格式のためにつくられた大正の客座敷

前田家住宅新書院は、和歌山県橋本市高野口町名倉にある大正5年(1916年)竣工の客用座敷で、平成16年(2004年)7月23日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。

建つのは中書院の南。明治中期の離れ座敷である中書院に寄り添うように、東西棟で置かれている。屋根には目を留める価値がある。東を入母屋造、西を切妻造とし、桟瓦で葺く。ひとつの屋根の東と西を同じには扱っていない。建築面積は83平方メートル。

内部は西から東へ、部屋が一列に並ぶ。この順序そのものが建物の主題である。まず6畳の式台玄関。式台とは、格のある客を迎えるために設けた低い板敷きの段のことだ。続いて10畳。そして東端に、床・棚・付書院を備えた12畳半の座敷が置かれる。

この三点は書院造の語彙であり、気軽に付けられるものではなかった。床は掛軸と季節の花を据える窪み、棚はその脇に段差をつけて渡した違い棚、付書院は庭側へ張り出した造り付けの出窓で、もとは僧侶の文机に由来する。江戸期には実用の机というより格式の標識になっていた。三つが揃った座敷は、それにふさわしい迎え方を期待する客を受けていた家であることを示す。

東南の2面には下屋の下に半間の板縁が廻り、ここで建物が庭と接する。

登録に添えられた解説文は、式台や床など格の高さを示すつくりを特徴として名指ししている。登録簿の記述が評価の理由をここまで明快に書くことは多くない。同じ敷地の4棟のなかで、この建物が別に取り上げられた理由がそこにある。

建物が動かされた年

国の登録簿は、新書院について二つの年代を記している。大正5年の建築と、もうひとつ、昭和30年「曳家」。

曳家は、建物を解体せずにそのまま移す工法である。基礎から持ち上げ、ころやレールに載せ、丸ごと引いて別の場所へ据え直す。日本の木造建築は壁ではなく仕口と継手で荷重を伝えるため、この方法が成り立ちやすい。とはいえ手間も費用もかかる仕事で、軽い気持ちで選ばれることはない。

昭和30年(1955年)、敷地東側を通る道路の拡幅工事が行われ、前田家の敷地はかなりの面積を削り取られた。新書院は工事の線上にあった。当時まだ築39年、この敷地では最も新しい建物である。家は建て替えではなく移築を選び、中書院の南にあたる現在地へ据え直した。

和歌山県の文化財解説も同じ出来事に触れ、昭和30年の道路拡幅時に新書院を現在地へ移したと記す。ただし同ページに併記された西暦は昭和30年に対応しない年が入っており、一次資料である文化庁の登録簿は1955年としている。

この移動は、訪れた人が目にする敷地の姿を説明してくれる。建物は建てた者が意図した配置のままではない。東側の構成は欠けており、新書院はもともと自分のものではなかった土地に載っている。

登録の内容と、実際に見えるもの

新書院に適用された登録基準は「造形の規範となっているもの」で、主屋と同じである。登録番号は30-0060、第43回の登録。登録年月日は平成16年7月23日、告示は同年8月17日。中書院(30-0059)、土蔵(30-0061)、主屋(30-0058)も同日の登録である。

行き方は難しくない。JR和歌山線の高野口駅から徒歩約5分、高野口町名倉392-1。橋本市の観光案内は所在地を名倉392と短い形で示している。

ただし期待の調整は必要だ。前田家住宅で見学できるのは外観のみで、橋本市の観光ページは2024年10月の更新以降そう案内しており、和歌山県の観光サイトも同様に記している。個人所有で、公開時間も拝観料も設定されていない。

加えて新書院は、塀に囲まれた敷地の奥、主屋の背後に位置する。街道に面して立つ建物ではない。旧大和街道に立った人が見るのは主屋の塗り込めの正面であり、客座敷のほうは垣間見る程度にとどまる。書院の座敷そのものに関心がある場合は、出かける前に橋本市の観光窓口へ問い合わせるのが現実的だろう。

