景気のいい時代に建った蔵

旧遠万織物(創匠庵)新蔵は、山形県米沢市門東町一丁目にある昭和前期(1926〜1945年)建築の土蔵造2階建の蔵で、令和2年(2020年)4月3日に国の登録有形文化財となった建物である。

この敷地には登録された建物が3棟あり、建った順序がそのまま事業の履歴になっている。前蔵が明治6年(1873年)。遠万織物が自宅の裏で織機を回していた創業期の蔵である。主屋は大正後期、大正6年(1917年)と8年の二度の大火が米沢の中心市街をほぼ焼き払ったあとに建てられた。新蔵は最後にきた。建てられた時点で、この家にはすでに蔵があった。二棟目を建てるというのは、扱う量についての意思表示である。

米沢の機業は18世紀に土台が置かれている。藩主上杉鷹山が財政再建策として織物生産を奨励し、当初は青苧の麻織物、養蚕の広がりとともに絹へと移っていった。その政策から育った自営の織物業者たちは昭和に入っても産地を支え続けており、建築面積44平方メートルほどのこの小さな蔵は、そのうちの一軒の、調子のよかった時期の姿にあたる。

指定ではなく登録であること

新蔵の登録番号は06-0196。令和2年4月3日、第95回登録。登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」、種別は産業2次・建築物である。主屋(06-0194)と前蔵(06-0195)も同日に登録された。

登録有形文化財制度は平成8年(1996年)に始まり、国宝・重要文化財を生む指定制度とは仕組みが異なる。指定は少数の傑出した建物を選び出して強く規制する。登録は築50年程度を経て地域の性格を形づくっている建物を広く受け止め、外観の大きな変更前の届出を除けば所有者への要求を抑えている。この緩さは意図されたものだ。規制が軽ければ、使い道が見つからずに解体される建物が減る。

この屋敷で3棟すべてが登録されたことには意味がある。文化庁のデータベースは新蔵の価値を、織物業者の屋敷構えを構成する一棟として記述している。蔵が1棟なら、それは建物である。3棟が順を追って並んでいれば、それは事業である。

伝統的な構法と、ガラスの窓

新蔵は前蔵の北西に建つ。主屋の北面から廊下が延び、蔵前へつながる。家と蔵のあいだで荷を動かすのに、米沢の冬に足を踏み出さなくてよい。積雪をメートルで数える町では、これは些細な便宜ではない。

棟は東西に走り、入口は妻側にある。屋根は桟瓦葺の置屋根。土の塊に直接載せず、独立した構造として上から被せることで、防火を担う層に雨が届かないようにしている。壁の腰は前蔵と同じ赤瓦の海鼠壁で、方形の瓦を斜め格子に張り、目地を漆喰で厚く盛り上げる。黒ではなく赤という選択は地域的なもので、二棟の蔵が同じ家のものであることを目で分からせる。

腰から上は扱いが変わる。四隅に柱形を現して壁面から浮き立たせ、上部には鉢巻が一周する。どちらも構造としては働いていない。窓の少ない白い箱に抑揚を与えるためのもので、庭から見上げたときの見え方を考えた造作だろう。

年代が出るのは窓である。窓回りには雪囲いが設けられ、開口にはガラスが入る。明治6年の前蔵とはまったく違う答えだ。あちらの南面の窓は掛子塗で厚く塗り込め、閉じれば火の粉の入る隙間が消える仕組みだった。60年ほどを隔てて、同じ家が同じ問題を二度解いている。一度は漆喰で、一度はガラスで。内部の小屋組は、山形県の文化財データベースによればキングポストトラスとされる。昭和期の日本の産業建築ではすでに一般的になっていた西洋の構法である。主屋の旧台所部にもトラス組が現しで架かっており、この屋敷の工事に関わった大工がトラスを扱えたことは間違いない。

行き方と、公開の実際

現在、この屋敷で公開されている部分はない。個人の所有・居住であり、長年にわたって「創匠庵」という工房が置かれ、城下の郊外で暮らした上杉家中の下級武士の妻たちが生んだ幾何文様の刺し子、原方刺し子の制作と伝承にあたっていた。正式名称の括弧書きはこの工房名に由来する。創匠庵は2024年11月20日に閉館した。山形県の文化財データベースは「公開の有無:有」と記しているが、これは閉館前の状況を示すものである。

