ささや呉服店唐津蔵 ― いちばん地味な一棟と、その扉
津和野のさゝやの敷地に登録有形文化財が4棟。そのなかで、いちばん自分について語ることの少ない建物がこれである。文化庁の解説文は、この蔵の値打ちを一句で締めくくっている。「屋敷景観を整える一要素」。家紋もなく、腰の海鼠壁もなく、茶室じみた造作もない。敷地の西南に置かれた、漆喰塗りの箱。
数字を並べる。桁行6.7メートル、梁間3.7メートル、建築面積24平方メートル。土蔵造2階建、切妻造で桟瓦を葺く。同じ敷地の座敷蔵は、張り出した縁のせいで記録上の建築面積が寸法から導ける値を大きく超えるが、こちらは掛け算がほぼそのまま合う。外に出っ張っているものが何もない。基礎は割石、外壁は漆喰仕上げ。
入口は妻側、東面にある。面白いのはそこだ。
掛子塗 ― 火を通さない扉のつくり方
東面の出入口には瓦葺の庇が付き、その下に両開戸が吊られている。仕上げは掛子塗である。
掛子塗が解いているのは、蔵づくりで最も厄介な問題だ。壁は簡単である。骨組みのまわりに土を十分に塗り込めれば、火は通らない。扉はそうはいかない。扉には縁があり、縁は光の筋であり、光の筋は火の通り道になる。掛子塗はこれに対して、扉と枠を段状に噛み合わせるという答えを出した。木の下地の上に段を塗り重ね、扉を閉じたときに二つの平面が突き合わさるのではなく、段の凸列が対応する凹列に食い込むようにする。外から内への経路が、継ぎ目ではなく迷路になる。あとは水を打った土をかければ、掛子塗の戸を持つ蔵は町の大火をやり過ごし、中身を濡らさず焼かずに残す。
この仕事をするのは左官である。塗りで段の噛み合いをつくり、しかもそれを開閉する扉の上で成立させるのは、指物の精度に近い手仕事だが、扉を閉めてしまえば一切見えない。出入口の上には窓が穿たれ、銅製の片開戸が設けられている。銅を選ぶ理由は、通りに面した旧呉服蔵と同じである。燃えないからだ。
誰も説明していない名前
さゝやの3棟の蔵は、それぞれ違う理屈で名づけられている。旧呉服蔵は、納めていたもので呼ばれる。座敷蔵は、中にあるもの、つまり六畳の座敷で呼ばれる。唐津蔵は、唐津と呼ばれる。
この記事のために当たった資料のどれも、その理由を説明していない。文化庁のデータベースは名称と読み「ささやごふくてんからつぐら」を載せ、それ以上は何も述べない。唐津という語は、日本の陶磁に関心のある人には馴染みがあり、佐賀県の地名でもあるが、解説文はそのどちらにも触れておらず、この記事も触れない。この種の屋号めいた蔵の呼び名は、かつての用途、仕入先、何かの縁など、その家の私的な事情を抱え込んだまま、書き留められずに使われ続けることが多い。ここもそうかもしれない。そうでないかもしれない。
記録できるのは、その名が何を意味していたにせよ、2010年に国の登録簿へ記載されるところまで生き延びた、ということである。
登録の理由
登録告示は平成22年(2010年)9月10日、第68回登録、登録番号32-0154。基準はさゝやの4棟すべてに共通する「国土の歴史的景観に寄与しているもの」である。
この建物についての理由づけは、4棟のなかで最も示唆に富む。建物自体が平凡だからこそ、である。文化庁は、この蔵が優れた蔵だとは言っていない。この蔵が、まとまりのある一つの屋敷の一角を支えている、と言っている。取り去れば残る3棟が何かを失う。商家とは一棟の建物ではなく、建物の配置だからだ。通りに店、その脇に装われた蔵、奥に働く蔵。特定の敷地の上で、特定の関係を結んで立っている。
平成8年(1996年)の文化財保護法改正で生まれた登録制度が捉えようとしたのは、この水準の価値だった。国宝・重要文化財の指定は、傑出した個々の作品を選び出し、強く規制する。登録は逆方向に働く。おおむね築50年以上を経て歴史的景観に寄与する建物を広く対象とし、所有者には修理も改修も使用の継続も許し、届出を求めるのは外観の大きな変更のときだけとする。現役の商家の裏庭に立つ地味な蔵は、古い制度には守る手段も、守る理由もなかったものである。
年代について
文化庁は年代を江戸末期、西暦1830〜1867年とし、後年の改修は記録していない。さゝやの他の3棟のうち2棟には昭和44年(1969年)および昭和40年頃(1965年頃)の改修が記録されているが、この蔵にはない。
幅は広く、津和野の歴史がそれを圧縮する。嘉永6年(1853年)、城下町は全域が焼けた。津和野町は、いま建っているまちなみがその大火以降の建物で占められると述べ、直後の時期から残る建物としてささや呉服店を挙げている。さゝやは呉服商としての創業を安政元年(1854年)とする。この読みに従えば、この蔵も1850年代半ばの復興に属し、文化庁の広い年代幅は説の対立ではなく建築記録の欠落を反映していることになる。年を記した資料は、どこにも見当たらない。
見るには
