堀部家住宅土蔵 養蚕の家が構えた明治の蔵

堀部家の敷地の中央、主屋とも街路の塀とも離れて、壁の厚い土蔵が建つ。主屋の建築から十年後の明治二十六年(一八九三)、堀部勝四郎が建てたものである。この二階建の蔵は、家がもっとも守りたいもの、すなわち道具や品々、そして家の財を成した養蚕の産物を納めた。

堀部家はかつて犬山城主成瀬家に仕えた武家であった。維新を経て武士の世が終わると、勝四郎は事業と養蚕に転じ、その働きの場を整えるなかで、防火に強い土蔵は自然な一棟だった。棟梁は服部市之助が務めた。

登録の理由と価値

土蔵は平成十八年(二〇〇六)三月、堀部家の六棟のひとつとして登録有形文化財となった。隣り合う建物と同じく「国土の歴史的景観に寄与しているもの」として評価されている。蔵は格式ある座敷に比べれば地味に映るが、こうした働きの建物こそ、家がどう暮らし、どう稼いだかを伝える。

その価値は、屋敷が全体として揃っている点にある。主屋、街路の高塀、渡り廊、作業場、そしてこの土蔵が一体となって、犬山城下における明治の養蚕家の姿を保つ。まとめて見れば、客を迎える構えだけでなく、蓄え、働き、生み出す営みまでが読み取れる。

見どころ

建物は桁行四間半、梁間二間半で、切妻造・桟瓦葺の土蔵造である。北側には片引戸の戸口を二か所設け、一間幅の瓦葺の庇で覆う。この控えめな庇がまず目に入り、蔵の働く面を示している。

壁はじっくり見る価値がある。漆喰塗の上に、押縁下見板を軒下まで張り上げ、土壁を雨から守る養生としている。白い漆喰と黒い下見板の取り合わせは、日本の土蔵に共通する装いで、実用と落ち着いた美しさを兼ねる。内部は西から二間の位置で間仕切りし、一階を二室に分ける。

可能なら小屋組を見上げたい。骨組みには、水平に架けるのではなく屋根の勾配に沿って上げる登り梁を用い、下の空間を広く取っている。こうした細部は見落としやすいが、明治の蔵大工の技がもっとも素直に表れる場所である。

Q&A

Q土蔵とはどのようなものですか。
A土壁を漆喰で仕上げ、火や湿気に備えた壁の厚い蔵のことです。家々は貴重品や道具、品々を納めるために用いました。堀部家の土蔵は、養蚕を営む家の蔵として使われました。
Qいつ、誰が建てたのですか。
A主屋の十年後、明治二十六年に堀部勝四郎が建てました。棟梁は服部市之助です。土蔵は敷地の中央に建ち、家の他の建物とともに残っています。
Q壁に板が張ってあるのはなぜですか。
A漆喰の上に押縁下見板を軒下まで張り、土壁を雨から守るためです。漆喰と下見板の組み合わせは、防火の芯を保ちつつ蔵を雨仕舞いする定石の手法です。
Q土蔵の中に入れますか。
A屋敷は「木之下城伝承館・堀部邸」として無料公開され、月曜・火曜が休館です。個々の建物の公開状況は変わることがあるため、内部を見たい場合は公式サイトでご確認ください。
Q敷地内で他に見るべきものは何ですか。
A槍架けや箱階段のある主屋、瓦葺の高塀、渡り廊や作業場がともに残ります。一式として、明治の養蚕家の働く暮らしの全体が見て取れます。

基本情報

名称堀部家住宅土蔵(ほりべけじゅうたくどぞう)
所在地愛知県犬山市大字犬山字南古券272
指定区分登録有形文化財(平成18年3月27日登録)
建築年明治26年(1893年)
構造土蔵造2階建、瓦葺、建築面積約54平方メートル
員数1棟
公開「木之下城伝承館・堀部邸」として無料公開。月曜・火曜休館。時間は変更の場合あり

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)— 堀部家住宅土蔵
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00005470
犬山市 — 旧堀部家住宅について
https://www.city.inuyama.aichi.jp/kurashi/bunka/1001052/1003549/1001062.html
犬山観光ナビ — 旧堀部家住宅
https://inuyama.gr.jp/experience/detail/7/
木之下城伝承館・堀部邸(公式サイト)
https://horibetei.com/

最終更新日: 2026.07.10