学者町の表構え
松井家住宅表門及び塀は、東京都文京区西片二丁目にある昭和7年(1932年)頃の建造物で、令和6年(2024年)12月3日に登録有形文化財(建造物)として登録された。通りに南面して構え、非公開の住宅の外側だけが公共の視線に開かれている。
門と塀が単独で登録対象になることに違和感を覚える向きもあろうが、日本の住宅建築において表構えは付随物ではない。門・塀・その背後に覗く屋根の連なりは、近隣が日々読み取る住まいの顔であり、住み手が容易に取り替えられない部分でもある。ここで守られているのは、建物であると同時に通りの側の景観である。
西片という土地の履歴が効いている。この一帯は備後福山藩阿部家の丸山中屋敷で、維新後も阿部家が住み続け、屋敷地の一部を自ら高級住宅地として開発した。東京帝国大学と第一高等学校に近く、学者や文人が相次いで居を構えたことから、明治末期には学者町と呼ばれるようになる。夏目漱石が住み、樋口一葉は現在の西片一丁目で晩年を過ごした。関東大震災と東京大空襲の被害をいずれも免れており、戦前の住宅が今日まで残った理由もそこにある。
登録記録が記す構造
文化庁の解説文によれば、表門は切妻造平入桟瓦葺、軒先を銅板葺とし、上部にさらに桟瓦葺の屋根を載せて二重に見せる。柱には出節丸太を用い、上質なつくりと評価されている。間口は3.3メートル。
むしろ意表を突くのは塀のほうである。鉄筋コンクリート造の万年塀で、総延長20メートル。溝を切った支柱に板状の部材を落とし込む形式は戦後の住宅地でありふれた存在になったが、昭和7年の時点では一般的とは言い難い。しかもここでは打ち放しにせず、外壁をモルタル塗の洗出し仕上げとし、骨材を表面に浮かせている。門とともに風格ある表構えをつくる、というのが解説文の結語である。
同じ敷地では同日に他の二棟も登録された。昭和7年の主屋は、木造2階建、入母屋造銅板葺の東西棟で、西に入母屋造の玄関棟を突出させる。内部は中廊下式平面をとり、南庭に面して和洋の居室を配し、南東座敷は残月床風の構えなど数寄屋意匠でまとめる。加えて昭和2年(1927年)の蔵がある。文化庁の解説文は、この住宅を実業家の住まいと記す。
紛らわしい点をひとつ整理しておきたい。京都市伏見区深草にも登録有形文化財の「松井家住宅主屋(旧中井産院)」があり、こちらは平成31年(2019年)の登録である。姓が同じだけで、文京区の松井家住宅とは無関係である。
外から見るという鑑賞
現に人が暮らす個人住宅であり、拝観料も公開日も予約窓口も存在しない。見られるものはすべて通りから見える範囲にある。この物件に関しては、それが欠落ではなく本質に近い。
まず離れて、二重に見せた屋根を全体で捉えたい。主屋根の上に小ぶりな桟瓦葺を載せる手法は、間口3.3メートルという寸法から予想される以上の高さと影の量を門に与えている。歩く速度で、道の向かい側から効く操作である。次に近づいて柱を見る。節が手掛かりになる。格式の側に寄せるなら清浄な角材を使うところを、あえて節の出た丸太で通した。教養によって上質を語ろうとする選択で、金額の誇示とは方向が違う。
塀と門の取り合いでは、材と手触りの切り替わりを見る。木と粘土瓦が、洗い出した石を纏うコンクリートへ、わずか1メートルほどのあいだで入れ替わる。昭和7年の造作大工の仕事と工業的技術が、この幅で接している。洗出し仕上げがなければ、この塀は土木構造物の顔になっていただろう。西日が強い時間帯には、露出した骨材がわずかに光を返す。
歩く範囲は広げるに値する。西片には数ブロックの内に他の登録物件が点在する。西片二丁目の田口家住宅主屋と今井家住宅蔵、西片一丁目の梅村家住宅(旧山崎家住宅)主屋及び門。街路の骨格は阿部家の開発を引き継いだもので、道は今も当時のままに折れ、狭まる。最寄りは東京メトロ南北線の東大前駅、都営三田線の白山駅、本郷三丁目駅で、いずれも徒歩10分前後。通りからの撮影に特段の制限は示されていないが、塀の背後には生活がある。
Q&A
- 松井家住宅表門及び塀は見学できますか?
- 門と塀は西片二丁目の公道に面しており、外からはいつでも見ることができます。背後の建物は個人の住宅で、内部公開・公開日・予約の受付はいずれもありません。文化財としての登録は、所有者に公開の義務を課すものではない点にご留意ください。
- 松井家住宅で表門及び塀だけが登録されたのはなぜですか?
- 単独登録ではありません。令和6年(2024年)12月3日に、昭和7年の主屋、昭和2年の蔵、昭和7年頃の表門及び塀の三件が同時に登録されています。住宅の敷地内の建造物を棟ごとに別件として扱うのは、登録有形文化財では通常の運用です。
- 松井家住宅の塀はどのような構造ですか?
- 鉄筋コンクリート造の万年塀で、総延長は20メートルです。外壁はモルタル塗の洗出し仕上げとし、骨材を表面に出しています。住宅の外周塀に鉄筋コンクリートを用いる例は、昭和7年頃としては早い部類に入ります。
- 松井家住宅表門及び塀への行き方は?
- 文京区西片二丁目、本郷台地の西側斜面上に位置します。東京メトロ南北線の東大前駅、都営三田線の白山駅、本郷三丁目駅からいずれも徒歩10分前後。周辺は道幅の狭い住宅地で、徒歩以外の手段は現実的ではありません。
- 文京区の松井家住宅は京都の松井家住宅と同じ家ですか?
- 別物です。京都市伏見区深草の「松井家住宅主屋(旧中井産院)」は平成31年(2019年)登録の登録有形文化財で、文京区西片の松井家住宅とは所有・系譜ともに関係がありません。同姓の物件が各地に存在するため、検索時には所在地での確認をおすすめします。
基本情報
| 名称 | 松井家住宅表門及び塀(まついけじゅうたくおもてもんおよびへい) |
|---|---|
| 所在地 | 東京都文京区西片二丁目10-65(文化庁データベース。文京区の一覧では西片2-4-2と記載) |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物) 登録番号 13-0512 第108回登録 |
| 指定年 | 令和6年(2024年)12月3日 |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 表門 木造、瓦葺一部銅板葺、間口3.3m/塀 鉄筋コンクリート造、総延長20m |
| 所有者 | 個人(国指定文化財等データベース非公開) |
| 公開状況 | 個人住宅につき内部非公開。門及び塀は公道から鑑賞可能 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース 松井家住宅表門及び塀
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00015154
- 文化遺産オンライン 松井家住宅主屋
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/605806
- 文京区 国登録文化財
- https://www.city.bunkyo.lg.jp/b047/p004380.html
- 文化庁 登録有形文化財(建造物)
- https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/yukei_kenzobutsu/toroku_yukei.html
最終更新日: 2026.08.23