材木商の別荘から始まった料亭

名古屋の東のはずれ、木立に囲まれた高台に、低い木造の建物が点在している。四千坪ほど、一ヘクタールを超える庭のなかにそれは建つ。八勝館。庭に面した個室で日本料理をもてなす、名古屋を代表する料亭である。その始まりは料亭としての歴史よりも古い。明治の中ごろ、一八八〇年代に、柴田孫助という材木商がここに別荘を構えた。材木を商う者は、当然のように良い木を使う。彼が建てたのは数寄屋造りの建物だった。茶室の流れをくむ洗練された住まいの様式で、優れた材を抑制をきかせて扱う、静かな贅沢である。

明治四十三年(一九一〇)、別荘は料理旅館として営業を始め、大正十四年(一九二五)には名古屋の経済人が設立した会社の経営に移った。以来、八勝館の名で続いている。その名は、明治期の僧・雲照律師が与えた禅語に由来する。歳月のあいだに、この場所は文人や数寄者を引き寄せた。陶芸家にして美食家の北大路魯山人も、その歴史に名を連ねる一人である。

令和二年(二〇二〇)、文化庁は九棟の建物を、土地とともに重要文化財に指定した。九棟は、玄関棟、松の間棟、御幸の間棟、新座敷棟、菊の間棟、田舎家、そして正門・西門・中門の三つの門である。指定の理由は一つの傑作にあるのではない。明治の別荘という希少な遺構が、一棟また一棟と建ち継がれ、重層的でひとまとまりのものへと育っていった、その来歴そのものにある。

堀口捨己と、天皇のための座敷

全国から建築家を呼び寄せるのが御幸の間棟である。設計は堀口捨己。近代数寄屋と茶室建築の理論と実作をともに牽引した人物だ。この棟は昭和二十五年(一九五〇)、その年に愛知で開かれた第五回国民体育大会に際し、昭和天皇・皇后両陛下の宿泊所として建てられた。終戦からわずか五年、木材はまだ乏しく、容易な仕事ではなかった。完成した御幸の間は翌年に日本建築学会賞を受け、のちにDOCOMOMO Japanが選ぶ近代建築二十選の最初の一つに名を連ねた。

主室は十六畳。西面には四間にわたる杉の面皮の床框を据え、中央を床、左右を床脇とする。南面の付書院には、桂離宮の笑意軒にならった丸窓が開く。日本の美意識の試金石の一つである。次の間との境の襖は、能装束から取った摺箔の裂を貼り合わせ、山水を表す。とりわけ語るべきは天井だ。中央の軸線に沿って一列の障子を嵌め、その左右を棹縁天井とする。照明は天井裏に隠され、室内へはこの障子の帯を通してのみ光が届く。左右はあえて揃えていない。茶室の規律を近代の目的に向けたもので、これこそ堀口の狙ったところである。

同じ棟には残月の間がある。堀口が表千家の名高い茶室を写した十畳で、皇后の御寝所となった部屋だ。彼の手はこの料亭に幾度も戻ってくる。昭和二十八年(一九五三)には新座敷棟を増築し、菊の間を改修、昭和三十三年(一九五八)には、ここでの仕事の集大成ともいわれる桜の間を完成させた。これらの部屋をたどれば、受け継がれた数寄屋の言語と、近代の直線や色鮮やかな建具とを融合させようとした試みを、一つの場所のなかで見て取ることができる。

庭と田舎家、そして訪ね方

庭の中央に据えられているのが田舎家である。およそ四百年を経た古民家で、昭和の初めに滋賀の甲賀から移築された。中央には囲炉裏が切られ、板場が客の目の前でこれを使って料理を仕上げる。日が暮れれば建物は照らし出され、池に映る。庭そのものが季節をまとう。春を告げる彼岸桜から、夏の深い緑、秋の紅葉、葉を落とした冬の林へと移ろい、古い座敷はいずれもその庭に面して、一室ごとに木々へと開かれた個室になっている。

