久金属工業旧防空壕 ― 築山の裏に残るコンクリートの小屋
久金属工業旧防空壕は、大阪府大阪市西成区北津守にある瓶キャップ製造会社の本社工場で、正門を入った正面の築山の裏手に建つ鉄筋コンクリート造の建物であり、昭和9年(1934年)頃に建てられ、昭和42年(1967年)の改修を経て、令和3年(2021年)2月4日に登録有形文化財となった。
平屋建の陸屋根で、建築面積は9.4平方メートル。北面は築山に接し、南面に格子窓を左右対称に配する。
名前は旧防空壕だが、文化庁の解説文は「元防空壕との伝承を持つ」と書くにとどめている。防空壕として使われたことを示す記録は示されていない。
久金属工業旧防空壕が登録された理由
文化庁の解説文によれば、戦後に便所として改修され、地下の壕は浄化槽に転用されたとみられる。それでも外観は往時の姿をよく留めている、というのが評価の要点で、登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」である。
建設年は資料によって大きく異なる。文化庁は昭和9年頃とし、会社のウェブサイトは昭和15年(1940年)頃の築とする。防空壕として整えられた時期との関係も含め、確かな記録は示されていない。本記事は文化庁のデータに従った。
見どころ ― 築山に抜ける擬木の換気口
会社の説明によると、地下には社員が避難できるだけの広さがあったとされる。その名残として、屋根の部分から築山に抜ける換気口が残り、表面は擬木仕上げになっている。擬木とは、モルタルやコンクリートで木の幹や枝の肌を写し取る左官の仕上げである。
南面の格子窓は左右対称で、小さなコンクリートの箱に端正な正面を与えている。戦時の避難施設と、戦後の便所という二つの用途を経ながら、外観は大きく変わっていない。
久金属工業旧防空壕の見学
久金属工業旧防空壕は、正門の側から見ると築山に隠れる位置にあり、道路からは見えない。敷地の内側にあるため、見られるのは公開行事で案内がある場合に限られる。
近くで見る機会があれば、築山の上に顔を出す擬木の換気口を探したい。地下の空間は浄化槽に転用されたとみられ、入ることはできない。
Q&A
- 久金属工業旧防空壕はいつ建てられ、いつ登録有形文化財になりましたか?
- 文化庁のデータでは昭和9年(1934年)頃の建築で、昭和42年(1967年)に改修されています。令和3年(2021年)2月4日に登録有形文化財(建造物)として登録されました。
- 久金属工業旧防空壕は本当に防空壕だったのですか?
- 文化庁の解説文は「元防空壕との伝承を持つ」としています。会社は地下に社員の避難場所があったと説明していますが、使用を示す記録は示されていません。
- 久金属工業旧防空壕は戦後どう使われましたか?
- 便所に改修され、地下の壕は浄化槽に転用されたとみられています。
- 久金属工業旧防空壕の建設年はいつですか?
- 文化庁は昭和9年(1934年)頃、会社は昭和15年(1940年)頃としており、資料によって異なります。
- 久金属工業旧防空壕は見学できますか?
- 築山の裏手にあり道路からは見えません。公開行事で案内される場合に限り見られます。
基本情報
| 名称 | 久金属工業旧防空壕 |
|---|---|
| 所在地 | 大阪府大阪市西成区北津守3丁目52 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物) |
| 指定年 | 令和3年(2021年) |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 建築面積9.4㎡ |
| 所有者 | 合名会社ヒサ・コーポレーション |
| 公開状況 | 通常非公開(公開行事の際に見学できることがある) |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)久金属工業旧防空壕
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00013606
- 文化遺産オンライン 久金属工業旧防空壕
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/583523
- 久金属工業株式会社 本社建造物
- https://www.hisakinzoku.co.jp/structure/
- 大阪文化財ナビ 久金属工業株式会社
- https://osaka-bunkazainavi.org/bunkazai/%E4%B9%85%E9%87%91%E5%B1%9E%E5%B7%A5%E6%A5%AD%E6%A0%AA%E5%BC%8F%E4%BC%9A%E7%A4%BE
最終更新日: 2026.09.23