二つの墨書が示す建築の段階

北半分の棟木には文化九年(一八一二)、南半分の柱には安政四年(一八五七)の墨書が残る。四十五年の隔たりをもつこの二つの記録が、一棟の土蔵が米蔵と器蔵という二つの部分から成り立つ経緯を示している。北側の米蔵が先に建ち、のちに南側へ器蔵が増築されて現在の姿となった。福岡県うきは市浮羽町山北、河北家の屋敷内に建つ登録有形文化財の一棟である。

屋号「楠森」を名のる河北家は、この地で八百年余、三十六代を数えるとされる旧家で、江戸期には豪農として知られた。屋敷を構成する八棟が平成十六年(二〇〇四)に国の登録有形文化財となり、米蔵・器蔵もその一つに数えられる。

登録の理由と価値

南北棟の切妻造、桟瓦葺、二階建の土蔵で、外壁は漆喰塗、腰を縦板張とする。一見すると整った一棟だが、南北で窓や庇のつくり、その位置に違いがあり、建築時期の差がそこに読み取れる。増築の継ぎ目が意匠の上に残されている点が、この建物の見どころとなる。

登録有形文化財は、平成八年の文化財保護法改正で設けられた制度で、築後およそ五十年を経た建造物のうち保存の価値が認められるものを対象とする。米蔵・器蔵は「造形の規範となっているもの」の基準により登録された。農家の収蔵施設が需要に応じて段階的に規模を広げていった過程を、明快な形で示す好例である。

見どころ

米蔵は豪農の家における経済の中枢であり、この建物の簡素なつくりはむしろ機能に徹した結果といえる。厚い土壁は庫内の温度を保ち、火や虫害から収穫や漆器・什器を守った。腰の縦板張は、雨の跳ね返りを受け止めて上部の漆喰を保護する役割を担う。北と南で微妙に異なる窓の高さを見比べれば、二時期の仕事の違いが実感できる。

屋敷は私邸であり、常時の一般公開は行われていない。外観の見学を希望する場合は事前にうきは市へ問い合わせるのがよい。近くには日本名水百選の清水湧水があり、屋敷内に巡らされた水路には初夏になると蛍が舞う。

Q&A

Qなぜ一棟に米蔵・器蔵と二つの名があるのですか。
A北半分の米蔵が文化九年(一八一二)に建ち、南半分の器蔵が安政四年(一八五七)に増築されたためです。現在は一つの屋根の下にありますが、四十五年を隔てて建てられたため、南北で意匠に差があります。
Q土蔵とはどのような建物ですか。
A木の骨組みを厚い土壁で覆い、多くは漆喰で仕上げた収蔵用の建物です。火・湿気・虫に強く、米や貴重品の保管に適していました。
Q内部を見学できますか。
Aできません。屋敷は私邸で、定期的な一般公開はありません。外観見学は事前にうきは市教育委員会へ相談してください。
Q墨書とは何ですか。
A部材に墨で書き記された文字で、建立や修理の年号が判明する手がかりになります。この建物では棟木と柱の墨書から二時期の建築年代が確かめられました。

基本情報

名称楠森河北家住宅米蔵・器蔵
所在地福岡県うきは市浮羽町山北2056
指定区分登録有形文化財(建造物)
登録年月日2004年3月2日(告示3月29日)/第41回/登録番号 40-0037
登録基準造形の規範となっているもの
員数1棟
構造及び形式土蔵造2階建、瓦葺、建築面積45㎡
年代江戸時代(米蔵=文化9年/1812、器蔵=安政4年/1857増築)
公開状況一般公開なし(うきは市教育委員会へ要問合せ)

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース — 楠森河北家住宅米蔵・器蔵
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00004087
文化遺産オンライン — 楠森河北家住宅米蔵・器蔵
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/117167
うきは観光サイト UKIHA love — 楠森河北家住宅
https://ukihalove.jp/contents/kawakitamichiakiseika/
うきは市 — 楠森河北家住宅(国の登録有形文化財)
https://www.city.ukiha.fukuoka.jp/kiji0035114/index.html

最終更新日: 2026.07.04