旧西園寺家興津別邸「坐漁荘」──日本近代政治史の舞台となった名建築

愛知県犬山市の博物館明治村に佇む旧西園寺家興津別邸「坐漁荘」は、2017年に国の重要文化財に指定された、日本近代史を語るうえで欠かすことのできない建造物です。日本最後の元老として知られる公爵・西園寺公望(1849〜1940年)が晩年を過ごしたこの別邸は、主屋とともに警衛詰所、供待及び門の3棟が重要文化財として指定されています。数寄屋造りの粋を極めた建築美と、激動の時代を映す歴史的価値が高く評価されています。

西園寺公望公──最後の元老の生涯

西園寺公望は1849年(嘉永2年)、右大臣・徳大寺公純の二男として生まれました。1871年(明治4年)に渡仏し、パリ大学(ソルボンヌ)で約10年間法律を学びました。帰国後は中江兆民らとともに「東洋自由新聞」を創刊し、自由主義思想の普及に尽力。その後、各国公使や各大臣を歴任したのち、伊藤博文の後を受けて政友会を率い、第一次(1906〜1908年)・第二次(1911〜1912年)西園寺内閣を組閣しました。

1924年(大正13年)に松方正義が逝去した後、西園寺公はただ一人の元老として、後継首相の推挙をはじめとする国政の重要事項について天皇の諮問に奉答する役割を担いました。大正デモクラシーから昭和初期の軍国主義の時代にかけて、日本政治に計り知れない影響を及ぼした人物です。また、現在の立命館大学の学祖としても知られています。

坐漁荘の誕生

1916年(大正5年)の冬、西園寺公は静岡県蒲原郡興津町(現・静岡市清水区興津)の旅館・水口屋の勝間別荘で避寒するようになりました。駿河湾を望む温暖な気候と、古来「清見潟」として和歌にも詠まれた風光明媚な土地柄を大いに気に入り、この地に別邸を建てることを決意します。1919年(大正8年)9月に竣工し、建設費用は西園寺公の実弟・住友友純が率いる住友家が全額負担しました。

「坐漁荘」の名は渡辺千冬子爵の提案によるもので、周の文王が呂尚(太公望)が坐して漁をしているところに出会い、礼を尽くして軍師に迎えたという中国の故事に由来します。悠々自適に魚を釣って過ごすという願いが込められた名前ですが、実際には「興津詣で」と称されるほど政財界の要人が絶え間なく訪れ、晩年の西園寺公に安息の日はほとんどなかったと伝えられています。

警衛詰所・供待及び門──歴史を見守った建造物

最後の元老として国政に絶大な影響力を持つ西園寺公の身辺警護は、国家的な重要課題でした。警衛詰所は敷地の入口付近に設けられ、警察官が24時間体制で警備にあたっていました。1932年(昭和7年)の五・一五事件、さらに1936年(昭和11年)の二・二六事件の後は警備が大幅に強化され、最大で60人もの専属警察官が配置されるほどでした。

供待(ともまち)は、訪問する政財界人の従者や使用人が主人の面談中に待機するための空間です。「興津詣で」の名が示すとおり、絶えることなく続いた要人の来訪に伴い、この供待にも常に人の出入りがありました。門は竹扉を用いた数寄屋風の瀟洒なつくりで、あまりにも控えめな佇まいから、地元の人々に小料理屋と間違えられたこともあったといいます。しかしその簡素さこそが、飾らない品格を重んじた西園寺公の美意識を表しています。

2017年2月、これらの建造物は主屋とともに「意匠的に優秀なもの及び歴史的価値の高いもの」として重要文化財に指定されました。近代の政財界人が海浜保養地に設けた別荘建築のなかでも数少ない遺構であり、竹材や杉皮を用いた数寄屋意匠の代表的な近代和風建築として評価されています。

建築の見どころ──簡素に見えて極上の技

坐漁荘の設計は住友本社の建築技師・則松幸十が手がけ、京都から腕利きの大工を呼び寄せて建築されました。木造2階建ての主屋は一見質素に見えますが、柱のほぼすべてに通常の30倍の手間がかかるという「面付き」仕上げが施され、外壁はすべて杉皮で覆われています。西園寺公が好んだ竹材は建物の随所にふんだんに用いられ、欄間や天井、格子などに独創的な意匠が凝らされています。

特筆すべきは、窓の竹格子の内部に鉄骨が仕込まれている点です。これは防犯を兼ねた巧みな仕掛けで、美観を損なうことなく安全性を確保しています。湯殿には白竹を張り込んだ舟底天井が設けられ、また南側の窓には紫外線を透過する特殊なヴァイタガラスが使われるなど、当時の先端技術も取り入れられています。

庭園は「植治」として知られる7代目小川治兵衛の作庭です。平安神宮や京都御所、東京の古河庭園などを手がけた名庭師で、明治村への移築の際には主要な庭石や樹木も併せて移植され、往時の風情が守られています。

明治村への移築と保存

1940年(昭和15年)に西園寺公が坐漁荘で逝去した後、建物は高松宮宣仁親王に献上され、その後さまざまな所有者のもとを転々としました。1960年代後半には老朽化が著しくなり、1968年(昭和43年)に博物館明治村への移築が決定。1969年に解体・計測が行われ、翌1970年に明治村で復元、1971年から一般公開されています。

