大阪城に残る江戸時代の13棟
大阪城は大阪府大阪市中央区大阪城にある城郭で、元和6年(1620年)から明治20年(1887年)にかけて建てられた大手門・千貫櫓・乾櫓など13棟が、昭和28年(1953年)6月13日に重要文化財に指定されている。
城の始まりは天正11年(1583年)。豊臣秀吉が大坂(石山)本願寺の跡地で築城に着手し、文化庁の解説では安土城にならった城とされる。豊臣家は慶長20年(1615年)の大坂夏の陣で滅び、城もこのとき焼け落ちた。現在地表に見えている石垣や堀、そして13棟の建物は、すべてそのあと徳川幕府が築き直した城に属する。
幕府の再築工事は元和6年(1620年)に始まり、寛永7年(1630年)まで続いた。再建された天守は寛文5年(1665年)に落雷で焼失し、江戸時代のうちに建て直されることはなかった。それでも城内には櫓が三十余棟、門や蔵が数十棟並んでいたという。その後の失火や取り壊し、慶応4年(1868年)の戊辰の役に伴う火災で大半が消え、残ったのが次の13棟である。
- 千貫櫓・乾櫓:元和6年(1620年)の造営で、城内最古
- 金明水井戸屋形:寛永3年(1626年)
- 六番櫓:寛永5年(1628年)
- 一番櫓:文化庁の記録では寛永7年(1630年)。寛文8年(1668年)に大きく改造された
- 焔硝蔵:文化庁の各棟情報と大阪城公園の説明では貞享2年(1685年)
- 金蔵:天保8年(1837年)に現在の平屋の姿となる
- 大手門・多聞櫓と、大手門南方塀・大手門北方塀・多聞櫓北方塀の塀3棟:嘉永元年(1848年)前後の建築または修復
- 桜門:明治20年(1887年)の再建
いまの大阪城天守閣は昭和6年(1931年)に市民の寄付で建てられた3代目で、この13棟には含まれていない。天守閣を目当てに来た人が、門をくぐる途中で江戸時代の建物を素通りしてしまうことは珍しくない。
重要文化財としての価値 ― 年代の違う建物が並ぶ意味
文化庁の解説は、大阪城の13棟がいずれも江戸時代の再興でありながら城の規模をよく伝えていること、そして細部に建設年代の移り変わりに応じた城郭の変化が見られることを、重要文化財としての価値に挙げている。1棟ごとの古さよりも、約270年の幅をもつ建物が同じ城に残っている点が評価されたと読める。
比べる手がかりははっきりしている。元和6年(1620年)の千貫櫓と乾櫓は再築工事のごく初期の作で、大阪城公園の説明によれば、工事の終盤にあたる寛永5年(1628年)の六番櫓には、この2棟と異なる様式や手法が見られるという。わずか8年のあいだに櫓の造り方が変わっていたことになる。
建物の年代を確かめる作業は、昭和30年代から40年代の解体修理とともに進んだ。乾櫓は昭和34年(1959年)、焔硝蔵と金蔵は昭和35年(1960年)、一番櫓は昭和40年(1965年)、六番櫓は昭和41年(1966年)、大手門は昭和42年(1967年)、多聞櫓・桜門・金明水井戸屋形は昭和44年(1969年)に解体修理を受けた。千貫櫓では昭和35年(1960年)からの修理で土台から「御柱立 元和六年九月十三日」の墨書が見つかり、柱を立てた日まで特定された。金明水井戸屋形が天守と同じ寛永3年(1626年)の建築と分かったのも、昭和44年(1969年)の修理の際である。
資料によって年代の書き方が分かれる棟もある。大手門は文化庁のデータベースで嘉永元年(1848年)頃とされる一方、大阪城公園は寛永5年(1628年)の創建で、嘉永元年(1848年)は修復の年と説明している。焔硝蔵は文化庁の各棟情報と大阪城公園の説明が貞享2年(1685年)とするのに対し、文化庁の解説文には寛文元年(1661年)とある。金蔵は宝暦元年(1751年)に二階建てで建てられ、天保8年(1837年)に平屋へ改められたとされる。現地で説明板を読む際は、この幅を頭に置いておくと混乱しにくい。
