新たな入園者が最初に通された建物
長島の北岸、波止場からすぐ奥に、北面の中央に玄関を開き、縦長の窓を等間隔に並べた鉄筋コンクリート造の低い建物が建っている。昭和5年(1930年)に竣工し、建築面積はおよそ190平方メートルの平屋。長島愛生園の収容所であり、愛生園は日本で最初の国立ハンセン病療養所であった。船を降りた新規入園者が、島で最初に足を踏み入れる建物がここだった。
20世紀の大半を通じて、日本ではハンセン病と診断された人びとが法律によって終生隔離された。新たな入園者は海峡を渡って収容桟橋に着き、この建物に入った。ここで検査を受け、わずかな持ち物を消毒され、消毒風呂に入れられたうえで、入園の手続きが済むまでおよそ1週間留め置かれた。その消毒風呂は今も残されている。この建物を理解するとは、それが日常からの切り離しの入口であったと受けとめることでもある。
平面が記録するもの
収容所は平成31年(2019年)3月に登録有形文化財となり、「造形の規範となっているもの」という基準で登録された。内部では北側に廊下が通り、南側に病室が面し、廊下の東半分に沿って診療室と浴室が置かれている。束立て板張の床などの細部は、昭和初期に鉄筋コンクリートがどのように用いられていたかを示している。
縦長の窓の規則正しいリズムと、装飾を抑えたコンクリートの壁は、この建物に施設らしい明快さを与えている。その素っ気なさにも意味がある。意匠に野心を示した事務本館に対し、収容所は検査と手続きの場であり、その機能が建築にそのまま表れている。
心づもりをもって訪ねる
この建物は、旧事務本館に置かれた長島愛生園歴史館を起点とする見学の道筋に、通常含まれている。波止場を間近に建物の前に立つと、新規入園者がたどった経路がよくわかる。海峡はわずか30メートルほどでありながら、その後に続いた隔たりがいかに徹底したものであったかが見えてくる。
収容所は2017年に改修され、通常は外観を見学する。長島には、かつてここに留め置かれた人びとが今も暮らしている。見学は予約のうえ、敬意をもって行われる。静かな心づもりでこの場に向き合うことは、ここが保存され、学びに訪れる人へ開かれてきた理由の一つでもある。
Q&A
- 収容所では何が行われたのですか。
- 新規入園者はここで検査を受け、持ち物を消毒され、消毒風呂に入れられたうえで、入園手続きが済むまでおよそ1週間留め置かれました。島へ渡った人が最初に入る建物でした。
- 消毒風呂はまだ残っていますか。
- 残っています。消毒風呂は建物の内部に現存し、案内のなかでその経緯を知る来訪者にとって、収容の過程を具体的に思い描かせる要素の一つです。
- なぜこの建物が文化財になったのですか。
- 昭和初期の鉄筋コンクリート造をよく残す建物であり、療養所への収容という場面を記録しています。隔離政策を物的に示す証拠として、建物であると同時に史料としての価値をもっています。
- 内部に入れますか。
- 登録建造物群の一つとして、通常は外観を見学します。立ち入りは歴史館を通じて予約のうえ手配され、今も島で暮らす入所者への配慮が前提となります。
- どうやって行きますか。
- 長島へは1988年開通の邑久長島大橋で渡れます。橋は「人間回復の橋」と呼ばれます。車なら岡山ブルーラインの虫明インターチェンジから約10分、JR赤穂線邑久駅からのバス便もあります。まず歴史館を通じて見学を予約してください。
基本情報
| 名称 | 長島愛生園旧収容所(ながしまあいせいえんきゅうしゅうようじょ) |
|---|---|
| 所在地 | 岡山県瀬戸内市邑久町虫明6539 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物) |
| 登録年月日 | 2019年(平成31年)3月29日 |
| 登録番号 | 33-313 |
| 構造 | 鉄筋コンクリート造平屋建、建築面積約190平方メートル |
| 年代 | 昭和5年(1930年)/平成29年改修 |
| 員数 | 1棟 |
| 所有者 | 国立療養所長島愛生園 |
| 見学 | 外観見学。長島愛生園歴史館を通じて要予約。邑久長島大橋経由 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)長島愛生園旧収容所
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00012812
- 長島愛生園歴史館
- https://www.aisei-rekishikan.jp/
- 国立療養所 長島愛生園(Leprosy.jp 笹川保健財団)
- https://leprosy.jp/japan/sanatoriums/sanatorium07/
最終更新日: 2026.06.25