下里・青山板碑製作遺跡とは:武蔵型板碑の石材を切り出した中世の遺跡

下里・青山板碑製作遺跡(しもざと・あおやまいたびせいさくいせき)は、埼玉県比企郡小川町にある鎌倉時代から戦国時代の板碑の製作遺跡で、平成26年(2014年)10月6日に国の史跡に指定された。

文化庁の記録では、指定基準は「生産施設その他経済・生産活動に関する遺跡」にあたる。文化庁の解説によると、外秩父山地の北東の裾、小川盆地にある。

板碑は、中世に造られた石製の供養塔婆の一種である。小川町によると、関東では主に緑泥石片岩が使われ、武蔵型板碑と呼ばれる。地元ではこの石を下里石、青石とも呼ぶ。

下里・青山板碑製作遺跡の発見と調査

文化庁によると、13世紀ごろから関東では仏教信仰の高まりを受けて、寺院の建立に加え、緑泥石片岩製の石塔である板碑の造立が盛んになった。小川町は板碑石材の有力な産地と考えられていた。

平成13年(2001年)に下里で加工された石材が採集されたことをきっかけに、小川町教育委員会が調査を始めた。小川町によると、平成21年(2009年)から割谷遺跡の測量と試掘調査、分布調査が進められ、割谷地区、西坂下前A地区、内寒沢地区など採掘の可能性がある地点が19か所確認された。

板碑をつくる工程

文化庁によると、割谷地区では緑泥石片岩の露頭と、大小のズリ(不要な石材)でできた幅50メートル、奥行き45メートルほどの平場が見られる。発掘調査では、矢穴の痕が残る岩塊、板碑形のケガキ線や溝状の掘り込みの残る石材、平鑿の削り痕が残る石材などが見つかり、採掘から板碑の形に加工するまでの工程が明らかになった。

小川町によると、板碑は採石、分割、成形、調整、彫刻、装飾の6段階を経て完成する。19か所の遺跡からは調整までの段階の石材しか見つかっておらず、梵字などを彫る工程はここでは行われていなかった。板碑の未成品が素材として各地に送り出されていたと考えられる。

出土した未成品の大きさや加工技術を町内外の板碑と比べた結果、割谷地区での採掘の最盛期は、関東で最も多く板碑が造られたとされる14世紀中ごろから15世紀後半であることが分かった。

下里・青山板碑製作遺跡の価値と見学

文化庁は、遺跡の規模と採掘の可能性がある地区の多さから、小川町で生産された板碑の量は膨大で、武蔵国における板碑の中心的な生産地だったと考えられるとしている。小川町は、関東で5万基を超えるとされる武蔵型板碑の中心的な生産地だったとみている。板碑の生産と流通だけでなく、中世の精神文化を知るうえでも重要な遺跡である。

現地の見学条件について、公的な案内は確認できなかった。遺跡は山中の採掘跡で、岩やズリの斜面は崩れやすい。見学を希望する場合は、事前に小川町教育委員会生涯学習課に問い合わせたい。

Q&A

Q下里・青山板碑製作遺跡はいつ国の史跡に指定されましたか?
A平成26年(2014年)10月6日に指定されました。
Q板碑とは何ですか?
A中世に造られた石製の供養塔婆の一種です。関東では緑泥石片岩を使った武蔵型板碑が造られました。
Q下里・青山板碑製作遺跡では何が行われていたのですか?
A板碑の石材を採掘し、板碑の形に整えるまでの加工が行われていました。梵字などを彫る工程はここでは行われていませんでした。
Q下里・青山板碑製作遺跡はいつ最も盛んだったのですか?
A割谷地区での採掘の最盛期は、14世紀中ごろから15世紀後半とされています。
Q下里・青山板碑製作遺跡は見学できますか?
A公的な見学案内は確認できません。小川町教育委員会に問い合わせてください。

基本情報

名称下里・青山板碑製作遺跡(しもざと・あおやまいたびせいさくいせき)
所在地埼玉県比企郡小川町
指定区分史跡
指定年平成26年(2014年)10月6日指定
員数採掘の可能性がある地点19か所
寸法割谷地区の平場:幅約50メートル、奥行き約45メートル
所有者文化庁の記録に記載なし
公開状況公的な見学案内は確認できず

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「下里・青山板碑製作遺跡」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/00003858
文化遺産オンライン「下里・青山板碑製作遺跡」
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/273516
小川町「下里・青山板碑製作遺跡 割谷遺跡」
https://www.town.ogawa.saitama.jp/gyosei/sosiki/17/12/1/1145.html

最終更新日: 2026.09.28