青塚古墳:尾張に眠る雄大な前方後円墳

愛知県犬山市の南部、犬山扇状地の南西端に堂々たる姿で横たわる青塚古墳は、古墳時代前期を代表する大型前方後円墳のひとつです。墳長およそ123メートルを誇り、愛知県内では名古屋市の断夫山古墳に次ぐ第2位の規模を持つこの王墓は、4世紀中頃から1,600年以上にわたって、尾張の大地に古代の記憶を刻み続けてきました。

1983年(昭和58年)に国の史跡に指定され、現在は史跡公園として整備されています。復元された壺形埴輪が墳裾を彩り、芝生広場やガイダンス施設が訪れる人々を迎え入れる青塚古墳史跡公園は、古代から戦国期、そして現代へと続く歴史の重なりを実感できる、犬山屈指の文化遺産といえるでしょう。

4世紀中葉、尾張の王が眠る場所

青塚古墳が築かれたのは、古墳時代前期にあたる4世紀中頃と推定されています。地方の有力豪族が巨大な墳墓を競って造営した時代であり、青塚古墳は犬山扇状地に発達した洪積段丘の南西端という、視覚的にも戦略的にも極めて優れた立地に築かれました。墳丘の西側には木曽川によって形成された平野が広がり、段丘下から見上げる青塚古墳の姿は、当時から際立つランドマークであったことでしょう。

青塚古墳は古くから尾張二宮・大縣神社の神域として大切に守られ、地元の伝承では、御祭神大縣大神の神裔とされる「大荒田命(おおあらたのみこと)」の墳墓と伝えられています。大荒田命は丹羽縣の祖と称えられ、今も毎年中秋の名月に近い週末には、古墳の前で「墓前祭」が厳粛に斎行されています。

市指定文化財から国史跡へ

青塚古墳は、まず1966年(昭和41年)5月に犬山市指定文化財となりました。1979年(昭和54年)、古墳一帯がほ場整備事業の対象区域となり、墳丘の保存が大きな課題として浮上します。地元住民の強い保存要望を受け、犬山市教育委員会による発掘調査が行われた結果、当初の墳丘形態が良好に残されており、4世紀の尾張地域における政治権力の在り方を伝える極めて貴重な史跡であることが確認されました。

その学術的価値が認められ、青塚古墳はほ場整備事業の対象から除外され、1983年(昭和58年)2月8日に国の史跡に指定されました。その後1995年から1998年にかけて史跡整備に伴う発掘調査が実施され、1996年から2000年にかけて整備事業が進められた結果、2000年(平成12年)8月5日に青塚古墳史跡公園として開園しました。

古代の土木技術が光る墳丘構造

青塚古墳は、古墳時代前期の土木技術の粋を集めた構造物です。墳丘は基壇の上にすべて盛土で築かれており、後円部は3段、前方部は2段に造られています。発掘調査の結果、各段には基底石として大型の河原石が石垣状に組まれ、その背後を大量の小ぶりの河原石で充填するという独特の工法が判明しました。各段の平坦面はほとんどなく、墳丘全体が石の山のような姿を呈しており、他に類例の少ない築造手法として注目されています。

規模と形状

墳丘規模は、墳長約123メートル、後円部径約78メートル、後円部高さ約12メートル、前方部長約45メートル、前方部幅約62メートル、前方部高さ約7メートルです。墳丘の周囲には自然地形を利用したやや不定形な周濠がめぐり、東側には土橋状の陸橋部が現存しています。前方後円墳としての精美な比例関係は、全国的にも屈指の美しさといわれます。

壺形埴輪と「青塚」の名

発掘調査では多数の壺形埴輪が出土し、墳丘最下段にめぐらされていたことが明らかになりました。現在、これらの赤い壺形埴輪のレプリカが2メートル間隔で復元配置されており、4世紀当時の威容をしのぶことができます。一方で復元にあたっては、表面に葺石を貼りつめるのではなく、字名にもなっている「青塚」というイメージを尊重し、青々と茂る小熊笹を植栽するという選択がなされました。地元の人々がながく草を刈り、慈しみ守ってきた「青い塚」の景観が、こうして現代にも受け継がれています。

戦国期の砦としての一面

1584年(天正12年)の小牧・長久手の戦いの際、青塚古墳は豊臣秀吉方の陣地「青塚砦」として使用されました。後円部上段は砦としての機能を優先するため斜面が削られ、崖状に改変されたことが調査で判明しています。この戦国期の改変は、史跡整備に伴う発掘調査を経て本来の形に復元されましたが、古代の王墓が戦国の世にも歴史の舞台となっていた事実は、青塚古墳の物語に重層的な厚みを加えています。

