今も子どもが通う重要文化財

旧高野口尋常高等小学校校舎(きゅうこうやぐちじんじょうこうとうしょうがっこうこうしゃ)は、和歌山県橋本市高野口町名倉にある昭和12年(1937年)建設の木造校舎で、平成26年(2014年)1月27日に国の重要文化財に指定された。

名称は戦前の校名を用いている。学校が廃校になったわけではない。現在も橋本市立高野口小学校として使われ、指定された建物の中に教室がある。火曜日の午前に子どもが算数の授業を受けている国指定重要文化財は、全国を見渡してもごくわずかで、この事実が見学のあり方を規定している。

木造としては規模が大きい。建築面積は3,543.72平方メートル、全体が平屋建で、屋根は寄棟造の桟瓦葺。橋本市の文化財解説は南北棟の延長を98メートルとする。その背後に東西棟4棟が西へ張り出し、平面は櫛形を描く。棟と棟のあいだには中庭が生まれている。

敷地そのものが人の手で用意されたものだ。四つの川が合流していた田原川の跡地を利用し、昭和12年に校地をこの場所へ移して建てられた。

「歴史的価値の高いもの」として

指定番号は02608、適用された基準は重要文化財指定基準の(三)「歴史的価値の高いもの」である。文化庁の評価は具体的だ。長大な平屋建校舎を複数櫛形に配置した大規模木造校舎であり、その構造は戦前期の木造校舎建築が災害を経て到達した地点をよく示している、とする。

災害は二つ名指しされている。大正12年(1923年)の関東大震災は、通常の木造軸組が水平力にどれほど弱いかを突きつけた。昭和9年(1934年)の第一室戸台風は西日本各地で校舎を倒壊させ、多数の児童が犠牲になったことから、文部省は耐風基準を大きく引き上げる。昭和12年の校舎は、その二つを踏まえた人々が建てたものである。

架構にそれが表れている。基礎は鉄筋コンクリート造の布基礎で、従来の土台と束石ではない。柱は15センチメートル角のヒノキを1間ごとに立て、小屋組にも1間ごとにトラスを配する。その間を筋交、火打、方杖で固め、壁にも筋交いを入れる。

附(つけたり)として門3所と石垣1基が指定に含まれている。附は主たる建造物と一体をなすものとして指定に加えられる範疇で、門や塀、棟札などが対象になることが多い。

指定に至る道は平坦ではなかった。平成16年(2004年)に旧高野口町の指定文化財となったが、橋本市との合併後に改修か建て替えかの議論が再燃する。改修と決したのち平成21年(2009年)に着工、耐震補強を含む工事は平成23年(2011年)に完了した。国の指定はその3年後である。

昭和12年の高野口に、なぜこれが建てられたか

3,500平方メートルを超えるヒノキ造の校舎を、当時の一つの町が用意した。背景には産業がある。

高野口の地場産業はパイル織物である。基布に毛(パイル糸)を織り込み、あるいは編み込んで有毛の布地をつくる技術で、アザラシの毛皮に似ることからシール織とも呼ばれた。明治期に地元の前田安助がスコットランド製の生地から着想を得て創案した「再織(さいおり)」を源流とし、大正期にパイル織物へと展開する。現在も日本一の生産高を保ち、電車や自動車の座席、インテリア、エコファーなどに用いられている。戦前の最盛期は昭和12年頃とされ、校舎の建設時期と重なる。

立地も無関係ではない。高野口の地名は高野山への登り口を意味し、参詣客が集まる町だった。明治34年(1901年)に紀和鉄道(現在のJR和歌山線)の駅が開業すると、駅前には旅館や飲食店、土産物屋が並んだ。

近づいたとき、まず目に入るのは玄関である。入母屋屋根を載せ、式台構えを思わせる格式ある構えで、学校というより社寺の門に近い印象を与える。そこから一歩下がって全体を見渡したい。98メートルの平屋が瓦屋根を切らずに続く比率は、現代の建物ではまず得られない。背後の4棟のあいだには、通りからも中庭の影が覗く。

見学のしかた

内部の見学は原則としてできない。建物は日々児童が使用しており、見学者向けの受付も公開時間も設けられていない。内部を見たい場合は橋本市教育委員会生涯学習課(電話0736-33-3704)へ事前に相談する必要があり、学校行事や授業の状況次第で受け入れられないこともある。

