葉佐池古墳とは — 1400年の時を超えて伝わる古代の葬送儀礼

葉佐池古墳(はざいけこふん)は、愛媛県松山市北梅本町の標高121メートルの丘陵上にひっそりと佇む、古墳時代後期(6世紀中頃から7世紀初頭)に築かれた長円形の古墳です。1992年に偶然発見されたこの古墳は、5基の埋葬施設を有し、そのうち調査された1号石室と2号石室がいずれも未盗掘であったという、全国でも極めて稀な貴重な遺跡として知られています。

横穴式石室は出入りが容易な構造のため、ほとんどが盗掘の被害に遭ってきましたが、葉佐池古墳の石室は閉塞された後に人が立ち入った形跡がなく、最終埋葬時の様子を奇跡的にそのまま伝えています。木棺や副葬品、そして当時の葬送儀礼の痕跡が手つかずで残されたことにより、約1400年前に四国西部に暮らした人々がどのように死者を見送ったのかを、現代に蘇らせる「タイムカプセル」のような役割を果たしているのです。

発見と調査の歩み

葉佐池古墳が世に知られるようになったのは、1992年(平成4年)6月のことでした。土地の所有者が重機を入れて開墾しようとしたところ、偶然1号石室の天井石の1枚に重機が当たり、地中に隠れていた古代の墓室の存在が明らかになったのです。幸いにも石室内部に大きな損傷はなく、すき間から覗いた内部には供献用の須恵器や木棺の残欠と思われる木材が確認されました。

この発見の重要性を直ちに察知した松山市は、古墳所在地を公有化したうえで、翌1993年から本格的な学術調査に着手しました。2008年までの間に5次にわたる発掘調査が実施され、墳丘の規模や構造、5基の埋葬施設の存在、そして数次にわたる築造・改修の過程が次々と明らかになりました。長年の調査成果が認められ、2011年(平成23年)2月7日、葉佐池古墳は国の史跡に指定されました。これは松山市にとって4件目の国指定史跡であり、市の文化財行政にとって画期的な出来事となりました。

なぜ国の史跡に指定されたのか

葉佐池古墳が国の史跡に指定された最大の理由は、未盗掘の横穴式石室が複数存在し、古墳時代後期の葬送儀礼を具体的に復元できる稀有な遺跡である点にあります。1基の横穴式石室の中で、最初の埋葬から最終埋葬に至るまでの数回の追葬と儀礼行為が手つかずの状態で確認できる事例は、全国を見渡してもほとんど類例がありません。

とりわけ注目されるのは、1号石室から出土した人骨に大量のハエのさなぎの殻が付着していたという発見です。日光を好むハエの種類であったことから、亡くなった方は石室に納められる前、死後7日から10日ほど光の差す場所に安置されていたことが判明しました。これは古代の「モガリ(殯)」と呼ばれる葬送儀礼が実際に行われていた物的証拠であり、文献史料でしか知り得なかった古代の死生観を、考古学的に裏付けた画期的な成果といえます。さらに、馬の下顎骨を埋めた施設も見つかっており、古墳築造に際して動物供犠を伴う祭祀が行われていたことも示唆されています。

見どころ — 古代の墓室を間近に見る

葉佐池古墳公園では、史跡を保存しながら来訪者が安全に見学できるよう、丁寧な整備が施されています。最大の見どころは、専用の見学施設で間近に観察できる1号石室です。

1号石室見学施設

両袖型の横穴式石室である1号石室は、全長約4メートル、玄室の長さ2.8メートル、幅1.4メートル、高さ1.8メートルの規模を持ちます。発掘調査では、6世紀後半に最初の埋葬が行われ、その後7世紀初頭にかけて少なくとも2回の追葬が行われたことが分かっています。見学施設では、ガラス越しに石室内部を観察でき、千数百年前の石組みの精緻さや、玄室の閉塞状況をご覧いただけます。

2号石室と墳丘

2号石室は1号石室よりさらに大きく、全長7.1メートル、玄室の長さ3.6メートル、幅2.3メートル、高さ2.4メートルに及びます。こちらも未盗掘で、木棺の破片、須恵器、馬具、鉄器などの副葬品が出土しました。墳丘そのものは、最初に築かれた古墳を一度壊して上に新たな古墳を築くという複雑な過程を経ており、長円形の現在の姿に至っています。墳頂からは松山市街方向の眺望が広がり、古代の人々がこの場所を選んだ理由の一端を感じ取ることができます。