見どころ ― 4つの場所に分かれる大阪城の13棟
大阪城の13棟は城内に散らばっており、大きく大手口、西の丸、二の丸の南側、本丸の4か所にまとまっている。大阪城公園が案内する「指定文化財コース」も、大手門から歩き始めて金明水井戸屋形で13棟を回り終える順になっている。
大手口:大手門・多聞櫓・千貫櫓と塀3棟
大手門は城の正門で、追手門とも書く。形式は高麗門、屋根は本瓦葺。門の左右から延びる塀が大手門南方塀と大手門北方塀で、文化庁の記録では南方塀が矩折れで延長60.0メートル、銃眼9か所と石狭間14か所をもつ。北方塀は21.5メートルで銃眼3か所・石狭間7か所、多聞櫓の北に続く多聞櫓北方塀は20.3メートルで銃眼3か所・石狭間6か所。3棟を合わせると延長101.8メートルになる。塀の足元に目を落とすと、土台の石に切り込まれた狭間が間隔をおいて並んでいる。
高麗門をくぐると、石垣に囲まれた枡形に出る。この枡形の石垣の上に建ち、二の丸への出入口となる大門を組み込んでいるのが多聞櫓である。大門の上をまたいで東西に延びる渡櫓と、その東端から直角に折れて南へ延びる続櫓からなり、大門の扉は鉄板張りになっている。面積は合わせて710.25平方メートル、高さは約14.7メートル。大阪市の資料によると、渡櫓の中は中央の約70畳敷を挟んで約50畳敷の部屋が両側に並び、続櫓には幅約2.7メートルの廊下と9畳・12畳・15畳の部屋が計6室ある。大門の真上には、門を破ろうとする敵に頭上から槍を落とす「槍落し」の仕掛けが設けられている。寛永5年(1628年)頃の創建と推定され、天明3年(1783年)の落雷で焼失したのち嘉永元年(1848年)に再建された。大阪城の他の枡形にも多聞櫓はあったが、現存するのはここだけである。
大手門の北側に建つ二重二階の隅櫓が千貫櫓である。大阪城公園は大手門を北から守る櫓と説明しており、大手口に攻め寄せる敵を側面から射る位置にある。元和6年(1620年)、作事を小堀政一(遠州)が指揮して建てられた。名前の由来は、織田信長の軍勢が本願寺を攻めた際、この付近の櫓からの横矢に手を焼き、銭千貫文を払ってでも取りたいと言い合ったことにあると伝えられる。床面積は1階217.26平方メートル、2階162.95平方メートル、延べ380.21平方メートルで、内部は上下階とも回廊の内側に4室ずつ部屋が並ぶ。大手門の手前から見上げると、石垣の上に千貫櫓と多聞櫓が並ぶ。
西の丸:乾櫓と焔硝蔵
乾櫓は西の丸の北西、戌亥(いぬい)の隅を守る櫓で、千貫櫓と同じ元和6年(1620年)に小堀政一の設計で建てられた。平面はL字形で、1階と2階がともに186.23平方メートルという総二階造り。この形の櫓は珍しい。大手口から京橋口までを見渡せ、城外の南・西・北のどこからも正面に見えたことから「三方正面の櫓」とも呼ばれた。堀に面した西と北の壁の中央には、切妻破風をかぶせた張出し式の石落しが付く。西外堀の対岸から眺めると、この張出しの位置がよく分かる。
焔硝蔵は黒色火薬を納めた火薬庫である。文化庁の記録では石造、一重、寄棟造、本瓦葺。壁・床・天井のすべてを花崗岩の切石と漆喰で固めて引火を防いでおり、大阪城公園の説明によると、この構造の焔硝蔵で現存するのはここだけという。建物は有料区域の西の丸庭園の中にある。
二の丸の南側:六番櫓と一番櫓
二の丸の南面、南外堀に沿った城壁には、かつて7棟の隅櫓が並んでいた。いま残るのは六番櫓と一番櫓の2棟だけで、どちらも二重二階・本瓦葺である。六番櫓は寛永5年(1628年)の造営で、先に触れたとおり初期の千貫櫓・乾櫓との違いを比べられる。一番櫓は7棟のうち最も東にあったのでこの名があり、玉造門を側面から守る役目を負っていた。南外堀の外側の園路を歩くと、水面越しに2棟を順に眺められる。
