大洲城の重要文化財とは

大洲城は、愛媛県大洲市大洲にある江戸後期(1843〜1861年)の城の櫓群で、昭和32年(1957年)6月18日に国の重要文化財に指定された(文化庁)。読みは「おおずじょう」。

文化庁の記録では、台所櫓(安政6年=1859年)、高欄櫓(文久元年=1861年)、苧綿櫓(天保14年=1843年)の3棟で、いずれも二重二階櫓、本瓦葺。指定番号は01416である。

3棟の櫓

台所櫓は、大洲城に現存する4棟の櫓のなかで最も大きく、天守とは渡櫓でつながる(大洲市)。安政4年(1857年)の大地震で大破し、その2年後に再建された。籠城時に城兵の台所として使うため1階の3分の1が土間で、排煙用の格子窓も付く。

高欄櫓は本丸の入口に位置し、北側の天守とは渡櫓でつながる(大洲市)。上層の屋根に軒唐破風、西南隅に袴腰形の石落しを設け、窓の外へ出る廻縁に擬宝珠付きの高欄を廻らす。文化庁は文久元年(1861年)の建築とし、大洲市は万延元年(1860年)の再建としている。

苧綿櫓は二の丸の東隅に独立して建ち、肱川に面して城の東の守りを担った(大洲市)。天保14年(1843年)に再建され、外隅に袴腰形の石落としを備える。洪水の被害をたびたび受けたため、昭和34年(1959年)に解体修理を行い、土台の石垣を約2.6メートルかさ上げしている。

重要文化財としての価値

文化庁は、台所櫓・高欄櫓・苧綿櫓の3棟を一件の重要文化財として指定している。大洲市によれば、櫓に高欄を設ける例はきわめて珍しく、高欄櫓は天守に次ぐ高い格式の櫓と考えられる。

見どころ

大洲市によれば、大洲城は肱川のほとりの丘に築かれた平山城で、肱川を天然の堀とした。元和3年(1617年)から明治2年(1869年)まで加藤家の居城となったが、明治時代に18棟あった櫓は次々に失われ、明治21年(1888年)には天守も取り壊された。平成16年(2004年)に4層4階の天守が木造で復元され、台所櫓と高欄櫓はその両側に渡櫓でつながる。

天守の両脇に並ぶ台所櫓と高欄櫓、廻縁の高欄、川沿いに独立して建つ苧綿櫓の石落としが見どころである(大洲市)。三の丸の南隅には、別に重要文化財に指定された三の丸南隅櫓が残る。

見学について

大洲市によれば、伊予大洲駅から車で5分、徒歩で15分である。3棟とも大洲市が所有する(文化庁)。開館時間や料金について公的な案内は確認できなかった。

Q&A

Q大洲城の重要文化財の櫓はいくつありますか?
A台所櫓・高欄櫓・苧綿櫓の3棟が一件として指定されています(文化庁)。
Q高欄櫓の特徴は?
A窓の外の廻縁に擬宝珠付きの高欄を廻らすことで、櫓としてはきわめて珍しい例です(大洲市)。
Q大洲城の天守は当時のものですか?
Aいいえ。明治21年(1888年)に取り壊され、平成16年(2004年)に木造で復元されました(大洲市)。
Q大洲城への行き方は?
A伊予大洲駅から車で5分、徒歩で15分です(大洲市)。
Q大洲城が重要文化財に指定されたのはいつですか?
A昭和32年(1957年)6月18日です(文化庁)。

基本情報

名称大洲城(おおずじょう)
所在地愛媛県大洲市大洲
指定区分重要文化財(建造物)
指定年昭和32年(1957年)6月18日指定
員数3棟
寸法台所櫓・高欄櫓・苧綿櫓(いずれも二重二階櫓、本瓦葺)
所有者大洲市
公開状況伊予大洲駅から徒歩15分

参考文献

大洲城(国指定文化財等データベース)
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/3376
大洲市文化財探訪① 大洲城(大洲市)
https://www.city.ozu.ehime.jp/bunkazaitanbou/pdf/ozu_jp.pdf

最終更新日: 2026.10.19

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  1. 大洲城 苧綿櫓 0.00 km
  2. 大洲城 台所櫓 0.15 km
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