青塚古墳史跡公園を歩く

青塚古墳史跡公園は無料で開放されており、園内のガイダンス施設では、青塚古墳から出土した壺形埴輪や石鏃のほか、犬山市内の東之宮古墳から出土した銅鏡のレプリカなど、貴重な資料を間近に見ることができます。学芸員による案内や解説を受けることもでき(不在の場合あり、団体や日時指定希望の場合は事前にお問い合わせください)、古墳の形をした消しゴムやキーホルダーを作る体験講座も開館中であれば随時受付けています。

※墳丘の保存のため、墳丘部分への立ち入りはご遠慮いただいています。墳丘の周囲をめぐる遊歩道や芝生広場から、雄大な姿をゆっくりとご鑑賞ください。

アクセス

名鉄名古屋駅から快速特急で犬山駅まで約25分、犬山駅で名鉄小牧線に乗り換え、楽田駅まで約7分。楽田駅からは徒歩約30分、またはタクシーで約5分です。お車の場合は、中央自動車道「小牧東IC」または名古屋高速11号小牧線「小牧北IC」から約20分でアクセスできます。

周辺の見どころ

犬山市は中部地方屈指の歴史文化が息づくエリアで、青塚古墳と組み合わせて訪れたい名所が数多くあります。

  • 大縣神社:尾張二宮として古来より篤く崇敬される古社で、青塚古墳の東約3.5キロメートルに鎮座します。本殿および祭文殿は国の重要文化財に指定されており、境内裏手の梅園では2月中旬から3月中旬にかけて約300本のしだれ梅が咲き誇ります。
  • 国宝犬山城:1537年に築城された現存最古級の天守閣で、木曽川を見下ろす絶景の名城として知られています。
  • 東之宮古墳:愛知県最古級の前方後方墳とされる重要な古墳で、青塚古墳とあわせて訪ねれば、犬山地方の古墳文化への理解が一段と深まります。
  • 博物館明治村:明治時代の建造物60棟以上を移築・保存する野外博物館で、11件の国指定重要文化財を含む貴重な建築群を鑑賞できます。

Q&A

Q青塚古墳はいつ頃築かれたのですか?
A出土遺物や墳丘構造の調査結果から、4世紀中頃の古墳時代前期に築造されたと考えられています。尾張地域における同時代の最重要墳墓のひとつです。
Q墳丘の規模はどれくらいですか?
A墳長は約123メートルで、愛知県内では2番目の大きさを誇ります。後円部の直径は約78メートル、高さは約12メートル。前方部は長さ約45メートル、幅約62メートル、高さ約7メートルです。
Q墳丘に登ることはできますか?
A史跡保護のため、墳丘部分への立ち入りはご遠慮いただいております。墳丘の周囲をめぐる遊歩道や芝生広場からは、雄大な前方後円墳の姿をさまざまな角度からご鑑賞いただけます。
Qなぜ「青塚」と呼ばれているのですか?
A築造当時は表面が河原石で覆われていたと考えられていますが、長い年月を経て植生が茂り、青々とした姿が地名の由来にもなりました。地元の人々が大切に守ってきた「青い塚」の景観を尊重し、現代の整備でも小熊笹を植栽してその姿が再現されています。
Q入園料はかかりますか?
A青塚古墳史跡公園およびガイダンス施設の入園・入館は無料です。一部の体験講座のみ、材料費として実費が必要となる場合があります。

基本情報

名称 青塚古墳(あおつかこふん)
指定区分 国指定史跡(1983年〔昭和58年〕2月8日指定)
形状 前方後円墳
築造時期 4世紀中頃(古墳時代前期)
墳長 約123メートル
後円部 直径約78メートル、高さ約12メートル
前方部 長さ約45メートル、幅約62メートル、高さ約7メートル
所在地 愛知県犬山市字青塚
アクセス 名鉄小牧線「楽田駅」から徒歩約30分
史跡公園開園 2000年(平成12年)8月5日
ガイダンス施設休館日 毎週月曜日(祝日の場合はその翌平日)、12月28日~翌年1月4日
入園・入館料 無料

参考文献

青塚古墳 - 文化遺産オンライン
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/201886
史跡 青塚古墳|犬山市公式ホームページ
https://www.city.inuyama.aichi.jp/kurashi/bunka/1003488/1003513.html
青塚古墳史跡公園|犬山市公式ホームページ
https://www.city.inuyama.aichi.jp/kurashi/bunka/1001052/1003569/1001059.html
青塚古墳史跡公園|【公式】犬山観光ナビ
https://inuyama.gr.jp/experience/detail/20/
青塚古墳|大縣神社 公式サイト
http://ooagata.urdr.weblife.me/pg129.html
前方後円墳 of 青塚古墳|古代邇波の里・文化遺産ネットワーク
https://niwasato.net/aotsuka/kohun.html

最終更新日: 2026.04.26