那波紙店店舗兼主屋 ― 今も紙を売る、秋田町家の現役

平日の朝九時半、店の戸が開く。国の登録有形文化財でありながら、この建物には「見学」という言葉が似合わない。ケヤキの看板の下をくぐれば、そこは和紙を買いに来た客と店員が言葉を交わす場所である。株式会社那波伊四郎商店、通称・那波紙店。明治十一年(1878)の創業以来、秋田市大町のこの地番で紙を商い続けている。

建築面積463平方メートル。木造平屋一部二階建、鉄板葺。西を向いて建つこの主屋の敷地は、久保田城の南西方にあたる。

佐竹義宣が久保田城を築いたとき、旭川を境に東を内町(武士の町)、西を外町(町人の町)と分けた。外町には土崎湊から商人が移され、町ごとに特定商品の占売権が与えられる。大町・茶町はその中心で、茶、紙、砂糖、畳、荒物といった品目を扱う権利を握っていた。初代那波伊四郎は、秋田藩の御用聞商人であった那波商店から分家し、「升伊」の屋号を掲げて茶と砂糖の店を開く。それが那波紙店の始まりである。

俵屋火事と、その後

明治十九年(1886)四月三十日、午後十一時十分。川反四丁目から火が出た。当夜は東南の烈風、風速21.8メートル。翌五月一日午前七時にようやく鎮火するまでに、焼失戸数3,554、死者十七名、負傷者186名。外町はほぼ焼け野原になった。出火元の商家の通称から、この大火は俵屋火事と呼ばれる。

那波紙店も焼けた。

その後に何が起きたのかについて、同店の社史は、土崎湊の船宿を解体して現在地に移築した、と記す。ただしこれは同店自身が「伝承される」と断っている事柄であり、文化庁の記録に裏付けはない。国指定文化財等データベースが記す年代は「明治中期/1883〜1897」で、火事の翌年以降の再建という筋道とは矛盾しない、というところまでが確実に言えることである。

同じ頃、商いの中身も変わった。茶と砂糖から和紙へ。以来、那波家は紙を扱い続けている。

なぜ登録有形文化財なのか

登録有形文化財という制度は、平成八年(1996)に始まった比較的新しい仕組みである。国宝や重要文化財を生む「指定」の制度が、限られた対象に厳しい現状変更規制をかけるのに対し、「登録」は、国土の歴史的景観に寄与する建造物を幅広く受け止め、所有者が使い続け、必要に応じて手を入れることを前提とする。屋根を直し、商品を並べ、客を迎え続けなければならない現役の店にとって、この軽さこそが制度の要点になる。

店舗兼主屋の登録は平成二十六年(2014)四月二十五日、第77回登録、登録番号05-0195。登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」の一号のみである。

文化庁の解説文が挙げるのは、切妻造妻入鉄板葺という屋根形式、南西面に廻らせた下屋、妻壁の梁や束を化粧で現す外観、そして南側に通す土間沿いにオエや台所を並べ、奥寄りの仏間や座敷を鍵型に張り出す間取り。加えて、コミセの名残をとどめる点が指摘されている。当地の町家の特徴を示す、という評価である。

見どころ

道の向かい側に立って、まず屋根を見たい。

秋田県が作成した登録説明資料は、この建物の二階の屋根形式について、明治期に建てられた近隣の町家に比べて勾配がゆるく、屋根の立ち上がりも低い、と指摘する。そして、それを江戸時代の町家形式の継承と読む。土崎湊の船宿移築という伝承が事実であれば、この古めかしさに説明がつくのだが、そこは未確認のままにしておくほかない。

次に、通りに面した妻壁。梁と、その上に立つ短い束が、漆喰で塗り込められずに露出している。化粧梁・化粧束と呼ぶ手法で、構造材をそのまま意匠として見せている。文化庁がこの建物を秋田の町家と判定する根拠のひとつがここにある。

店に入ると、南側にトオリと呼ばれる土間が奥まで抜けている。この土間は主屋の奥にある蔵前の土間へ続き、そこから文庫蔵・商品蔵へつながる。単なる通路ではない。商家の建物にとって、この土間は背骨であり、商品が動く経路そのものだった。

