福田家住宅納屋

すさみ町佐本の福田家の屋敷で、最も古い建物は主屋ではなく納屋である。明治11年(1878年)の建築で、主屋が現在の姿になるより二十年以上も前にさかのぼり、のちに明治45年(1912年)と大正9年(1920年)に手が加えられた。主屋の東北側に建ち、同じ世代の建物の多くが姿を消すなか、働く建物として残ってきた。

納屋は桁行約8.2メートル、梁間約3.6メートル、木造平屋建で一部に2階を設け、切妻造の桟瓦葺とする。三方には下屋を廻らす。外壁は腰高に竪板を張り、その上は柱を見せる真壁の漆喰塗とする。1階は南半の4室を物入などとし、北半の1室を農具置場とした。2階は居室としても使われた。

登録の理由と価値

福田家の屋敷が平成24年(2012年)2月に国の登録有形文化財となったとき、その価値は一棟の見せ場ではなく屋敷全体にあった。江戸末期から明治・大正へと建てられた建物群は、山間の有力な家がどのように暮らしを組み立てたかを記録し、当初の配置をよく保っている。納屋はその記録を最も古くまで遡らせる。明治11年の骨組みは、明治34年の主屋に先立つものである。

屋敷が登録された基準は、国土の歴史的景観に寄与しているものである。納屋は門や離座敷ほど目を引かないが、屋敷の成り立ちを読み解けるのは、こうした日々の働く建物にほかならない部分が大きい。ここでは、収納と農具置場と2階の居住が、ひとつの慎ましい量塊にまとめられ、年月のなかで必要に応じて修理され、作り替えられてきた様子が見てとれる。

見どころ

壁を読みたい。腰の竪板張りとその上の真壁漆喰は実用的な組み合わせで、傷みや湿気の集まりやすい足元を板で守り、上半を漆喰で軽くしている。三方に廻る下屋は建物の周囲に庇下の地面を広げており、山から降る雨の多い土地では役に立つ。

納屋の年代を隣の建物と並べると、ひとつの順序が見えてくる。明治11年(1878年)の納屋がまず建ち、明治34年(1901年)に主屋、明治36年(1903年)に離座敷、そして明治後期から大正にかけて門と風呂の建物が続く。屋敷は通常は公開されていないため、納屋を見られるのは、すさみ町立歴史民俗資料館を通じて折々に催される見学会の機会である。アクセスの問い合わせや関連資料の見学は、資料館が窓口となる。

Q&A

Q納屋は見学できますか。
A常時の公開はありません。福田家住宅は個人の所有で、納屋はすさみ町立歴史民俗資料館を通じて折々に催される見学会で見られます。現在の機会については資料館へお問い合わせください。
Q納屋という働く建物が、なぜ注目されるのですか。
A屋敷で最も古い明治11年(1878年)の建物であり、収納・農具置場・2階の居住をひとつの建物にまとめた様子を示します。こうした日々の働く建物こそ、農家の屋敷を理解する核になります。
Q明治45年・大正9年の改修とは何ですか。
A家の必要の変化に応じて、これらの年に修理や改造が行われました。現在の建物は明治11年の出自を保ちつつ、こうした後年の手直しを反映しています。
Q内部はどのように使われていましたか。
A1階は南半の4室を物入などに、北半の1室を農具置場としていました。一部に設けた2階は居室としても用いられました。
Q屋敷の場所を教えてください。
A和歌山県南部の山間、すさみ町佐本の古座街道沿いです。納屋は主屋の東北側に建っています。

基本情報

名称福田家住宅納屋(ふくだけじゅうたくなや)
所在地和歌山県西牟婁郡すさみ町佐本東栗垣内115
指定区分登録有形文化財(建造物)/平成24年(2012年)2月23日登録
年代明治11年(1878年)/明治45年・大正9年改修
員数・規模1棟/桁行8.2メートル、梁間3.6メートル、木造平屋一部2階建
構造形式木造、切妻造桟瓦葺、三方に下屋、腰高の竪板張りと上部真壁漆喰塗
所有者個人(福田家)
公開状況常時非公開/すさみ町立歴史民俗資料館による見学会の実績あり

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)福田家住宅納屋
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00009212
紀伊民報AGARA:国登録文化財を町民見学 すさみ・佐本地域の「福田家住宅」
https://www.agara.co.jp/article/420041

最終更新日: 2026.06.25