寺が消えても残った一間社

稲荷神社境内社古宮神社本殿は、滋賀県野洲市小篠原の稲荷神社境内に建つ室町中期の神社本殿で、大正6年(1917年)4月5日に国の重要文化財に指定された。

この指定年月日には説明が要る。大正6年4月は古社寺保存法下の時期で、建造物は「特別保護建造物」として指定された。昭和25年(1950年)の文化財保護法施行によりこれらは重要文化財へ移行しており、一部の資料が指定年を昭和25年とするのはその経緯による。文化庁の台帳と野洲市の指定文化財一覧はいずれも大正6年4月5日、指定番号00691を記載する。

建物は小さく、意識していなければ通り過ぎる。拝殿の背後、一段高い壇上に三棟の社殿が並び、中央が稲荷神社本殿、向かって左が古宮神社本殿にあたる。国指定を受けているのは左の一棟だけである。

年紀のない建物を読む

文化庁台帳のこの物件の記載は、ほかの物件と比べて素っ気ない。形式・材種・時代・指定年月日は載るが、多くの登録に付される解説文が空欄になっている。棟札も造営文書も伝わらず、年代の根拠は建物そのものに置かれている。

記載が明示するのは形式である。一間社流造、こけら葺。流造は日本の神社本殿でもっとも数の多い形で、前流れの屋根が向拝側へ長く伸びて参拝者の頭上を覆う非対称の切妻をなす。一間社は小規模な部類に入るが、この本殿はその中では大きめに造られている。

年代を決めているのは細部である。現地案内板は、木鼻の意匠が禅宗様の系譜を引く点、および正面の鴨居上の欄間と蟇股に唐草文の彫刻が施される点を挙げ、室町時代の造営と推定している。もうひとつ見るべきは縁の下だ。隣の稲荷神社本殿が縁束で床を支えるのに対し、古宮神社本殿は腰組を用いる。建物全体が持ち上がり、浮いたようなシルエットになる。

合祀が運んできた社殿

稲荷神社の創祀年は確定していない。社の縁起書は、壬申の乱(672年)で野洲川原に斃れた人々を供養し鎮護国家を祈るために福林寺が建立され、天暦2年(948年)にその守護神として伏見稲荷大明神が寺域へ勧請されたと伝える。十六世紀の争乱で福林寺の伽藍は衰亡し、当社と塔頭一宇のみが残った。元禄16年(1703年)に社殿が現在地の沢の口へ遷され、あわせて正一位稲荷大明神の宗源宣旨を受けている。

古宮神社本殿がこの境内へ入ったのは、さらに後のことである。もとは十二所神社の本殿で、この社は廃寺となった福林寺一山の護法神として崇敬された由緒をもつ。稲荷神社は明治41年(1908年)に村社へ加列し、大正3年(1914年)に十二所神社・三神社・大神社・岩神神社の四社を合祀した。室町の本殿は、この合祀とともに移ってきた。壇上の一棟は周囲の境内より数百年古く、いまは存在しない寺院の、まとまった形で残る最後の遺構ということになる。

野洲市は中世社殿の密集地である。御上神社本殿と大笹原神社本殿はいずれも国宝で、市の指定文化財一覧には十指に余る国指定建造物が並ぶ。古宮神社本殿はその集積のなかの一棟であり、近接する大笹原神社境内社篠原神社本殿など同じ室町の一間社と見比べると、この地域の大工の手癖が見えてくる。

行き方と、行く前に知っておくこと

所在地は野洲市小篠原768番地1。JR琵琶湖線野洲駅の東およそ1.5キロ、徒歩約15分の距離にある。入口は国道8号に面し、境内は西向きという珍しい方角を取る。車なら栗東または竜王インターチェンジからで、社殿の裏手に駐車場が整備されている。

訪ねる前に想定を合わせておきたい。平常日は神職が常駐しておらず、拝観料はなく、内部への立ち入りもできない。三棟の社殿は壇上の塀の内側にあり、古宮神社本殿は塀の隙間越しに眺める形になる。境内の撮影を妨げるものはないが、広角より中望遠のほうが役に立つ場面が多い。

正面の拝殿は近年建て替えられており、参道の見た目は奥の社殿より新しい。境内が西を向く関係で、社殿の正面に光が回るのは午前中で、午後は日陰に入る。歩いて行ける範囲には、失われた福林寺の跡を示す福林寺跡磨崖仏があり、この本殿の来歴と直接つながっている。

Q&A

Q稲荷神社境内社古宮神社本殿は見学できますか。拝観料は必要ですか。
A境内は自由に入ることができ、拝観料はかかりません。本殿は壇上の塀の外側から眺める形になります。内部は公開されておらず、平常日は無人です。
Q稲荷神社境内社古宮神社本殿へは野洲駅からどう行きますか。
AJR琵琶湖線野洲駅から東へ約1.5キロ、徒歩15分ほどです。入口は国道8号に面しています。車の場合は社殿の裏手に駐車場があります。
Q古宮神社本殿はなぜ別の神社の境内にあるのですか。
A古宮神社はもと十二所神社といい、大正3年(1914年)に稲荷神社へ合祀された四社のひとつです。それ以前は廃寺となった福林寺の護法神として祀られていました。
Q稲荷神社境内社古宮神社本殿の指定年は大正6年ですか、昭和25年ですか。
A両方の記述が流通しています。古社寺保存法下の特別保護建造物としての指定が大正6年4月5日で、昭和25年の文化財保護法施行により重要文化財へ移行しました。文化庁と野洲市は大正6年を記載しています。
Q稲荷神社境内社古宮神社本殿はどのように室町中期と判断されたのですか。
A文書ではなく細部の意匠によります。禅宗様の木鼻、欄間と蟇股の唐草彫刻、軸部の割付などから室町時代の造営とされ、台帳は室町中期(1393年から1466年)としています。

基本データ

名称稲荷神社境内社古宮神社本殿
所在地滋賀県野洲市小篠原768番地1
指定区分重要文化財(建造物)/近世以前・神社
指定年大正6年(1917年)4月5日/指定番号 00691
員数1棟
寸法一間社流造、こけら葺(実測寸法は台帳に記載なし)
所有者稲荷神社
公開状況境内自由、拝観料なし。平常日は無人。内部非公開で、壇上の塀の外側からの外観拝観となる

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)稲荷神社境内社古宮神社本殿
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/1449
野洲市 野洲市の指定文化財
https://www.city.yasu.lg.jp/soshiki/rekishiminzoku/bunkazai/1450766178742.html
野洲市 オープンデータ 文化財
https://www.city.yasu.lg.jp/soshiki/bunkazaihogo/open/1607569788685.html
野洲市 文化財
https://www.city.yasu.lg.jp/soshiki/rekishiminzoku/bunkazai/index.html

最終更新日: 2026.08.11