かつての売り方も、この構造と結びついていた。畳敷きの座売り。店先に置くのは見本だけで、客の注文を受けてから蔵から商品を運び出し、畳の上に広げる。現在の陳列棚に切り替わったのは昭和五十一年(1976)頃のことである。

トオリの北側にはヘヤと仏間が平行に並ぶ。仏間の東には、大正年間に増築された新座敷、控間、髪結い部屋がある。商売の変化だけでなく、暮らしの変化もこの建物は受け止めてきた。

入口の上には、「和紙」「洋紙」と彫られたケヤキの看板が掛かる。昭和二十二年(1947)頃、初代が使っていた小さな看板に代えて掲げられたものだという。

訪ねるにあたって

営業は月曜から金曜が9:30〜17:30、土曜が9:00〜17:00。日曜・祝日、お盆時期、年末年始は休み。駐車場は四台分。満車時に近隣のコインパーキングを利用した場合、精算時に駐車券を提示すると30分相当の補助がある。

公開されているのは店舗部分のみである。背後の蔵や、通りを挟んだ蔵・倉庫は現役の私有財産で、内部の見学はできない。営業中の店であることを念頭に置きたい。

秋田駅からは徒歩十五分から十八分ほど。同じ那波紙店の登録有形文化財が徒歩数分の範囲に四棟あり、旧金子家住宅(民俗芸能伝承館)や重要文化財の旧秋田銀行本店本館(赤れんが郷土館)も近い。

Q&A

Q中に入れますか。
A営業時間内であれば、一階の店舗部分は自由に入れます。買い物客として迎えられる場所です。住居部分・二階・蔵は非公開で、見学はできません。
Q登録有形文化財と重要文化財は何が違うのですか。
A重要文化財は「指定」の制度で、対象を厳選し、現状変更に厳しい規制がかかります。登録有形文化財は平成八年(1996)に始まった「登録」の制度で、国土の歴史的景観に寄与する建造物を幅広く対象とし、規制は届出制を基本とする緩やかなものです。使い続けながら守ることを想定した仕組みといえます。
Q土崎湊の船宿を移築したというのは事実ですか。
A那波紙店の社史に、俵屋火事で全焼した後に土崎湊の船宿を解体移築した、と記されています。ただし同店自身が「伝承される」としており、文化庁のデータベースは年代を「明治中期/1883〜1897」と記すのみです。伝承として受け止めるのが妥当でしょう。
Qコミセとは何ですか。
A町家の一階部分の庇を通りに張り出し、店先に覆いのある空間をつくる形式です。雪国の商人町に広く見られましたが、現存例は多くありません。文化庁の解説文は、この建物がその名残をとどめると評価しています。
Q何が買えますか。
A和紙と和小物です。同店は多いときで約三百種類の和紙を扱っており、紙そのもののほか、絵はがきやコースターなどの小物も並びます。

基本情報

名称那波紙店店舗兼主屋(なばかみてんてんぽけんしゅおく)
指定区分登録有形文化財(建造物)
登録番号05-0195
登録年月日平成26年(2014)4月25日/第77回登録
登録基準国土の歴史的景観に寄与しているもの
員数1棟
時代・年代明治/明治中期(1883〜1897)
構造及び形式等木造平屋一部2階建、鉄板葺、切妻造妻入
建築面積463平方メートル
種別産業3次/建築物
所在地秋田県秋田市大町4-219他(店舗住所:秋田市大町4-3-35)
所有個人所有(株式会社那波伊四郎商店として営業)
アクセスJR秋田駅から徒歩約15〜18分
公開状況店舗部分のみ営業時間内に入店可(月〜金 9:30〜17:30、土 9:00〜17:00、日祝・お盆・年末年始休)。蔵・倉庫は非公開。

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)/那波紙店店舗兼主屋
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00009874
文化遺産オンライン/那波紙店店舗兼主屋
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/232301
秋田県/登録有形文化財(建造物)那波紙店 登録説明資料(PDF)
https://www.pref.akita.lg.jp/uploads/public/archive_0000007683_00/naba.pdf
那波紙店(株式会社那波伊四郎商店)/ご案内・沿革
https://naba-net.co.jp/about/

最終更新日: 2026.07.16