川を失い、名前を二つ持った橋

旧弾正橋(八幡橋)(きゅうだんじょうばし/はちまんばし)は、東京都江東区富岡一丁目にある明治11年(1878年)製の鉄橋で、昭和52年(1977年)6月27日に国の重要文化財に指定された。長さ15.2メートル、単径間のタイドアーチ橋。そして現在、この橋は水の上に架かっていない。移設先の堀が埋め立てられたため、富岡八幡宮の東隣、八幡堀遊歩道の掘り下げられた区間をまたぐ形で残っている。

もとは別の場所にあった。明治11年11月、京橋区(現在の中央区)の楓川に架けられた道路橋で、馬場先門と本所・深川を結ぶ主要街路の一つに位置していた。橋の名は、近くにあった島田弾正の屋敷に由来する。その楓川も今は無い。戦後に埋め立てられ、上を首都高速都心環状線が通っている。

製作は工部省赤羽製作所。現在の港区三田付近にあった官営工場で、鋳物場・鍛冶場・製缶場からなり、本来は諸機械や蒸気機関を作る工場だった。形式はアメリカの技術者スクワイヤー・ウィップルが特許を取得したトラスに基づく。設計はアメリカで工学を学んだ松本荘一郎とされるが、この帰属は国の台帳ではなく二次資料に依っている。

二つの金属で組まれた構造

この橋が守られるべき理由を、国の台帳は技術的な一行で言い切っている。アーチ部分が鋳鉄、他は錬鉄からなり、現在では見られない珍しい材の組み合わせ方をもつ、と。読み飛ばしやすい一文だが、ここに全部が入っている。

鋳鉄は圧縮に強く、引張には信頼できない。錬鉄はその逆である。タイドアーチでは湾曲した上弦材が押され、その下の引張材が引かれる。赤羽製作所の職工たちは、押される場所に鋳鉄を、引かれる場所に錬鉄を置いた。アーチ材は一体鋳造ではなく、長さ約3メートルの鋳鉄部材5本を接合して作られたと考えられている。明治11年当時、鋳鉄の溶接は現実的でなかったためだ。錬鉄の引張材にはねじ加工が施され、締結された。

結果としてこの橋は、技術史の蝶番にあたる位置に立っている。日本の鉄橋は鋳鉄から錬鉄、さらに鋼へと進んだが、八幡橋はその過渡期に属し、前二者を適材適所で同時に使っている。文化庁は「東京に架けられた最初の鉄橋」であり土木技術史上貴重な遺構と記す。現存する国産最古の鉄橋という説明も広く用いられている。

評価は海外からも来た。平成元年(1989年)、米国土木学会がこの橋に土木学会栄誉賞を贈っている。日本国内の構造物としては初の受賞だった。ウィップル型は本国アメリカでも現存例が少なく、八幡橋はその標準設計に忠実に作られている点が評価された。記念プレートは橋の下の遊歩道に設置されている。

見どころと行き方

まず下弦材の格点、ピンの頭を見てほしい。それぞれに菊の御紋をかたどった飾りが付く。官営工場での製造を示すものと言われ、橋では他に例がない。ただし同じ時期に赤羽製作所で作られた杉並区の妙法寺鉄門にも、似た飾りが見られる。

次に幅の狭さである。楓川で道路橋として働いていたころ、この橋の幅は9.1メートル(5間)あった。大正2年(1913年)に約50メートル北へ新しい弾正橋が架けられた後も、元弾正橋の名で使われ続けたが、関東大震災の復興事業に伴う道路拡幅で廃橋となる。移設工事は昭和3年12月から昭和4年5月にかけて行われ、その際に有効幅員は2.0メートルまで削られた。今の姿は、道路橋の鉄骨をまとった人道橋である。支間の割に構えが重く見えるのはそのためだ。

床版も当初のものではない。鋼桁に鋼板を溶接した構造で、昭和40年(1965年)ごろに木造から改められたと言われる。昭和51年(1976年)には下の油堀川支川が埋め立てられ、平成2年(1990年)の景観整備で旧堀割が遊歩道となり、現在の情景ができあがった。

料金も門も閉鎖時間もない。生活道路として現役の人道橋であり、渡ることが前提になっている。鉄の仕事ぶりをきちんと見るなら、階段を降りて遊歩道に立ち、桁裏を見上げるとよい。アーチ材と引張材の材質の違いが最も読み取りやすいのはこの角度である。東京メトロ東西線・都営大江戸線の門前仲町駅から徒歩5分ほど。富岡八幡宮、深川不動堂、深川江戸資料館がいずれも徒歩圏にあるため、この橋だけを見に行くより、深川を半日歩く行程に組み込むほうが収まりがよい。

Q&A

Q旧弾正橋(八幡橋)は渡ることができますか。見学料はかかりますか。
A渡れます。料金もかかりません。八幡堀遊歩道の人道橋として日常的に使われており、門も入場券も閉鎖時間もありません。自転車での通行は適しておらず、鉄の部材によじ登ることも避けてください。
Q旧弾正橋(八幡橋)はどこにありますか。最寄り駅は。
A東京都江東区富岡一丁目、富岡八幡宮のすぐ東側にある八幡堀遊歩道に架かっています。東京メトロ東西線・都営大江戸線の門前仲町駅から徒歩5分ほどです。
Q旧弾正橋(八幡橋)にはなぜ名前が二つあるのですか。
A明治11年に京橋区の楓川へ架けられたときの名が弾正橋で、近くにあった島田弾正の屋敷に由来します。昭和4年に深川へ移されたとき、隣接する富岡八幡宮にちなんで八幡橋と改称されました。国の台帳には両方の名が併記されています。
Q旧弾正橋(八幡橋)はなぜ重要文化財に指定されているのですか。
A材料の組み合わせが理由です。アーチ部分が鋳鉄、その他の部材が錬鉄という構成で、他に現存例がなく、鋳鉄橋から錬鉄橋へ移る過渡期の橋として位置づけられます。文化庁は東京に架けられた最初の鉄橋であることも記録しています。
Q旧弾正橋(八幡橋)は日本最古の鉄橋なのですか。
A現存する国産最古の鉄橋として紹介されることが多く、文化庁は「東京に架けられた最初の鉄橋」と明記しています。日本最古かどうかは何をもって鉄橋と数えるかで変わるため、台帳の表現に沿って理解するのが確実です。

基本情報

名称旧弾正橋(八幡橋)(きゅうだんじょうばし/はちまんばし)
所在地東京都江東区富岡一丁目
指定区分重要文化財(国指定)
指定年昭和52年(1977年)6月27日
員数1基
年代明治11年(1878年)/明治
寸法長さ15.2メートル、有効幅員2.0メートル(当初は9.1メートル)
構造・形式鉄製、単径間アーチ橋(タイドアーチ)。アーチ部分は鋳鉄、他は錬鉄
所有者東京都江東区
公開状況人道橋として常時通行可、見学料なし

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「旧弾正橋(八幡橋)」
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/554
文化遺産オンライン「旧弾正橋(八幡橋)」
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/121364
江東区「旧弾正橋(八幡橋)」
https://www.city.koto.lg.jp/103020/bunkasports/bunka/bunkazaisiseki/kenzobutsu/15097.html
土木学会 選奨土木遺産
https://committees.jsce.or.jp/heritage/

最終更新日: 2026.08.22