旧中川煉瓦製造所ホフマン窯とは

旧中川煉瓦製造所ホフマン窯は、滋賀県近江八幡市船木町にある大正5年(1916年)頃の煉瓦を焼く窯で、平成17年(2005年)11月10日に国の登録有形文化財(建造物)となった(文化庁)。登録番号は25-0233で、員数は1所と数えられている。

文化庁の記録では、構造は煉瓦造で、長径55メートル、短径14メートル、煙突1基が付く。工場の敷地は市街地の北部にあり、窯はその中で八幡堀に接する位置を占める。

連続して焼くための輪形の窯

ホフマン窯は、煉瓦を休みなく焼き続けられるよう、焼成室を輪のようにつないだ窯である。経済産業省の資料によれば、日本では明治5年(1872年)に銀座煉瓦街の建設のため、東京近郊の小菅で初めて導入された。

旧中川煉瓦製造所ホフマン窯も、平面は南北に長い長円形で、長辺55メートル、短辺14メートルある(文化庁)。中央を走る煙道のまわりに、アーチを連ねた構造体がほぼ環状にめぐり、南寄りに高さ約30メートルの煙突が立つ。

外壁は長手の段と小口の段を交互に積むイギリス積で、アーチ形の開口部が並ぶ(文化庁)。

登録有形文化財としての価値

文化庁は旧中川煉瓦製造所ホフマン窯を、残っている例の少ないホフマン窯の一つとし、「再現することが容易でないもの」の基準で登録した。

経済産業省の「近代化産業遺産群33」は、近代に建てられたホフマン窯のうち窯の本体が残るものは、埼玉県深谷市・京都府舞鶴市・栃木県野木町の窯と、この窯の4つにとどまるとしている。近江八幡市の文化財保存活用地域計画も、市内の近代化遺産の例としてこの窯を挙げる。

見どころ

まず見たいのは、窯の南寄りに立つ高さ約30メートルの煙突である(文化庁)。窯の本体は南北55メートルにわたって低く延び、その外壁にアーチ形の開口部が繰り返し開く。

開口部の上のアーチと、イギリス積の壁面の段の重なりは、近づくほどはっきり見分けられる。旧中川煉瓦製造所ホフマン窯は八幡堀に面しているので、堀の側からも煙突の位置が分かる。

見学について

旧中川煉瓦製造所ホフマン窯の内部公開について、所有者や自治体による公的な案内は確認できなかった。窯の内部には入れず、外観を敷地の外から見る形になる。

場所はJR近江八幡駅から北西へ直線でおよそ2キロメートル、八幡堀に面した旧中川煉瓦製造所の主敷地である。

Q&A

Q旧中川煉瓦製造所ホフマン窯はどこにありますか?
A滋賀県近江八幡市船木町、八幡堀に面した旧中川煉瓦製造所の敷地にあります(文化庁)。
Q旧中川煉瓦製造所ホフマン窯はいつ造られましたか?
A大正5年(1916年)頃です(文化庁)。
Q旧中川煉瓦製造所ホフマン窯の大きさは?
A長径55メートル、短径14メートルで、高さ約30メートルの煙突が付きます(文化庁)。
Q旧中川煉瓦製造所ホフマン窯の内部は見学できますか?
A内部公開の公的な案内は確認できませんでした。外観を敷地の外から見る形になります。
Q旧中川煉瓦製造所ホフマン窯が登録有形文化財になったのはいつですか?
A平成17年(2005年)11月10日です。登録番号は25-0233です(文化庁)。

基本情報

名称旧中川煉瓦製造所ホフマン窯(きゅうなかがわれんがせいぞうしょほふまんがま)
所在地滋賀県近江八幡市船木町字東澤田59-1
指定区分登録有形文化財(建造物)
指定年平成17年(2005年)11月10日登録
員数1所
寸法煉瓦造、長径55m、短径14m、煙突1基付
所有者文化庁データベースに記載なし
公開状況外観のみ(内部公開の公的な案内なし)

参考文献

旧中川煉瓦製造所ホフマン窯(国指定文化財等データベース)
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00004986
旧中川煉瓦製造所ホフマン窯(文化遺産オンライン)
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/181206
近代化産業遺産群33(経済産業省)
https://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/mono/creative/kindaikasangyoisan/pdf/isangun.pdf
近江八幡市文化財保存活用地域計画 第2章・第6章(近江八幡市)
https://www.city.omihachiman.lg.jp/material/files/group/102/dai2syou,dai6syou.pdf

最終更新日: 2026.11.01