永住寺とは
永住寺は、愛知県新城市字裏野にある曹洞宗の寺院で、本堂、開山堂及び位牌堂、庫裡及び書院、禅堂、衆寮、経蔵の6件が令和元年(2019年)12月5日に、山門と鎮守殿の2件が令和5年(2023年)2月27日に、国の登録有形文化財に登録されている。山号は延命山、本尊は釈迦如来である。
新城市によれば、永正10年(1513年)に大谷城主菅沼定広が上平井村に一寺を創建し、元亀4年(1573年)の野田城の戦いで武田信玄の兵火により焼失したのち、天正2年(1574年)に作手亀山城主の奥平貞能が現在地で再興したと伝えられる。慶安元年(1648年)に旗本の菅沼定実が領主となってからは、幕末まで菅沼家の支援を受けた。
曹洞宗の伽藍がそろう寺
新城市の解説によれば、江戸時代の曹洞宗では、格式の高い地方寺院で禅僧の修行(結制)が行われ、そうした寺院は本堂、庫裡、禅堂、衆寮、山門などの伽藍を整える必要があった。東海地方は曹洞宗寺院が多いが、近世曹洞宗の中核寺院としてこれらの伽藍を一体的に残す寺院は数少なく、永住寺の建物群は保存状態もよく貴重である。
伽藍は、南北に長い敷地の中軸線上の南端に山門を置き、北へ進むと広い前庭があり、その奥に本堂が南面して建つ。前庭の東に庫裡及び書院、西に衆寮、禅堂、鎮守殿が北から並び、前庭を建物が囲む。本堂の北には開山堂及び位牌堂が続き、書院の北方には経蔵がある(新城市)。東西の回廊はないが、本堂の広縁や庫裡の通路土間などがかつて回廊の役割を果たしていたと考えられている。
登録された8件
年代は、本堂が元禄10年(1697年)で享保2年(1717年)に改修、禅堂と衆寮が享保7年(1722年)、山門が寛政6年(1794年)、庫裡及び書院が文化7年(1810年)、経蔵が江戸時代末期、開山堂及び位牌堂が明治26年(1893年)、鎮守殿が大正15年(1926年)である(文化庁・新城市)。
江戸時代前期から大正時代まで、およそ230年にわたって整えられてきた伽藍が、前庭を囲む配置のまま残っている。
見学について
永住寺の建物の見学や拝観の条件について、公的な案内は見当たらない。訪ねる前に寺に確かめたい。文化財についての問い合わせは新城市教育部歴史文化課(電話0536-23-7610)。
参考文献
- 永住寺本堂(国指定文化財等データベース)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00013120
- 永住寺山門(国指定文化財等データベース)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00014487
- 永住寺本堂ほか6棟(新城市)
- https://www.city.shinshiro.lg.jp/kanko/minzokugeino/eijuji-hondo.html
最終更新日: 2026.10.05
基本情報
| 名称 | 永住寺 |
|---|---|
| 所在地 | 愛知県新城市字裏野3 |
| 所有者 | 永住寺 |
| 指定 | 登録有形文化財 8件 |
| 座標 | 34.90230, 137.49841 |