この地域の大正期の格式ある内部を想像する手がかりとしては、高野口駅前の旧葛城館が比較になる。こちらは私邸ではなく商業建築で、明治後期の木造3階建て旅館、平成13年(2001年)の登録有形文化財である。高野山へ向かう参詣客の目を引くために建てられた。同じ小さな町の同じ時代が、まったく違う課題を解いた例として並べて見ると面白い。

Q&A

Q前田家住宅新書院は見学できますか。内部の座敷は公開されていますか。
A内部は公開されていません。橋本市の観光ページ(2024年10月更新)は前田家住宅について外観のみ見学可能と案内しており、和歌山県の観光サイトも同じ内容です。加えて新書院は塀の内側、主屋の背後に建つため、外観も公道からは一部しか見えません。公開時間や拝観料の設定はなく、見学について確認したい場合は事前に橋本市の観光窓口へ問い合わせるのが確実です。
Q前田家住宅新書院はいつ建てられ、なぜ登録簿に二つの年代が記されているのですか。
A竣工は大正5年(1916年)です。もうひとつの年代、昭和30年(1955年)は曳家による移動を示します。敷地東側の道路拡幅で敷地が削られた際、この建物は解体されずに持ち上げられ、中書院の南にあたる現在地へ丸ごと引かれて移されました。文化庁の登録簿は、建築年と移動年をひとつの欄に併記しています。
Q前田家住宅新書院にある床・棚・付書院とは何ですか。
A書院造を成り立たせる三つの構えで、東端の12畳半座敷にそろっています。床は掛軸や花を据える窪み、棚はその脇に段差をつけて渡した違い棚、付書院は庭側へ張り出した造り付けの出窓で、もとは僧侶の文机に由来し、のちに格式の標識となりました。6畳の式台玄関と併せて、この建物が家族の居室ではなく客を迎えるための座敷であることを示しています。
Q前田家住宅新書院と隣の中書院はどう違いますか。
A中書院のほうが古く小さく、明治中期の建築で入母屋造、建築面積53平方メートル、8畳と床付き6畳の2室構成です。主屋とは渡廊下でつながり、登録簿は良材を用いた上質な離れ座敷と記しています。新書院は大正5年(1916年)の竣工で83平方メートルとひと回り大きく、式台玄関と書院の構えを備えた分だけ格式が高い。位置関係としては、新書院が中書院のすぐ南にあたります。
Q前田家住宅新書院へのアクセスと、周辺で見られるものを教えてください。
AJR和歌山線の高野口駅から徒歩約5分、橋本市高野口町名倉392-1です。同じ敷地には平成16年7月23日に同時登録された主屋・中書院・土蔵があります。駅の正面には明治後期の木造3階建て旅館である旧葛城館(平成13年登録)が建ち、高野口駅の駅舎も大正元年(1912年)の完成で、あわせて歩けば町の成り立ちが見えてきます。

基本情報

名称前田家住宅新書院(まえだけじゅうたくしんしょいん)
所在地和歌山県橋本市高野口町名倉392-1
指定区分登録有形文化財(建造物) 登録番号30-0060 登録基準「造形の規範となっているもの」
指定年平成16年(2004年)7月23日登録(告示 同年8月17日)
員数1棟
寸法建築面積83平方メートル 木造平屋建、瓦葺、東を入母屋造・西を切妻造とする東西棟 大正5年建築、昭和30年曳家
所有者個人
公開状況非公開。外観のみ見学可能だが、敷地奥のため公道からの視認は限られる

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース 前田家住宅新書院
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00004289
わかやまの文化財 前田家住宅
https://wakayama-bunkazai.jp/bunkazai/bunkazai-spot-415/
橋本市観光情報サイト「橋本体感」 前田邸
https://www.city.hashimoto.lg.jp/hashimototaikan/asobu/midokoro/1464569395149.html
和歌山県公式観光サイト 和歌山のレトロな町並みと建物を訪ねて
https://www.wakayama-kanko.or.jp/features/detail_350.html

最終更新日: 2026.08.27