本丸:桜門・金蔵・金明水井戸屋形
桜門は本丸への入口に建つ高麗門で、文化庁の記録では本瓦葺。慶応4年(1868年)の戊辰の役で焼失し、明治20年(1887年)に陸軍が徳川時代の様式のまま建て直した。13棟のうち明治の建物はこの1棟だけである。
金蔵(きんぞう)は幕府の金貨・銀貨を納めた蔵で、文化庁の記録では土蔵造、一重、寄棟造、本瓦葺。腰壁は生子壁で、防火・防湿・盗難防止のための厳重な造りが見られる。いまの姿は、天保8年(1837年)に二階建てから平屋へ改められたときのものである。
金明水井戸屋形は小天守台の上にある井戸を覆う建物で、桁行1間・梁間1間、一重、切妻造、本瓦葺。石造の井戸枠も指定に含まれる。この井戸には、豊臣秀吉が水を清めるために黄金を沈めたという伝承がある。大阪城天守閣によると、昭和34年(1959年)の大坂城総合学術調査で井戸内を掘ったところ豊臣期にさかのぼる遺物は見つからず、井戸はすべて徳川期に築かれたものと考えられるようになった。本来は「黄金水」と呼ばれた井戸で、当時の新聞には井戸枠から水面まで28.2メートルと報じられている。寛文5年(1665年)に天守が焼けたあとも、屋形は焼け残った。
見学方法 ― 大阪城の13棟を見るには
大阪城の13棟は、大部分を大阪城公園の園路から無料で見られる。大手門・塀3棟・多聞櫓・千貫櫓は大手口で、乾櫓は西外堀の外側から、六番櫓と一番櫓は南外堀沿いから、桜門と金蔵は本丸で外観を確かめられる。外観は園路から撮影できる。
焔硝蔵は西の丸庭園の中にあるため、庭園の入園料が必要になる。大阪市の案内によると、西の丸庭園の開園時間は3月から10月が午前9時から午後5時、11月から2月が午前9時から午後4時30分で、入場券の販売は閉園の30分前まで。月曜日(休日の場合は翌平日)と年末年始は休園となる。
多聞櫓・千貫櫓・乾櫓の内部は、期間を限った特別公開のときだけ入れる。大阪市の発表によれば、令和8年(2026年)は多聞櫓と千貫櫓の2棟を春(3月14日から5月24日)と秋(9月5日から11月29日)の土曜・日曜・祝日に公開し、秋は9月19日から27日まで平日も含めて連日公開する。乾櫓は夏(7月18日から8月16日)の土曜・日曜・祝日に1棟だけ公開された。公開時間は午前10時から午後4時30分(チケット販売は午後3時30分まで、最終入場は午後4時)。櫓の入場料と西の丸庭園の入園料を合わせた櫓共通券は大人(高校生以上)900円、小人(中学生以下)300円で、天守閣の入館料も含むセット券は大人2,000円、高校生・大学生1,400円。チケットは西の丸庭園の受付で扱う。櫓内部での撮影の条件は、公開時に現地の案内で確かめてほしい。
金明水井戸屋形は小天守台の上、天守閣の入口付近にある。天守閣の開館時間は午前9時から午後6時(入館は午後5時30分まで)、入館料は大人1,200円、大学生・高校生600円で、休館日は12月28日から1月1日。
最寄りの駅は複数ある。大手門から大阪城の13棟を順に回るなら、Osaka Metro谷町線・中央線の谷町四丁目駅(谷町線は1-B番出口、中央線は9番出口)が便利である。ほかにOsaka Metro谷町線と京阪電車の天満橋駅、Osaka Metro中央線・長堀鶴見緑地線とJR大阪環状線の森ノ宮駅、JR大阪環状線の大阪城公園駅、Osaka Metro長堀鶴見緑地線の大阪ビジネスパーク駅、JR東西線の大阪城北詰駅も使える。大阪市の案内では、西の丸庭園まで谷町四丁目駅9番出口・天満橋駅・森ノ宮駅からそれぞれ徒歩約15分、大阪城公園駅から徒歩約20分とされている。料金と日程は令和8年(2026年)9月時点の情報である。
Q&A
- 大阪城の重要文化財は何棟で、どの建物が指定されていますか?
