移された蔵

秤蔵の床材には万延二年(一八六一)の墨書が残る。ただし建物がいま建つ場所に据えられたのは、それよりずっと後のことと考えられている。この年号を古い家相図と照らし合わせた結果、蔵は明治後期に現在地へ移され、その折に改造されたと推定されている。現在は車庫などに用いられ、屋敷の登録建造物のうち最も小さく、改変も多い一棟だが、屋敷構成の移り変わりをたどるうえで欠かせない。

秤蔵が建つのは福岡県うきは市浮羽町山北、河北家が約八百年にわたり居を構えてきた楠森河北家住宅である。平成十六年(二〇〇四)に国の登録有形文化財となった屋敷内八棟の一つに数えられる。

登録の理由と価値

桁行約七メートルの木造平屋建で、切妻造、桟瓦葺とし、材木小屋の西妻面に接続して建つ。登録の基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」である。単一の年号や洗練された細部よりも、屋敷という移ろう全体について何を明かすかに価値がある建物には、この基準がよく合う。

移築され用途を変えた事実を覆い隠すのではなく、記録はそれをとどめている。移され、造り替えられた蔵は、生きた農家がどのように姿を変えていくか、建物を動かし、用途を改め、古いものを新しい構成へ組み込んでいく過程を示す率直な証しである。屋敷の建物を家相図とあわせて読むことで、その変化の順序を復元できる。

見どころ

ここでの面白さは、建築であると同時に史料的でもある。床材が建物の現在位置より古いと知れば、簡素な蔵は屋敷の歴史をめぐる小さな謎となり、その解決を家相図が助ける。材木小屋との接続部は、屋敷が付属棟を一連の群としてつなぐ習いを、ここでも示している。

この屋敷における変化は、過去だけのものではない。敷地を囲む竹垣は毎年、三百年以上続く修復行事「壁結(かべゆい)」によって新しくされる。これを残すのは北部九州でここだけとされる。約三十六代にわたり一つの地を守ってきた家は、絶えず直し、調え続けることでそれを成した。秤蔵は、その長い営みの一片である。屋敷は私邸であり、定期的な公開はない。

Q&A

Q床材が万延二年(一八六一)なのに、なぜ明治の建物とされるのですか。
A一八六一年の墨書は床材にありますが、古い家相図との照合から、蔵は明治後期に現在地へ移され改造されたと推定されます。そのため現在の姿は明治後期のものと考えられています。
Q家相図とは何ですか。
A家相の考えにもとづく屋敷の間取り図です。ここでは、建物がいつ移されたかを推定する手がかりになりました。
Q現在は何に使われていますか。
A現在は車庫などに用いられています。用途の変化もまた、屋敷の成り立ちを示す一助となっています。
Q見学できますか。
A屋敷は私邸で、定期的な一般公開はありません。外観見学は事前にうきは市教育委員会へ相談してください。

基本情報

名称楠森河北家住宅秤蔵
所在地福岡県うきは市浮羽町山北2056
指定区分登録有形文化財(建造物)
登録年月日2004年3月2日(告示3月29日)/第41回/登録番号 40-0035
登録基準国土の歴史的景観に寄与しているもの
員数1棟
構造及び形式木造平屋建、瓦葺、建築面積45㎡(桁行約7m)
年代明治後期(床材に万延2年/1861の墨書。のちに移築・改造と推定)
公開状況一般公開なし(うきは市教育委員会へ要問合せ)

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース — 楠森河北家住宅秤蔵
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00004085
うきは観光サイト UKIHA love — 楠森河北家住宅
https://ukihalove.jp/contents/kawakitamichiakiseika/
楠森堂 — 楠森河北家住宅について
https://kusumoridou.com/about/kawakitake/
うきは市 — 楠森河北家住宅(国の登録有形文化財)
https://www.city.ukiha.fukuoka.jp/kiji0035114/index.html

最終更新日: 2026.07.04