.jp/archive-site/detail/bittyu/
- 備中国分寺跡(岡山県古代吉備文化財センター)
- https://www.pref.okayama.jp/site/kodai/681581.html
- 備中国分寺 岡山観光WEB(岡山県観光連盟)
- https://www.okayama-kanko.jp/spot/detail_10754.html
- 備中国分寺への行き方 JR服部駅から歩いてみた(岡山観光WEB)
- https://www.okayama-kanko.jp/okatabi/1399/page
- 備中国分寺 五重塔 ライトアップ(岡山観光WEB)
- https://www.okayama-kanko.jp/event/detail_12782.html
最終更新日: 2026.09.25