はっきりさせておきたい点がある。八勝館は営業中の料亭であって、博物館ではない。見学の仕組みもそれに従う。建物を体験する通常の方法は食事をすることであり、それは費用の面でも予約の面でも相応の機会となる。大きな座敷は一定の人数を要する。ただし令和二年の指定以降、料亭は食事を伴わずに御幸の間や桜の間などを見られる見学会を開いてきた。近代日本建築に本気で関心のある人は、これを見逃さず早めに予約したい。堀口の部屋に最も直接に分け入る道だからである。

この建築がそのように見える理由は、敷地の設えにある。建物は疎林のなかの起伏のある地面に建ち、それぞれが渡廊下で次の棟につながる。八勝館を歩くとは、一望の壮大な眺めではなく、切り取られた景の連なりを進むことだ。明治の別荘と戦後の名作とを一つの庭のなかに保つ。その配置こそ、指定が守ろうとしたものである。

Q&A

Q自由に入って見学できますか。
Aできません。八勝館は営業中の高級料亭で、公開された博物館ではありません。建物を体験するには、予約のうえ食事をするか(相応の費用がかかります)、令和二年の指定以降に開かれている見学会に参加します。現在の運用は公式サイトでご確認ください。
Q御幸の間を設計したのは誰ですか。
A近代数寄屋・茶室建築を牽引した堀口捨己です。昭和二十五年(一九五〇)、その年に愛知で開かれた国民体育大会に際し、昭和天皇・皇后両陛下の宿泊所として建てました。翌年、日本建築学会賞を受けています。
Q建物はいつのものですか。
A玄関棟と松の間棟は一八八〇年代、明治中期の別荘時代の建築です。新座敷棟と菊の間棟は明治後期の料理旅館期、三つの門も明治中期とみられます。御幸の間棟は戦後の昭和二十五年(一九五〇)の建築。田舎家はさらに古く、約四百年前の古民家を滋賀から移築したものです。
Q数寄屋造りとは何ですか。
A茶室から発展した洗練された住まいの様式で、左右対称や誇示よりも、自然の素材・非対称・控えめさを重んじます。八勝館は、その明治の姿と、堀口による近代的な再解釈の双方を見せてくれます。
Qアクセスは。
A名古屋市営地下鉄鶴舞線・名城線の八事駅から徒歩約三分、名古屋市昭和区にあります。四千坪ほどの庭でも知られ、その庭はすべての部屋から望めます。

基本情報

名称八勝館(建造物九棟・土地)
所在地愛知県名古屋市昭和区広路町字石坂
指定区分重要文化財(令和二年〔二〇二〇〕指定)
建造物玄関棟・松の間棟・御幸の間棟・新座敷棟・菊の間棟・田舎家・正門・西門・中門
由来材木商・柴田孫助の明治中期の別荘。明治四十三年(一九一〇)より料亭
設計御幸の間(昭和二十五年)ほかを堀口捨己が設計
所有株式会社八勝館
アクセス地下鉄鶴舞線・名城線 八事駅から徒歩約三分
見学営業中の料亭。予約による食事、または令和二年以降の見学会

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁) 八勝館
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/00005287
文化遺産オンライン 八勝館 御幸の間棟
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/594509
八勝館 公式サイト 八勝館について
https://www.hasshoukan.com/about/
八勝館 公式サイト お部屋
https://www.hasshoukan.com/room/

最終更新日: 2026.06.24

同エリアの文化財

いずれも同じエリアの徒歩圏内にあるので、あわせての見学がおすすめです。

  1. 八勝館 玄関棟 0.00 km
  2. 八勝館 松の間棟 0.00 km
  3. 八勝館 御幸の間棟 0.00 km
  4. 八勝館 新座敷棟 0.00 km
  5. 八勝館 菊の間棟 0.00 km
  6. 八勝館 田舎家 0.00 km
  7. 八勝館 正門 0.00 km
  8. 八勝館 西門 0.00 km