濃尾地震のあとに建て直された本堂

徳授寺本堂は、愛知県犬山市大字犬山字南古券の城下町の一角に建つ臨済宗寺院の本堂で、明治29年(1896年)の再建、平成24年(2012年)8月13日に国の登録有形文化財となった。

明治24年(1891年)10月28日の朝、濃尾地震が名古屋北方の平野を引き裂いた。日本の内陸地震としては記録に残るなかでも最大級で、根尾谷に生じた断層崖は今も見ることができる。犬山では城の天守が半壊した。のちに国宝となる建物である。同じ揺れで、徳授寺の本堂も倒れた。

五年後、寺は新しい本堂を得ている。境内の奥に南面して建つのが、その建物だ。見どころは、再建にあたって寺と大工が選ばなかったもののほうにある。

明治29年といえば、日本が西洋の建築技術を四半世紀にわたって取り入れてきた時期にあたる。煉瓦、トラス構造、上げ下げ窓。しかも濃尾地震そのものが、耐震性への関心を一気に高めていた。震災後の再建なら、新しい工法を試す理由はいくらでもあった。徳授寺はそうしなかった。本堂は禅宗寺院の正統な木造建築として、数百年来定まっていた平面形式に従って建てられている。

方丈型六間取という設計、そして省かれた柱

規模は桁行15.1メートル、梁間14.2メートル。入母屋造の桟瓦葺で、建築面積はおよそ235平方メートル。正面には広縁が通る。

内部は方丈型六間取形式である。もとは禅寺の住持の居所である方丈の平面で、本堂にも広く採用された結果、臨済宗・曹洞宗を通じて標準形となった。前列に三室、後列に三室を並べ、後列中央に仏間を置く構成をとる。

内陣の設えは定石どおりだ。須弥壇の背後に来迎壁を立てて内陣を仕切り、天井は小組格天井を張る。格天井の各格間にさらに細かい組子を入れたもので、単なる格天井より手間がかかり、見上げたときの密度がまるで違う。

大工の判断が表れているのは、むしろ外陣のほうである。

六間取であれば、通常は室境に柱が立つ。この本堂ではその柱を省いた。おかげで外陣は途切れのないひと続きの空間になっている。間仕切りが天井に取り付くはずだった位置に入るのは竹の節欄間。細い横材に節状の見付を刻んだ簡素な形式で、透彫の凝った欄間ではない。この抑制は意図的だろう。装飾的な欄間を入れれば、構造の上で取り払った区画が視覚の上で戻ってきてしまう。文化庁が「広闊な外陣空間を創る」と記す通りの効果が、そこにある。

平成18年(2006年)に改修が行われている。

軍勢が宿営した寺

徳授寺は文明8年(1476年)、柏庭宗松の草創により徳寿院として開かれた。開山は桃隠玄朔。山号は了義山、臨済宗妙心寺派に属し、本尊は聖観世音菩薩である。

寺の歴史でもっとも緊迫した数日は、天正12年(1584年)に訪れた。羽柴秀吉方と、織田信雄・徳川家康の連合軍とがこの一帯で対峙した小牧・長久手の戦いである。森長可と池田恒興は徳授寺の殿堂と塔頭のいくつかを借り受けて宿営し、そののち丹羽郡楽田村の茶臼山に布陣した。長久手での戦闘で、二人とも戻らなかった。

現在、寺の五棟が登録有形文化財となっている。本堂、位牌堂、玄関、鐘楼、山門。このうち後の三棟は昭和9年(1934年)の建築である。

美術工芸品も所蔵する。開基柏庭宗松の彫像は愛知県指定文化財。円空作と伝わる聖観世音立像は犬山市指定文化財で、円空は十七世紀に中部地方一円へ数万体の鉈彫りの像を残した遊行の僧である。ほかに釈迦三尊像図など三点の絵画が市指定を受けている。

