嘉永の、背の高い小さな土蔵

片桐棲龍堂中ノ蔵は、大阪府堺市堺区西湊町の漢方薬舗・片桐棲龍堂にある土蔵で、嘉永年間(1848〜1853年)の建造と伝えられ、平成12年(2000年)10月18日に国の登録有形文化財となった。土蔵造2階建・瓦葺で、建築面積は12平方メートル。屋敷に3棟ある土蔵のうち、もっとも小さい。

位置は主屋の北東、東ノ蔵の西にあたる。東ノ蔵と同じく嘉永年間の建造と伝えるが、棟札などで年を確かめた記録は公表されておらず、年代は伝承による。

規模は桁行2間、梁行1間半。床面積の小ささに対して2階建で、文化庁の解説はこれを「ややたちの高い」標準的な造りの2階建土蔵と表現している。棟は東西に通り、屋根は切妻造・本瓦葺、棟と平行する側に入口を持つ平入である。

「造形の規範」として登録された理由

片桐棲龍堂中ノ蔵は、東ノ蔵とともに「造形の規範となっているもの」として登録された。屋敷の7件のうちこの基準によるのは2棟だけで、ほかの5件は「再現することが容易でないもの」である。登録番号は27-0108。

「規範」とされたのは、特異な建物だからではなく、土蔵という形式を素直に体現しているからだと読める。厚い土壁で火を防ぎ、本瓦の重い屋根を載せ、限られた床面積を2層に分けて使う。江戸末期の町の土蔵がどういうものだったかを、片桐棲龍堂中ノ蔵は標準的な寸法のまま伝えている。

南面には観音扉を付け、その前に蔵前と呼ぶ小さな前室をつくる。観音扉は左右に開く両開きの厚い土扉である。蔵前は扉の前の空間で、庇を掛けて雨の日でも荷を出し入れできるようにすることが多い。

洗い場との関係

片桐棲龍堂中ノ蔵の東の妻面には、明治初期に洗い場が取り付けられた。洗い場は中ノ蔵の東妻から東ノ蔵の西妻まで屋根を架け渡した建物で、床には赤煉瓦が敷かれている。嘉永の土蔵2棟は、明治に入ってこの洗い場によって1つの作業空間に結ばれたことになる。

つまり中ノ蔵は、単独の蔵として建てられたのち、東側の壁を洗い場の一辺として使われるようになった。平入の入口が南を向き、東の妻面が洗い場側に接するという配置からは、蔵としての出入りと洗い場での作業が互いに邪魔をしないよう考えられていたと見ることができる。

見学について

片桐棲龍堂中ノ蔵は屋敷の内側、主屋の北東にあり、立ち入りはできない。屋敷は個人の住まい兼薬舗で、堺市は外観のみの見学を求めているが、この蔵が公道からどこまで見えるかは確認できていない。撮影は公道からにとどめたい。屋敷への行き方は、片桐棲龍堂のページにまとめてある。

Q&A

Q片桐棲龍堂中ノ蔵はいつ建てられましたか?
A嘉永年間(1848〜1853年)の建造と伝えられています。年代を裏づける棟札などの記録は公表されていません。
Q片桐棲龍堂中ノ蔵はどのような土蔵ですか?
A土蔵造2階建・本瓦葺の切妻造・平入で、桁行2間、梁行1間半、建築面積12平方メートルです。床面積に対して背の高い、標準的な造りの2階建土蔵です。
Q片桐棲龍堂中ノ蔵はなぜ登録有形文化財になったのですか?
A「造形の規範となっているもの」として、平成12年(2000年)10月18日に登録されました。登録番号は27-0108です。屋敷でこの基準によるのは中ノ蔵と東ノ蔵の2棟だけです。
Q片桐棲龍堂中ノ蔵と洗い場はどうつながっていますか?
A中ノ蔵の東の妻面から東ノ蔵の西の妻面まで、明治初期に洗い場の屋根が架け渡されました。中ノ蔵の入口は南面の観音扉です。
Q片桐棲龍堂中ノ蔵は見学できますか?
Aできません。屋敷は個人の住まい兼薬舗で、堺市は外観のみの見学を求めています。

基本情報

名称片桐棲龍堂中ノ蔵(かたぎりせいりゅうどうなかのくら)
所在地大阪府堺市堺区西湊町3-1-16
指定区分登録有形文化財(建造物)、登録番号27-0108
指定年平成12年(2000年)10月18日登録
員数1棟
寸法土蔵造2階建、本瓦葺、建築面積12平方メートル、桁行2間・梁行1間半
所有者個人
公開状況非公開(個人の屋敷内。外観のみ見学可)

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁) 片桐棲龍堂中ノ蔵
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00001927
堺市 片桐棲龍堂主屋他(文化財登録制度)
https://www.city.sakai.lg.jp/kanko/rekishi/bunkazai/bunkazai/torokuseido/katagiriseiryudo.html
国指定文化財等データベース(文化庁) 片桐棲龍堂洗い場
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00001930

最終更新日: 2026.09.26