- 大阪城の重要文化財は13棟で、昭和28年(1953年)に指定されました。大手門、大手門南方塀、大手門北方塀、多聞櫓北方塀、多聞櫓、千貫櫓、乾櫓、一番櫓、六番櫓、焔硝蔵、金蔵、金明水井戸屋形、桜門です。
- 大阪城の天守閣は重要文化財の13棟に含まれますか?
- 含まれません。現在の大阪城天守閣は昭和6年(1931年)に市民の寄付で建てられた3代目です。徳川期の天守は寛文5年(1665年)に落雷で焼失しており、13棟はいずれもそれとは別の門・櫓・蔵・塀などです。
- 大阪城の櫓の内部は見学できますか?2026年の特別公開の日程と料金は?
- 多聞櫓・千貫櫓・乾櫓は特別公開の期間だけ内部に入れます。2026年の多聞櫓・千貫櫓は春が3月14日から5月24日、秋が9月5日から11月29日の土曜・日曜・祝日(秋は9月19日から27日まで連日)で、乾櫓は7月18日から8月16日の土曜・日曜・祝日でした。時間は午前10時から午後4時30分、櫓共通券は大人900円、小人300円です。
- 大阪城に残る建物で最も古いのはどれですか?
- 千貫櫓と乾櫓で、どちらも元和6年(1620年)に建てられました。千貫櫓では解体修理の際に「元和六年九月十三日」に柱を立てたことを示す墨書が見つかっています。
- 大阪城の大手門へは何駅から行くのが近いですか?
- 大手門から見学を始めるなら、Osaka Metro谷町線・中央線の谷町四丁目駅(谷町線1-B番出口、中央線9番出口)が便利です。天満橋駅、森ノ宮駅、JR大阪城公園駅なども利用でき、大阪市の案内では谷町四丁目駅から西の丸庭園まで徒歩約15分です。
基本情報
| 名称 | 大阪城(大手門、大手門南方塀、大手門北方塀、多聞櫓北方塀、多聞櫓、千貫櫓、乾櫓、一番櫓、六番櫓、焔硝蔵、金蔵、金明水井戸屋形、桜門) |
|---|---|
| 所在地 | 大阪府大阪市中央区大阪城 |
| 指定区分 | 重要文化財(建造物) |
| 指定年 | 昭和28年(1953年)6月13日 |
| 員数 | 13棟 |
| 寸法 | 多聞櫓 面積710.25平方メートル・高さ約14.7メートル、千貫櫓 延べ380.21平方メートル、乾櫓 延べ372.46平方メートル、塀3棟 延長計101.8メートル |
| 所有者 | 国(文部科学省) |
| 公開状況 | 外観は大阪城公園の園路から無料で見学可。焔硝蔵は西の丸庭園内(有料)。多聞櫓・千貫櫓・乾櫓の内部は期間限定の特別公開時のみ |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)大阪城 大手門
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/2114
- 国指定文化財等データベース(文化庁)大阪城 塀(大手門南方塀)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/2115
- 国指定文化財等データベース(文化庁)大阪城 多聞櫓
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/2118
- 国指定文化財等データベース(文化庁)大阪城 千貫櫓
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/2119
- 国指定文化財等データベース(文化庁)大阪城 焔硝蔵
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/2123
- 国指定文化財等データベース(文化庁)大阪城 六番櫓
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/2122
- 文化遺産オンライン 大阪城 乾櫓
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/145818
- 大阪市「令和8年 重要文化財 大阪城の櫓YAGURA特別公開」を実施します
- https://www.city.osaka.lg.jp/keizaisenryaku/page/0000667742.html
- 大阪市総合コールセンター 大阪城西の丸庭園への行き方を教えてください。
- https://www.osaka-city-callcenter.jp/faq/detail.aspx?id=684
- 大阪城公園 モデルコース 指定文化財コース
- https://www.osakacastlepark.jp/model_cource/cultural_property.html
- 大阪城天守閣 豊臣石垣コラム「金明水」井戸と「銀水」井戸の調査
- https://www.osakacastle.net/toyotomi_stone_wall/column/1505.html
- 大阪城天守閣 ご利用案内
- https://www.osakacastle.net/guide/
- 大阪城天守閣 交通アクセス
- https://www.osakacastle.net/access/
最終更新日: 2026.09.16
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