山中に残された十七個の礎石

小牧市の北東部、尾張平野を見下ろす標高約200メートルの山の中腹に、四角く並んだ十七個の礎石が残っている。柱を据えるための土台石で、かつてここに塔が建っていたことを示す痕跡である。建物そのものは何ひとつ残らず、堂も門も屋根も失われた。地中に眠る遺構と、わずかな石だけが、今も寺のかたちを示している。

この場所は大山廃寺跡と呼ばれる。正式には大山峰正福寺、通称は大山寺といった。文献資料が乏しく、長く「謎の大山寺」と称されてきた。寺そのものの記録がほとんど失われたまま、かつての規模だけが語り継がれてきた古代寺院である。

仏教はこの斜面に早くから入った。出土した瓦は、最初の寺院が7世紀後半、いわゆる白鳳時代に開かれたことを示している。石の土台に柱を立て、瓦で屋根を葺く寺院建築が、まだ列島に新しかった時期にあたる。古い都から遠く離れたこの山中に、これほど早い時期の山岳寺院が営まれていたことは珍しい。

塔跡の指定から寺域全体の追加へ

昭和4年(1929年)、国はこの塔跡を史跡に指定した。当時の名称は「大山廃寺塔跡」で、林の中に並ぶ十七個の礎石のほかに目に見えるものはほとんどなく、寺の全体像は推測の域を出なかった。

状況が変わったのは1970年代である。昭和49年(1974年)から昭和53年(1978年)にかけて、小牧市教育委員会が遺跡の中心部を発掘した。標高約180メートル、現在は児神社の境内となっている一帯である。調査では塔跡だけでなく、平安時代の掘立柱建物、中世の礎石建物、そして大量の瓦や陶磁器が見つかった。これを受けて昭和55年(1980年)、指定の範囲は寺域全体に広げられ、名称も現在のものへ改められた。

発掘の成果から、遺跡はおよそ四つの時期に分けられる。最も古い寺院は瓦葺きで、礎石の上に柱を立てた伽藍だった。7世紀後半から9世紀まで続いたこの時期の遺構として残るのは、塔跡のみである。次に瓦を用いず、柱を地面に直接埋める掘立柱の伽藍が建てられた。火災ののち堂は再び営まれ、13世紀から15世紀には巨大な本堂をもつ姿へと発展し、山の各所にも堂が建ち並んだとみられる。

指定の基準は、社寺の跡や旧境内など、信仰にかかわる遺跡に置かれている。大山廃寺の価値は、地上に残る建物よりも、地下に読み取れる長い時間の積み重ねにある。一つの山岳寺院の歩みが、およそ八百年にわたってたどれるのである。

山に刻まれた寺の痕跡

訪れてまず目を引くのは塔跡である。三間四方で、礎石の間隔はおよそ2.4メートル。中央には塔の心柱を支える心礎が据えられている。この心礎をよく見ると、柱に湿気が伝わらないよう水を逃がす細工が施されているのがわかる。塔が三重であったか五重であったかは、今もわかっていない。

礎石の周囲は森が広がるばかりだが、斜面を削って造られた平坦地が、天川山と児山の間の谷に大小あわせて二十か所余り確認されている。堂や僧坊が建っていた場所である。最盛期には比叡山の延暦寺と並び称され、「西の延暦寺、東の大山寺」と言われたと伝わる。その規模を思い描きながら歩きたい。

寺域の中心には今、児神社が鎮座する。寺が焼けたとき命を落とした二人の稚児を、高倉天皇の勅によって祀ったのが始まりと伝えられ、祭礼の日には今も参拝者が訪れる。一方、寺の縁起は、天台宗を開いた最澄が延暦年間(およそ800年頃)に創建したと記す。しかし出土する瓦はそれより一世紀ほど古く、両者は一致しない。この食い違いもまた、この寺をめぐる興味のひとつである。

出土した品々は屋内に移されている。白鳳から奈良時代の瓦、古瀬戸の陶器、灰釉の碗や天目茶碗などが、小牧市歴史館に保管・展示されている。先に遺物を見てから空の塔跡に立つと、足もとの石の意味が違って感じられる。

アクセスと周辺の見どころ

大山廃寺跡は交通の便がよいとは言えない場所にあるが、それもこの遺跡の性格の一部である。最も分かりやすいのは、名鉄小牧線の小牧駅から「こまき巡回バス」を利用する経路で、「児神社前」で降りて坂道を二十分ほど登る。中央自動車道の小牧東インターチェンジからは、車で数分の距離にある。山道を歩くため歩きやすい靴がよく、巡回バスは便数が限られるので、出かける前に時刻を確かめておきたい。

あわせて訪ねたいのが、出土遺物を収める小牧市歴史館である。織田信長が1560年代に城を築いた小牧山の頂に建ち、天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いの舞台ともなった丘である。館は平野を見渡す展望の場所でもある。

遺跡の近くには市民四季の森があり、初夏には紫陽花が見頃を迎える。一日かけて巡るなら、隣接する犬山市の野外博物館・明治村にも無理なく足をのばせる。

Q&A

Q実際に見られるものはありますか。
A建物は残っていませんが、見どころはあります。中心となるのは十七個の礎石が並ぶ塔跡で、塔の心柱を支えた心礎や、湿気を逃がす細工も確認できます。周囲の森には、ほかの堂が建っていた平坦地の跡も見て取れます。
Q出土した遺物はどこで見られますか。
A発掘で見つかった瓦や陶磁器は、小牧山の頂にある小牧市歴史館に保管・展示されています。遺跡とあわせて一日でまわる人が多い場所です。
Qこの寺を開いたのは誰ですか。
A寺の縁起は、日本の天台宗を開いた最澄が800年頃に創建したと記します。ただし出土した瓦はそれより一世紀ほど古い7世紀後半を示しており、文献の伝承と発掘の成果は一致していません。
Qなぜ「謎の大山寺」と呼ばれたのですか。
A寺に関する文献がほとんど残らなかったため、長らく塔の礎石以外のことがよくわかっていませんでした。現在知られている内容の多くは、1970年代の発掘調査によって明らかになったものです。
Q見学にはどれくらいかかりますか。
Aバス停から坂道を二十分ほど登り、遺跡では三十分ほどを見ておくとよいでしょう。足もとは森の中の起伏のある地面なので、歩きやすい靴が安心です。屋外の史跡で、入場は無料です。

基本情報

名称大山廃寺跡(おおやまはいじあと)/正式名称・大山峰正福寺、通称・大山寺
所在地愛知県小牧市大山
指定区分国指定史跡
指定年昭和4年(1929年)塔跡として指定/昭和55年(1980年)寺域全体を追加指定し名称変更
時代白鳳時代(7世紀後半)創建、室町時代まで存続
塔跡三間四方、礎石17個、柱間およそ2.4メートル
管理団体小牧市
出土遺物小牧市歴史館に保管・展示
アクセスこまき巡回バス「児神社前」下車、徒歩約20分(坂道)
料金無料(屋外史跡)

References

国指定文化財等データベース(文化庁)「大山廃寺跡」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/1412
文化遺産オンライン(文化庁)「大山廃寺跡」
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/161388
小牧市「大山廃寺跡」
https://www.city.komaki.aichi.jp/admin/soshiki/kyoiku/bunkazai/1_1/2/bunkazai/shiteibunkazai/3/9118.html
愛知県教育委員会 郷土学習資料「大山廃寺跡」
https://apec.aichi-c.ed.jp/kyouka/shakai/kyouzai/2018/syakai/owari/owa036.htm

最終更新日: 2026.06.14