外観は敷地の外から眺められる。正面は進入路に面し、南北棟の長さは道路からでも十分に読み取れる。撮影は建物に向け、児童が写り込まないよう配慮したい。登下校の時間帯は避け、脇門が開いていても無断で敷地に立ち入らないこと。

アクセスはJR和歌山線の高野口駅から北東へ徒歩約10分。駅舎自体が大正期の木造建築で、天井の高い待合室が残る。駅の向かいには旧旅館の葛城館が建ち、こちらも登録有形文化財である。参詣客が行き交った時代の名残といえる。車では京奈和自動車道の橋本インターチェンジ方面から入る。

駅から2分ほどの高野口パイル織物資料館は無料で見学でき、あの15センチ角のヒノキ柱を支えた財源がどこから来たのかを理解する助けになる。高野口駅からは、橋本駅で乗り換えれば高野山方面へも向かえる。

Q&A

Q旧高野口尋常高等小学校校舎の内部は見学できますか。
A自由な見学はできません。建物は橋本市立高野口小学校として現役で使われており、授業日には児童が過ごしています。内部を希望する場合は橋本市教育委員会生涯学習課(0736-33-3704)へ事前にご相談ください。受け入れの可否は学校の状況によります。
Q旧高野口尋常高等小学校校舎はどのくらいの大きさですか。
A文化庁のデータベースが記録する建築面積は3,543.72平方メートルで、全体が平屋建です。橋本市の解説では南北棟の延長を98メートルとし、その背後に東西棟4棟が櫛形に並びます。現役で使われている木造校舎としては国内最大級にあたります。
Q旧高野口尋常高等小学校校舎はなぜ重要文化財に指定されたのですか。
A平成26年1月27日、指定基準(三)「歴史的価値の高いもの」により指定されました。関東大震災や第一室戸台風を経て改良された戦前期木造校舎の到達点を示す点が評価されており、鉄筋コンクリート造の布基礎、15センチメートル角のヒノキ柱、密に入れられた筋交や火打がその根拠として挙げられています。
Q旧高野口尋常高等小学校校舎の「旧」は廃校を意味するのですか。
Aいいえ。指定名称が戦前の校名を用いているためです。明治44年に高野口尋常高等小学校となり、戦後の学制改革を経て昭和22年に高野口小学校と改称しました。「旧」は古い校名を指すもので、建物は今も使われ続けています。
Q旧高野口尋常高等小学校校舎へのアクセスと、周辺で立ち寄れる場所を教えてください。
AJR和歌山線の高野口駅から徒歩約10分です。大正期の木造駅舎と、その向かいに建つ登録有形文化財の葛城館(旧旅館)はあわせて見ておきたい建物です。駅から2分ほどの高野口パイル織物資料館は無料で、校舎を建てた町の産業を知る手がかりになります。

基本情報

名称旧高野口尋常高等小学校校舎(きゅうこうやぐちじんじょうこうとうしょうがっこうこうしゃ)
所在地和歌山県橋本市高野口町名倉字西大木芝226番
指定区分重要文化財(建造物) 指定番号02608 指定基準(三)歴史的価値の高いもの 附:門3所、石垣1基
指定年平成26年(2014年)1月27日
員数1棟
寸法木造平屋建、寄棟造、桟瓦葺、建築面積3,543.72平方メートル(南北棟の延長は約98メートル)
所有者橋本市
公開状況橋本市立高野口小学校として使用中。外観は敷地外から見学可。内部は橋本市教育委員会への事前相談が必要

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース 旧高野口尋常高等小学校校舎
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/00004714
文化遺産オンライン 旧高野口尋常高等小学校校舎
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/285779
橋本市 旧高野口尋常高等小学校校舎
https://www.city.hashimoto.lg.jp/guide/kyoikuiinkai/syougaku/bunka/bunnkazai/kuni_siteibunkazai/omobun/1457850846211.html
橋本市 高野口パイル
https://www.city.hashimoto.lg.jp/hashimototaikan/taberukau/pairuorimono/1464261478913.html
橋本市立高野口小学校
https://hashimoto.schoolweb.ne.jp/hashimoto12

最終更新日: 2026.08.28