那波紙店文庫蔵 ― 移されてきた蔵、屋根に呑まれた蔵
土蔵は、ふつう母屋から離して建てる。理由は火である。厚い土壁で包んだ箱に、失ってはならないものを収める。母屋と離すこと自体が防火の作法だった。
那波紙店の文庫蔵は、その作法に従っていない。店舗兼主屋のすぐ後方、北寄りに東西棟で建ち、置屋根式の屋根を主屋の屋根と一連に架けている。通りから眺めれば、主屋と蔵はひとつの塊として見える。
この形式を内蔵(うちぐら)という。外に出ずに、家の中から入れる蔵である。
桁行七・三メートル、梁間五・二メートル。建築面積106平方メートル、土蔵造二階建、鋼板葺。文化庁の記録は、年代を明治中期(1883〜1897)とし、明治四十一年(1908)に移築されたと記す。
年代がふたつある建物
この「1908年移築」という一点が、同じ敷地の他の蔵とこの蔵を分けている。
土蔵を移すのは、木造家屋を曳くのとは訳が違う。壁そのものが構造体であり、竹小舞に土を何層も塗り重ねて厚みを作った塊を、そのまま持ち上げることはできない。移築とは解体と再構築を意味する。明治四十一年、那波家はその手間を払う価値があると判断した。文庫蔵の「文庫」が何を指すかを思えば、理由は察しがつく。帳簿であり、証文であり、家の記録である。
ただし、秋田県が作成した登録説明資料は、この移築に一切触れていない。年代を「明治中期」とのみ記す。一次資料としての優先順位は国指定文化財等データベースにあるため本稿は1908年移築を採るが、二つの公的資料の記述が食い違っている点は書き添えておきたい。
県の資料が記すのは、蔵への動線である。主屋のトオリからくの字型に続く蔵前の土間、その先に文庫蔵が配置される。商品も、帳面も、人も、道に出ることなくこの線の上を動いた。
登録の理由
文庫蔵の登録は平成二十六年(2014)四月二十五日。登録番号05-0196、第77回登録。登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」。同じ日に、那波紙店の他の四棟も同時に登録されている。
登録有形文化財は「指定」ではない。平成八年(1996)に始まったこの制度が想定していたのは、こういう建物である。現役の敷地に建つ現役の建物で、単独の記念物としてではなく町並みの一部として価値を持ち、重要文化財のような厳格な現状変更規制よりも届出制の緩やかな枠組みのほうが適している。所有者は蔵を使い続けられる。それが制度の設計思想である。
文化庁の解説文が挙げるのは、屋根の架け方と仕上げである。置屋根式の屋根を主屋の屋根と一連とし、内蔵形式とすること。外壁は漆喰塗で鉢巻を廻らすこと。西面の戸口に上質な掛子塗の扉を吊ること。そして、要所を黒漆喰塗で引き締めること。
細部を読む
掛子塗(かけこぬり)の扉について、少し説明を加えたい。
蔵の扉は密閉しなければならない。火事のとき、枠まわりにわずかな隙間でもあれば炎を吸い込み、中身は失われる。掛子塗は、扉と枠の断面を階段状に刻んで噛み合わせることでこれを解決する。閉めると、平らな一本の合わせ目ではなく、何段もの重なりが順に噛む。その段の一つひとつに漆喰を塗る。重い塗り扉で段の精度を出すのは難しい仕事で、文化庁がこれを「上質な」と評したのは、左官の腕に対する評価である。
黒漆喰も、二つの仕事を同時にしている。松煙を混ぜた黒漆喰は白漆喰より硬く、水に強い。だから雨のあたる要所に使う。同時にそれは、白い壁に黒い縁という、見え方の選択でもある。
内部について、県の資料はこう記す。床は板張り、天井は根太天井、柱間は貫で支える重厚な造り。小屋組に地方の癖が出ている。妻側は、棟を直接受ける梁を三本の束で支える束立て形式。桁行中央部は、大梁の上に梁を直に重ね、その上に棟木を直接受ける敷梁を乗せる。束を使わない。秋田の大工がしばしば選んだ組み方である。
これらはいずれも通りからは見えない。内蔵とは、そういうものである。
訪ねるにあたって
文庫蔵は非公開である。手前の店舗は営業時間内(月〜金 9:30〜17:30、土 9:00〜17:00、日祝・お盆・年末年始休)に入店できるので、蔵へ続く土間の入口までは近づける。
通りからは、店の背後へ伸びる連続した屋根の線を探すとよい。切れ目のないその一枚が、主屋と蔵をまとめて覆う置屋根であり、ここで内蔵形式が働いていることを、外から確かめられる唯一の手がかりになる。
昭和五十八年(1983)の日本海中部地震で、那波紙店の土蔵二棟の壁が崩れ落ち、改修が行われている。同店の社史はどの蔵であったかまでは記していないため、文庫蔵が含まれていたかは確認できない。
秋田駅からは徒歩十五分から十八分ほど。
Q&A
- 文庫蔵は見学できますか。
- できません。営業中の商家の敷地内にある現役の私有蔵で、公開はされていません。同じ敷地の前面にある店舗は営業時間内に入店できます。
- 内蔵形式とは何ですか。
- 庭に独立して建てるのではなく、家屋の中に取り込まれ、屋内から出入りできる蔵の形式です。この文庫蔵の場合、置屋根を主屋の屋根と一連に架けることで、両者がひとつの塊として構成されています。
- 何を収めていた蔵ですか。
- 「文庫」の名が示すとおり、帳簿や証文などの記録類、および家財を納める蔵です。売り物の紙は、隣に並び建つ商品蔵に収められていました。
- 年代について資料が食い違うのはなぜですか。
- 文化庁の国指定文化財等データベースは「明治中期/明治41移築」と記し、秋田県の登録説明資料は「明治中期」とのみ記して移築に触れていません。本稿は一次資料の優先順位に従い、文化庁の記述を採っています。
- 置屋根とは何ですか。
- 土蔵本体の上に別に架ける屋根のことで、漆喰塗の壁面を雨や雪から守ります。蔵本体とは構造的に独立しているため、隣接する建物の屋根まで延ばして一連にすることができます。文庫蔵はその例にあたります。
基本情報
| 名称 | 那波紙店文庫蔵(なばかみてんぶんこぐら) |
|---|---|
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物) |
| 登録番号 | 05-0196 |
| 登録年月日 | 平成26年(2014)4月25日/第77回登録 |
| 登録基準 | 国土の歴史的景観に寄与しているもの |
| 員数 | 1棟 |
| 時代・年代 | 明治/明治中期(1883〜1897)、明治41年(1908)移築 |
| 構造及び形式等 | 土蔵造2階建、鋼板葺、置屋根式、内蔵形式 |
| 規模 | 桁行7.3メートル、梁間5.2メートル/建築面積106平方メートル |
| 種別 | 産業3次/建築物 |
| 所在地 | 秋田県秋田市大町4-219他 |
| 所有 | 個人所有(株式会社那波伊四郎商店の敷地内) |
| アクセス | JR秋田駅から徒歩約15〜18分 |
| 公開状況 | 非公開 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)/那波紙店文庫蔵
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00009875
- 文化遺産オンライン/那波紙店文庫蔵
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/260342
- 秋田県/登録有形文化財(建造物)那波紙店 登録説明資料(PDF)
- https://www.pref.akita.lg.jp/uploads/public/archive_0000007683_00/naba.pdf
- 那波紙店(株式会社那波伊四郎商店)/ご案内・沿革
- https://naba-net.co.jp/about/
最終更新日: 2026.07.16