2003年(平成15年)に登録有形文化財に登録された後、2012年(平成24年)から大規模な保存修理工事が実施されました。そして2017年(平成29年)2月23日、数寄屋造住宅の貴重な現存例として重要文化財に指定されました。なお、静岡市清水区の旧所在地には2004年に復元建物「興津坐漁荘」が建てられ、無料で一般公開されています。

周辺の見どころ

博物館明治村は、明治時代を中心とする60件以上の歴史的建造物を移築・保存・公開する日本有数の野外博物館です。重要文化財11件を含む貴重な建物群のなかには、フランク・ロイド・ライト設計の帝国ホテル中央玄関、西郷從道邸、品川燈台など見応えのある建造物が数多くあります。明治期の蒸気機関車や京都市電への体験乗車も楽しめます。

明治村のある犬山市には、国宝・犬山城とその風情ある城下町、国宝茶室「如庵」を有する有楽苑、夏の木曽川鵜飼いなど、魅力的な観光スポットが集まっています。名古屋からのアクセスも良好で、1日かけてじっくり楽しめるエリアです。

Q&A

Q「坐漁荘」という名前にはどんな意味がありますか?
A「坐漁荘」は「坐して漁をする」、つまり座ってのんびり魚を釣るという意味です。中国の故事に登場する太公望呂尚が静かに釣りをしていた逸話に由来し、西園寺公の穏やかな隠居生活への願いが込められています。しかし実際には「興津詣で」と称される政財界要人の訪問が絶えませんでした。
Qなぜ個人の別邸に警衛詰所があるのですか?
A西園寺公は日本最後の元老として、後継首相の推挙など国政の最重要事項に関わる人物でした。そのため身辺の警護は国家的課題であり、警察官が常駐する警衛詰所が設置されていました。五・一五事件や二・二六事件の後は、最大60人の専属警察官が警備にあたったと記録されています。
Q建物の内部を見学することはできますか?
Aはい。明治村では定時の建物ガイドが実施されており、坐漁荘の内部を詳しい解説とともに見学できます。予約不要・無料で参加できますが、文化財保護のため入場人数が制限される場合があります。建物内での写真撮影も可能です。
Q外国語での案内はありますか?
A博物館明治村では英語、中国語(簡体字・繁体字)、タイ語での案内表示やパンフレットが用意されています。建物ガイドは基本的に日本語で行われますが、最新の多言語対応については公式サイトでご確認ください。
Qおすすめの訪問時期はいつですか?
A四季それぞれに異なる魅力があります。春は桜、夏は新緑と夜間イベント、秋は紅葉、冬は静寂のなかでの建物鑑賞が楽しめます。特に春と秋は気候も穏やかで、広大な敷地を歩いて回るのに快適な季節です。

基本情報

正式名称 旧西園寺家興津別邸(坐漁荘)警衛詰所、供待及び門
文化財指定 国指定重要文化財(2017年〈平成29年〉2月23日指定)
竣工 1919年(大正8年)
設計 則松幸十(住友本社建築技師)
庭園設計 7代目小川治兵衛(植治)
旧所在地 静岡県静岡市清水区興津(旧・蒲原郡興津町)
現所在地 愛知県犬山市字内山18番地8(博物館明治村内)
所有者 公益財団法人明治村
移築年 1970〜1971年(昭和45〜46年)
入村料 大人 2,500円 / 高校生 1,500円 / 小中学生 700円 / 未就学児 無料(明治村入村料)
開村時間 3月〜10月 9:30〜17:00 / 11月〜2月 10:00〜16:00(季節により変動あり。最終入村は閉村30分前)
アクセス 名古屋駅から名鉄犬山線で犬山駅まで約30分、犬山駅から岐阜バス明治村線で約20分。名古屋駅・栄から直通高速バスもあり。
公式サイト https://www.meijimura.com/

参考文献

西園寺公望別邸「坐漁荘」|博物館明治村
https://www.meijimura.com/sight/%E8%A5%BF%E5%9C%92%E5%AF%BA%E5%85%AC%E6%9C%9B%E5%88%A5%E9%82%B8%E3%80%8C%E5%9D%90%E6%BC%81%E8%8D%98%E3%80%8D/
坐漁荘 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%90%E6%BC%81%E8%8D%98
旧西園寺家興津別邸(坐漁荘) 主屋 - 文化遺産オンライン
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/289503
愛知県資料 旧西園寺家興津別邸(坐漁荘)
https://www.pref.aichi.jp/uploaded/attachment/224176.pdf
「西園寺公望公 別邸『興津坐漁荘』」 - けんせつ静岡
https://sizkk-net.or.jp/magazine/269/townwatch/
博物館明治村 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8%E6%98%8E%E6%B2%BB%E6%9D%91
興津坐漁荘記念館|静岡市観光
https://www.visit-shizuoka.com/spots/detail.php?kanko=479

最終更新日: 2026.03.22

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  1. 旧西園寺家興津別邸(坐魚荘) 警衛詰所 0.00 km
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