製品が工場を出ていった場所

半田赤レンガ建物の南端、高い創建時主棟に接続して、明治31年(1898)竣工の低い平屋建が延びる。これがハーフティンバー棟で、完成したビールを扱う場だった。ここで瓶を洗い、詰め、荷造りして出荷に備えた。戸口は両開の板扉とし、当初の上下げ窓は後に閉鎖されたが、作業場としての性格は今も明快である。カブトビールが世に出ていく、生産の最終地点にあたる。

棟の名は構造に由来する。周囲の煉瓦造とは異なり、木の軸組に煉瓦を充填する木骨煉瓦造、すなわち和製ハーフティンバーで建てられている。同じ工法は、明治初期の官営工場で現在は世界遺産となった富岡製糸場にも用いられた。この地味な平屋は、移入された産業技術が日本に根づいていく過程の一端に位置している。

ハーフティンバー棟が評価される理由

本棟は平成16年(2004)に登録有形文化財となった(登録番号23-0135)。他の棟と同じく「造形の規範となっているもの」としての登録である。設計は妻木頼黄とされる。辰野金吾、片山東熊と並ぶ明治建築界の三巨匠の一人で、半田の工場は妻木の現存作で最古と考えられている。

その面白さは、用途に率直な造りにある。東辺部は胴差を入れて軸組を中間で締め、その上に高窓を並べて切妻屋根とし、荷造りの床へ光を落とす。南側は主棟から一続きに片流の屋根が下り、鉄板で葺く。装飾を凝らした貯蔵庫棟の妻壁と並べると、同じ工場のもう一つの顔が見えてくる。見せるための建築ではなく、日々の労働を包む素朴な殻である。この年代の木骨煉瓦造の産業建築は現存例が乏しく、それが登録に値した大きな理由となっている。

訪れて見るべき点

南側から近づくと、片流の屋根が主棟から下っていく様子がわかる。次に東面へ回れば、胴差の上に連なる高窓の帯が見えてくる。瓶の木箱を運び出すために設けられた両開の板扉は、ここが醸造ではなく積み込みと出荷の場であったことを示す。この棟の木の軸組と、隣接する棟の堅い煉瓦壁との対比は、明治の建築工法についてこの建物群が教えてくれる最も明快な一点である。

工場は太平洋戦争中に閉鎖され、中島飛行機の倉庫に接収された。昭和20年(1945)の空襲による機銃掃射の痕は北面の煉瓦に残る。戦後はコーンスターチ工場を経て市の管理に移り、平成27年(2015)の耐震改修を経て通年公開となった。かつてこうした戸口から送り出されたカブトビールは、平成17年(2005)に地元の団体が復刻し、Re-BRICKで生ビールとして供される。製品が旅立った場所で、その一杯を味わって見学を終えることができる。

Q&A

Qここでいうハーフティンバーとは何ですか。
A木の軸組に煉瓦を充填する木骨煉瓦造を指します。壁全体を煉瓦で積む造りとは異なる、ヨーロッパのハーフティンバーに相当する構造です。
Qこの棟は何に使われましたか。
A生産の最終工程を担いました。瓶洗い、瓶詰め、荷造り、出荷準備の場で、両開の板扉は木箱の搬出に合わせた寸法です。
Qこの構造は有名な建物と関係がありますか。
A同じ木骨煉瓦造は、明治初期の官営工場で現在は世界遺産の富岡製糸場にも用いられています。産業技術史の広がりのなかに位置づけられます。
Q設計者は誰ですか。
A明治建築界の三巨匠の一人、妻木頼黄とされます。半田の工場は妻木の現存作で最古と考えられています。
Q見学して復刻ビールも飲めますか。
Aはい。建物群は平成27年から通年公開され、Re-BRICKでは、かつてこの棟から出荷されたカブトビールの復刻版を味わえます。

基本情報

名称半田赤レンガ建物(旧カブトビール工場)ハーフティンバー棟
所在地愛知県半田市榎下町8
指定区分登録有形文化財(平成16年7月23日登録/登録番号23-0135)
年代明治31年(1898)
構造木骨煉瓦造平屋建、鉄板葺、建築面積約784㎡、員数1棟
用途瓶洗い・瓶詰め・荷造り・出荷
設計妻木頼黄
所有者半田市
公開通年公開(年末年始休)

References

文化庁 国指定文化財等データベース — ハーフティンバー棟
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00004242
半田赤レンガ建物 — 公式サイト「半田赤レンガ建物とは」
https://handa-akarenga.com/about/
半田市観光協会 — 半田赤レンガ建物
https://www.handa-kankou.com/spot/akarenga/
愛知県公式観光サイト Aichi Now — 半田赤レンガ建物
https://aichinow.pref.aichi.jp/spots/detail/31/

最終更新日: 2026.07.04