新蔵は敷地の奥、前蔵の北西に位置するため、3棟のなかで路上からもっとも見えにくい。屋根と壁の上部がわずかに見える程度と考えておきたい。撮影は公道からに限り、個人の住まいとして扱ってほしい。

到達は容易である。JR米沢駅から西へ約1.6キロ、徒歩20〜25分。バスなら「上杉神社前」停留所が約220メートル、「門東町」停留所が約210メートル。城跡に整備された上杉神社と松岬公園はすぐ西から始まり、その間を歩けば城下町に残ったものの大半を通ることになる。

織物を目的に来たのなら、数百メートルの範囲によりよい選択がある。同じ街区、門東町1-1-16の米澤民藝館(原始布・古代織参考館)は織機と復元された古代布を展示し、開館は概ね10時から16時、入館料500円程度。染織を看板学科として開かれた米沢高等工業学校の本館は明治43年(1910年)竣工で、昭和48年(1973年)6月2日指定の重要文化財。平日11時から16時、事前申込制、無料、冬季は閉館する。大火で焼けた伯爵邸の後身として大正14年(1925年)に再建された上杉記念館も登録有形文化財で、西へ少し歩けばよい。いずれも訪問前に開館状況の確認を。冬季は休みになる施設が多い。

Q&A

Q旧遠万織物(創匠庵)新蔵はいつの建築で、他の2棟とどういう関係にありますか?
A昭和前期、1926年から1945年ごろの建築で、3棟のうち最も新しい建物です。前蔵は明治6年(1873年)、主屋は大正後期の建築で、3棟とも令和2年(2020年)4月3日に同時に登録されました。
Q旧遠万織物(創匠庵)新蔵は見学できますか?
Aできません。個人所有の住宅であり、来訪者を受け入れていた刺し子工房「創匠庵」は2024年11月20日に閉館しました。新蔵は敷地の奥にあるため、公道からも部分的にしか見えません。
Q旧遠万織物(創匠庵)新蔵の小屋組はどのような構造ですか?
A山形県の文化財データベースはキングポストトラスと記載しています。外観上の屋根は桟瓦葺の置屋根で、土壁に雨が当たらないよう独立した構造として架けられています。
Q旧遠万織物(創匠庵)新蔵と前蔵は外観がどう違いますか?
A腰の赤瓦の海鼠壁は共通ですが、新蔵は四隅に柱形を現し、上部に鉢巻を廻します。窓回りには雪囲いを設けてガラス窓を入れており、明治6年の前蔵の掛子塗の両開窓とは対照的です。
Q旧遠万織物(創匠庵)へのアクセスと、周辺で立ち寄れる場所を教えてください。
AJR米沢駅から西へ約1.6キロ、徒歩20〜25分、またはバスで「上杉神社前」「門東町」下車です。西隣に上杉神社と松岬公園があり、同じ街区には織物関係の展示を行う米澤民藝館があります。

基本情報

名称旧遠万織物(創匠庵)新蔵(きゅうえんまんおりもの(そうしょうあん)しんくら)
所在地山形県米沢市門東町一丁目1028
指定区分登録有形文化財(建造物)/種別:産業2次・建築物/登録番号06-0196/登録基準:国土の歴史的景観に寄与しているもの
指定年令和2年(2020年)4月3日登録(第95回登録)
員数1棟
寸法土蔵造2階建、瓦葺、建築面積約44平方メートル
所有者個人
公開状況内部非公開。個人所有で、敷地内の刺し子工房「創匠庵」は2024年11月20日に閉館。敷地奥に位置し、公道からの視認は限定的。

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「旧遠万織物(創匠庵)新蔵」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00013217
山形の宝 検索navi「旧遠万織物(創匠庵)新蔵」
https://www.pref.yamagata.jp/cgi-bin/yamagata-takara/?m=detail&id=1938
やまがたへの旅「【閉館】さしこ工房創匠庵」
https://yamagatakanko.com/attractions/detail_10694.html
米沢市「米沢織物」
https://www.city.yonezawa.yamagata.jp/soshiki/5/1019/2/657.html
山形大学工学部「旧米沢高等工業学校本館ご案内」
https://www.yz.yamagata-u.ac.jp/school/old-yonezawa/guide/
米沢市立図書館「大正の米沢大火と復興」
https://www.library.yonezawa.yamagata.jp/wordp/wp-content/uploads/2024/04/000572c170962b061c631bb4ab3e241d.pdf

最終更新日: 2026.07.30