敷地の南端に立つ江戸末期の土蔵

前田家住宅土蔵は、和歌山県橋本市高野口町名倉にある江戸末期(1830年から1867年頃)の2階建土蔵で、平成16年(2004年)7月23日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。

建つのは敷地の南端。旧大和街道から最も遠い位置で、仕えてきた母屋のほうへ北面している。桁行7間、梁間3間、切妻造。建築面積は79平方メートル。

目を留めるべきは屋根である。主屋も中書院も新書院も桟瓦葺であるのに対し、土蔵だけが本瓦葺だ。平瓦と丸瓦を交互に葺く古い形式で、桟瓦より重く、下の軸組にも相応の強さを求め、費用もかなり違う。それを客を迎える座敷ではなく蔵に載せたという選択は、商家がどこに安心の根拠を置いていたかを示している。

北面には半間の土庇が差し掛かる。壁と同じ土で塗り込め、木部を外気にさらさない造りだ。その下に戸口が二つ開く。この規模の蔵なら戸口はひとつのことが多い。二つあるということは、中へ入れる前に物が仕分けられていたということである。

実際そうだった。内部は2室に分かれる。東の3間分が什器蔵。西の4間分は、1階が米蔵、2階が衣裳蔵。3種類の財を、3つの場所に、ひとつの建物のなかで分けている。

この区分は飾りではない。米は風通しと湿気からの保護を要り、衣類は虫と光を避けねばならず、漆器や陶磁器は互いにぶつからないことと湿度の急変を防ぐことが要る。土蔵の厚い土壁は、ときに30センチを超え、温度と湿度の変動をならし、外の火に対して数時間を稼ぐ。要求の違うものを分けて置くのは、この平面のごく実務的な理屈である。

造形ではなく、景観で登録された

平成8年(1996年)に始まった登録有形文化財の制度には、登録の基準が三つある。前田家住宅の主屋と新書院は、いずれも第一の基準「造形の規範となっているもの」で登録された。土蔵は違う。

土蔵に適用されたのは「国土の歴史的景観に寄与しているもの」である。登録番号30-0061、第43回の登録、登録年月日は平成16年7月23日、告示は同年8月17日。

この違いは読み飛ばさずに理解しておく値打ちがある。造形の基準は、その建物が単体で何であるかを問う。類型をどれだけよく体現しているか、造作の水準はどうか。景観の基準が問うのは、その建物が周囲に対して何をしているかだ。それが無かったら、この通りは、この町は、この谷は違って見えるのか。土蔵は後者で評価された。白い壁と重い瓦屋根が敷地の南端を閉じている、その姿が高野口の一角の見え方をかたちづくっている。

年代には小さな未決の点が残る。文化庁は江戸末期とし、西暦を1830年から1867年に括る。和歌山県の文化財解説はもう少し幅を持たせ、江戸時代末期から明治初期にかけての建築と見ている。一次資料は文化庁の登録簿であり、本記事もその括りに従った。

同じ日に登録された仲間は3棟。江戸後期の主屋(30-0058)、明治中期の中書院(30-0059)、大正5年(1916年)の新書院(30-0060)。四つを合わせると、ひとつの商家がおよそ1世紀半にわたって建て継いだ記録になる。

訪ねる前に、ギャラリーについて一言

JR和歌山線の高野口駅から徒歩約5分、橋本市高野口町名倉392-1。橋本市の観光案内は所在地を名倉392と短く示している。

土蔵の登録に添えられた解説文は、現在は一部をギャラリーとして活用していると記す。橋本市の観光ページが伝える現況はこれと異なる。2024年10月の更新以降、外観のみ見学可能と案内しており、和歌山県の観光サイトも同じ内容を載せている。個人所有で、公開時間も拝観料も設定されていない。内部を目当てに足を運ぶつもりなら、まず橋本市の観光窓口に確認したほうがよい。

もっとも、市のページは所蔵品にも触れている。江戸から昭和にかけての品々が伝わり、そのなかに乃木希典の直筆と思われる漢詩があるという。「思われる」という書き方どおり、断定はされていない。またこれらの一般公開は現在案内されていない。

残されているのは歩くことだ。道路から見えるのは主として主屋の塗り込めの正面で、土蔵は敷地の南の奥にあたり、姿の一部が見える程度にとどまる。公道からの撮影に制限は示されていないが、人が暮らす住宅である。庭へレンズを向けない配慮はしておきたい。