訪ねかたと、あわせて回れる場所

徳授寺は犬山城下町の町割りのなか、南古券232にある。名鉄犬山駅からは徒歩十分ほど。境内には入ることができ、本堂は外から拝見できる。拝観料はなく、受付もない。内部は常時公開されておらず、内陣や指定文化財の美術品を見たい場合は、当日に頼むのではなく事前に寺へ連絡してほしい。

ひとつ実際的な注意がある。境内には学校法人徳授学園が運営する幼稚園がある。朝の登園時と午後の降園時は人の出入りが多く、この時間帯の境内での撮影は控えるのが賢明だ。

この立地こそ、足を運ぶ理由になる。犬山は戦災を受けなかった。そのため城、堀の線、商家町の町割りが一体で残り、駅から城へ歩く道すじは復元ではない江戸期の街路である。犬山城は現存十二天守のひとつを保つ国宝。その麓には針綱神社が鎮座する。

4月第1土曜・日曜に合わせれば、犬山祭が町を占める。十三輌の車山が曳き出され、上層でからくり人形が演じ、日が落ちると一輌あたり数百個の提灯に灯が入る。この祭りは平成28年(2016年)、全国の山・鉾・屋台行事の一括提案の一件としてユネスコ無形文化遺産に登録された。夏には城下の木曽川で鵜飼が行われる。夜の鵜飼だけでなく、明るいうちに船を出す昼うかいもある。

Q&A

Q徳授寺本堂はなぜ明治29年に再建されたのですか。
A明治24年(1891年)10月28日の濃尾地震で、それまでの本堂が倒壊したためです。同じ地震で近くの犬山城天守も半壊しました。再建にあたっては、当時普及しつつあった西洋工法ではなく、禅宗寺院の正統な木造建築の形式が選ばれています。
Q徳授寺本堂の内部は見学できますか。拝観料は必要ですか。
A境内には自由に入ることができ、本堂は外から拝見できます。拝観料はかかりません。内部は常時公開されていないため、内陣や所蔵の指定文化財を見たい場合は事前に寺へご連絡ください。
Q徳授寺本堂の内部はどのような構成になっていますか。
A方丈型六間取形式で、正面には広縁が通ります。内陣は須弥壇の背後に来迎壁を立て、天井に小組格天井を張ります。外陣は室境の柱を省いており、竹の節欄間を用いることで、ひと続きの広い空間になっています。
Q徳授寺本堂へは犬山駅からどう行けばよいですか。
A名鉄犬山駅から徒歩十分ほどです。寺は犬山城下町の町割りのなか、南古券232にあり、駅から犬山城へ向かう散策路の途中にあたるため、城下町めぐりに組み込みやすい位置にあります。
Q徳授寺本堂のある徳授寺には、どのような歴史がありますか。
A文明8年(1476年)に柏庭宗松が草創し、徳寿院と号したのが始まりです。天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いでは、森長可と池田恒興が殿堂や塔頭を借り受けて宿営し、楽田の茶臼山へ布陣しました。二人とも長久手の戦闘で命を落としています。

基本情報

名称徳授寺本堂(とくじゅじほんどう)
所在地愛知県犬山市大字犬山字南古券232
指定区分登録有形文化財(建造物)/登録番号 23-0346/登録基準「国土の歴史的景観に寄与しているもの」
指定年平成24年(2012年)8月13日登録/第73回登録
員数1棟
寸法桁行15.1メートル、梁間14.2メートル/木造平屋建、瓦葺、建築面積約235平方メートル/入母屋造、桟瓦葺/明治29年(1896年)建築、平成18年(2006年)改修
所有者宗教法人徳授寺
公開状況境内は入場可、拝観料なし、外観見学可。内部は常時非公開で事前連絡が必要。境内に幼稚園あり

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「徳授寺本堂」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00009292
犬山市「登録文化財制度」
https://www.city.inuyama.aichi.jp/kurashi/bunka/1001063/1001067.html
犬山市「『本物』の歴史・文化に出会う」
https://www.city.inuyama.aichi.jp/shisei/shokai/1005454/1005973.html
愛知県公式観光サイト Aichi Now「犬山城下町」
https://aichinow.pref.aichi.jp/spots/detail/176/

最終更新日: 2026.08.06