ガイダンス棟の展示

公園内のガイダンス棟では、葉佐池古墳の発見から調査、そして史跡指定に至るまでの歩みをパネルや映像で詳しく解説しています。出土した須恵器のレプリカや復元模型を通じて、被葬者がどのような人物であったのか、当時の葬送儀礼がどのように行われたのかを立体的に学ぶことができます。古墳周辺には須恵器を焼いた登り窯の跡も分布しており、被葬者は須恵器生産に関わる工人集団のリーダー、あるいはその一族であった可能性が指摘されています。

周辺の見どころ

葉佐池古墳のある松山市東部には、古墳時代から近世に至るまでの豊かな歴史文化資源が点在しています。古墳見学と合わせて、ぜひ周辺の名所もお楽しみください。

  • 松山市考古館 — 葉佐池古墳の出土品をはじめ、松山市内の遺跡から発掘された貴重な資料を多数展示しています。
  • 松山城 — 江戸時代に建てられた現存十二天守の一つで、市街地中心の勝山山頂に聳え立つ国指定重要文化財です。
  • 道後温泉本館 — 約3000年の歴史を持つとされる日本最古級の温泉施設で、国の重要文化財に指定されています。
  • 湯築城跡 — 中世伊予国の守護河野氏の本拠地であった国指定史跡で、葉佐池古墳と同じく松山市内に位置しています。

Q&A

Q葉佐池古墳はいつ、誰によって発見されたのですか?
A1992年(平成4年)6月、松山市北梅本町の丘陵地で土地の所有者が重機による開墾作業を行っていた際に偶然発見されました。重機が1号石室の天井石の1枚に当たったことで、地中に眠っていた古代の墓室の存在が明らかになりました。
Qなぜこの古墳は学術的にそれほど重要なのですか?
A調査された1号・2号石室のいずれも未盗掘で、最終埋葬時の状態がそのまま残されていたためです。古代の葬送儀礼「モガリ(殯)」の物的証拠や、複数回にわたる追葬の過程など、文献資料だけでは知り得ない情報を考古学的に解明できる極めて貴重な遺跡です。
Q古墳の中に入って見学することはできますか?
A石室内部に直接入ることはできませんが、1号石室は専用の見学施設からガラス越しに間近に観察することができます。ガイダンス棟では復元模型や出土品のレプリカ展示もあり、古墳の構造や当時の様子を分かりやすく学ぶことができます。
Q葉佐池古墳公園の入園料はかかりますか?
A葉佐池古墳公園は無料で公開されています。公開日は土曜日・日曜日・祝日(年末年始を除く)で、平日に見学を希望される場合は事前に松山市文化財課へご連絡いただく必要があります。
Q被葬者はどのような人物だったと考えられていますか?
A古墳の周辺には古墳時代から奈良時代にかけての須恵器を焼いた登り窯が分布しており、被葬者は須恵器生産に関わる工人集団のリーダー、あるいはその一族であった可能性が指摘されています。出土した馬具や鉄器からも、地域社会で一定の地位を有していた人物群の墓と考えられています。

基本情報

名称 葉佐池古墳(はざいけこふん)
文化財種別 国指定史跡(指定年月日:2011年2月7日)
所在地 愛媛県松山市北梅本町
築造時期 古墳時代後期(6世紀中頃〜7世紀初頭)
墳形・規模 長円形 / 長径約41メートル、最大幅約23メートル
埋葬施設 5基(横穴式石室3基、竪穴式石室2基)
発見年 1992年(平成4年)6月
公開施設 葉佐池古墳公園(2014年7月12日開園)
公開日 土曜日・日曜日・祝日(年末年始を除く)
公開時間 3月〜10月:9:00〜17:00 / 11月〜2月:9:00〜16:30
入園料 無料
アクセス 伊予鉄横河原線「梅本駅」から徒歩約26分(約2km)/ 松山自動車道「松山IC」から車で約20分
お問い合わせ 松山市文化財課(電話:089-948-6603)

参考文献

葉佐池古墳公園 — 松山市公式ホームページ
https://www.city.matsuyama.ehime.jp/shisetsu/bunka/hazaikekofunkoen.html
葉佐池古墳 — 松山市公式ホームページ(観光案内)
https://www.city.matsuyama.ehime.jp/kanko/kankoguide/rekishibunka/bunkazai/kuni/hazaike_kofun.html
葉佐池古墳 — 文化遺産オンライン(文化庁)
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/214173
史跡 葉佐池古墳 — 松山市考古館
https://www.cul-spo.or.jp/koukokan/information/josetsuten/tenji11.html
葉佐池古墳 — Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/葉佐池古墳
葉佐池古墳 — 全国遺跡報告総覧(奈良文化財研究所)
https://sitereports.nabunken.go.jp/en/11394

最終更新日: 2026.04.30