駅の周辺と組み合わせて回るとよい。高野口駅の正面には明治後期の木造3階建て旅館である旧葛城館(平成13年登録)が建ち、駅舎も大正元年(1912年)の完成である。高野口という地名も町の商いも、明治34年(1901年)に鉄道が名倉へ達して以降、高野山への参詣路とともに形づくられた。前田家の土蔵はその時点ですでに数十年を経ており、鉄道ではなく街道が動かしていた経済のために建てられている。

Q&A

Q前田家住宅土蔵の内部は見学できますか。ギャラリーは今も開いていますか。
A平成16年(2004年)の登録に添えられた解説文には、土蔵の一部をギャラリーとして活用していると記されていますが、現況は異なります。橋本市の観光ページ(2024年10月更新)は前田家住宅について外観のみ見学可能と案内しており、和歌山県の観光サイトも同じ内容です。個人所有で公開時間や拝観料の設定はありません。内部の見学を目的とする場合は、事前に橋本市の観光窓口へ確認してください。
Q前田家住宅土蔵には何が納められていましたか。
A3種類の財が、分けて納められていました。東の3間分が什器蔵で、家財道具や什器を収めます。西の4間分は1階が米蔵、2階が衣裳蔵です。この分け方は実務的なもので、米は風通しと防湿、衣類は虫と光からの保護、漆器や陶磁器は湿度の安定と、それぞれ求めるものが違います。北面に戸口を二つ設けているのも、区画ごとに出入りできるようにするためです。
Q前田家住宅土蔵の屋根は、なぜ他の建物と葺き方が違うのですか。
A土蔵は本瓦葺、主屋と中書院・新書院は桟瓦葺です。本瓦葺は平瓦と丸瓦を交互に葺く古い形式で、桟瓦より重く、支える軸組にも強さが要り、費用も上がります。客を迎える座敷ではなく蔵にこの葺き方を選んだことには、蓄えを守ることを重んじた商家の判断が表れています。結果として、敷地南端に立つこの建物に相応の重量感と存在感を与えています。
Q前田家住宅土蔵はどの登録基準で登録されたのですか。
A「国土の歴史的景観に寄与しているもの」です。同じ敷地の主屋と新書院が「造形の規範となっているもの」で登録されたのとは基準が異なります。登録年月日は平成16年(2004年)7月23日、告示は同年8月17日、登録番号は30-0061。造形の基準が建物単体の質を問うのに対し、景観の基準は建物が周囲の見え方に対して果たしている役割を評価するものです。
Q前田家住宅土蔵の建築年代について、資料によって違いはありますか。
A文化庁の国指定文化財等データベースは江戸末期とし、西暦を1830年から1867年の範囲で示しています。和歌山県の文化財解説はもう少し幅を持たせ、江戸時代末期から明治初期にかけての建築と見ています。一次資料は文化庁の登録簿で、通常はその範囲が引かれます。いずれにせよ土蔵は、登録された前田家住宅4棟のうち主屋に次いで古い建物です。

基本情報

名称前田家住宅土蔵(まえだけじゅうたくどぞう)
所在地和歌山県橋本市高野口町名倉392-1
指定区分登録有形文化財(建造物) 登録番号30-0061 登録基準「国土の歴史的景観に寄与しているもの」
指定年平成16年(2004年)7月23日登録(告示 同年8月17日)
員数1棟
寸法桁行7間、梁間3間 建築面積79平方メートル 土蔵造2階建、切妻造、本瓦葺 北面に半間の土庇と戸口2か所
所有者個人
公開状況外観のみ見学可能。登録時に記録されたギャラリー活用は現在案内されていない

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース 前田家住宅土蔵
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00004290
わかやまの文化財 前田家住宅
https://wakayama-bunkazai.jp/bunkazai/bunkazai-spot-415/
橋本市観光情報サイト「橋本体感」 前田邸
https://www.city.hashimoto.lg.jp/hashimototaikan/asobu/midokoro/1464569395149.html
橋本市教育委員会 国登録文化財
https://www.city.hashimoto.lg.jp/guide/kyoikuiinkai/syougaku/bunka/bunnkazai/kuni_tourokubunkazai/1359687176563.html

最終更新日: 2026.08.27