唐津蔵は私有で非公開、しかも敷地の西南にあって本町通りからは見えない。見学の手段はない。この建物の掛子塗の戸を実見したいと考えた読者には、残念ながらその方法がない。
ただし技法そのものは珍しいものではなく、津和野はそれを探すのに適した町ではある。この一帯を含む後田・橋北地区の保存地区は平成25年(2013年)8月7日に選定され、区内には蔵が点在している。掛子塗の戸は多くの蔵に見られ、昼間は開け放たれていることが少なくない。段の噛み合いが見えるのは、開いているときだけだ。開いた蔵の戸の合わせ口を覗き込めば、断面が分かる。
さゝや自身については、通りに面した店舗兼主屋が営業時間中に開いていて、きものや漆工芸品、和の小物を扱っている。その隣の旧呉服蔵は公道から観察できる。津和野駅からは徒歩5分ほど、店に駐車場がある。
Q&A
- 唐津蔵は見られますか。
- 見られません。私有の非公開建物で、敷地の西南にあるため通りからも視認できません。さゝやの登録4棟のうち、入れるのは店舗兼主屋の一階のみ(営業時間中に客として)、公道から見えるのは店舗兼主屋と旧呉服蔵の2棟です。
- 掛子塗とは何ですか。
- 蔵の戸に用いる左官技法で、戸と枠を段状に塗り重ね、閉じたときに互いに噛み合うようにしたものです。二つの平面が一本の継ぎ目で合わさるのではなく、塗り上げた凸の段が対応する凹に食い込むため、火が継ぎ目を直進できません。戸を閉めると外からは見えなくなる仕事です。
- なぜ「唐津蔵」という名前なのですか。
- 名称の由来は、文化庁の記録にも、今回参照した他の公開資料にも説明がありません。データベースは名称と読みを載せるのみです。蔵の呼び名は、その家の私的な由来を書き留められないまま伝えていることが多く、ここもそうである可能性はありますが、特定の説明を裏づける資料はありません。
- 解説文が「一要素」と呼ぶ建物を、なぜ登録するのですか。
- 登録制度が守ろうとしているのが、個々の卓越性ではなく歴史的景観への寄与だからです。商家は建物の配置として成立しており、各棟がその配置の一部を支えています。傑出した作品を一件ずつ選び出す重要文化財の指定とは、この点で発想が異なります。
- 妻入とはどういう意味ですか。
- 屋根の三角形が見える短い側(妻側)から出入りする形式を指します。長い側から入る平入に対する語です。この蔵は妻入で、東面に瓦葺庇付きの出入口を設けています。
基本情報
| 名称 | ささや呉服店唐津蔵(ささやごふくてんからつぐら) |
|---|---|
| 区分 | 登録有形文化財(建造物) |
| 登録番号 | 32-0154(第68回登録) |
| 登録告示年月日/登録年月日 | 平成22年(2010年)9月10日 |
| 登録基準 | 国土の歴史的景観に寄与しているもの |
| 員数 | 1棟 |
| 時代・年代 | 江戸末期(1830〜1867年)/後年の改修の記録なし |
| 構造及び形式等 | 土蔵造2階建、瓦葺、建築面積24平方メートル |
| 規模 | 桁行6.7メートル、梁間3.7メートル。切妻造妻入 |
| 細部 | 割石基礎、外壁漆喰仕上げ。東面に瓦葺庇付の出入口、掛子塗の両開戸。上部の窓に銅製の片開戸 |
| 種別 | 産業3次/建築物 |
| 所在地 | 島根県鹿足郡津和野町後田字本町ロ213(敷地の西南) |
| 所有者 | 合名会社さゝや |
| 公開状況 | 非公開(通りからは見えない位置にある) |
| 周辺 | 津和野重要伝統的建造物群保存地区内(平成25年8月7日選定)。JR津和野駅から徒歩約5分 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース「ささや呉服店唐津蔵」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00008362
- 文化庁 国指定文化財等データベース「ささや呉服店座敷蔵」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00008360
- 文化庁 国指定文化財等データベース「ささや呉服店店舗兼主屋」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00008359
- 津和野町「津和野伝統的建造物群保存地区」
- https://www.town.tsuwano.lg.jp/www/contents/1464654399594/index.html
- 全国伝統的建造物群保存地区協議会「津和野町津和野」
- https://www.denken.gr.jp/archive/tsuwano-tsuwano/index.html
- 津和野の呉服司 さゝや「ささやについて」
- https://sasaya-kimono.com/pages/about
最終更新日: 2026.07.16