判屋船越家住宅裏門とは

判屋船越家住宅裏門は、鳥取県米子市天神町二丁目にある判屋船越家の屋敷の南辺に、東蔵と西蔵の間で南を向いて建つ明治後期(1898〜1912年)の棟門で、令和3年(2021年)10月14日に登録有形文化財に登録された。木造、桟瓦葺で、間口は2.7メートルである。

判屋船越家の屋敷は、道路側に主屋、中ほどに庭、南辺に2棟の土蔵を配する。米子市によれば、判屋船越家住宅裏門はその土蔵の間に設けられ、屋敷と裏手の土地との境を仕切っている。道路に面した主屋の大戸に対し、こちらは屋敷の奥の側に開く出入口である。

年代は文化庁のデータベースで明治後期とされ、11代清太郎が明治33年(1900年)から3年をかけて進めた建て直しの時期と重なる。

判屋船越家住宅裏門の登録理由と価値

判屋船越家住宅裏門の登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」である。文化庁の解説は「小規模ながらも旧家の格式を示す裏門」と評している。

判屋船越家住宅裏門は間口2.7メートルの小さな門だが、屋根を載せた棟門とし、腕木に絵様を彫り、欄間を入れ、軸部と軒まわりを弁柄で塗っている。文化庁の解説は、こうした裏手の門のつくりに、船問屋として続いた旧家の格式が表れていると見ている。

判屋船越家住宅裏門のつくり

判屋船越家住宅裏門は、2本の主柱の上に直接屋根を載せる棟門の形式をとる。主柱の間には両開きの板戸を吊り、戸の上の内法より上には横連子の欄間を入れる。横に細い桟を並べた欄間は、門を閉じたままでも上部から光と風を通す。

軒を支えるのは、柱から前後に突き出した二段の腕木である。下の段の腕木には絵様と呼ばれる彫刻の模様が施され、その上の腕木とともに軒桁を受ける。小さな門の見せ場はこの軒下にある。文化庁のデータベースには軒裏を写した写真が掲載されており、腕木の重なりが確認できる。

柱や扉などの軸部と軒まわりは、いずれも弁柄塗で仕上げられている。弁柄は酸化鉄を主成分とする赤い顔料で、木部の保護と装飾を兼ねる。白い漆喰壁の東蔵・西蔵に挟まれて、赤い門が立つ構図になる。

判屋船越家住宅裏門の見学

判屋船越家住宅裏門は個人の屋敷の一部で、門の内側へは入れない。門は南を向いて屋敷の裏手に面しており、主屋の前の通りから見えるのは主屋の正面である。

門の外側、つまり南側の土地が公道に面しているかどうかは確認できていない。外から門を見られる場所があっても、扉の前に立ち止まって中をのぞき込んだり、敷地に立ち入ったりしないようにしたい。屋敷全体の行き方は判屋船越家住宅のページにまとめてある。

Q&A

Q判屋船越家住宅裏門は見学できますか?
A屋敷の内側には入れません。判屋船越家住宅裏門は屋敷の裏手にあり、外側から見られる場所があるかどうかは確認できていません。
Q判屋船越家住宅裏門はいつ建てられましたか?
A文化庁のデータベースでは明治後期(1898〜1912年)です。米子市が説明する明治33年(1900年)からの屋敷の建て直しの時期にあたります。
Q判屋船越家住宅裏門の「棟門」とはどんな門ですか?
A2本の主柱の上に直接屋根を載せた門の形式です。判屋船越家住宅裏門では、二段の腕木で軒桁を支えています。
Q判屋船越家住宅裏門はなぜ赤いのですか?
A柱などの軸部と軒まわりを弁柄で塗っているためです。弁柄は酸化鉄を主成分とする赤い顔料です。
Q判屋船越家住宅裏門はなぜ登録有形文化財になったのですか?
A「国土の歴史的景観に寄与しているもの」として、令和3年(2021年)10月14日に登録されました。文化庁は、小規模ながら旧家の格式を示す裏門と評価しています。

基本情報

名称判屋船越家住宅裏門
所在地鳥取県米子市天神町2丁目37他
指定区分登録有形文化財(建造物)
指定年令和3年(2021年)10月14日登録
員数1棟
寸法木造、瓦葺、間口2.7m
所有者個人
公開状況非公開(個人宅の敷地内)

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「判屋船越家住宅裏門」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00014084
米子市「国登録有形文化財 判屋船越家住宅主屋、東蔵、西蔵、裏門」
https://www.city.yonago.lg.jp/36781.htm
ストリートミュージアム「米子城」(監修:米子市)
https://www.streetmuseum.jp/historic-site/shiro/2026/10/14/295/

最終更新日: 2026.10.14