エドウィン・ダン記念館:北海道酪農の源流を映す明治の木造事務所
札幌市南区、地下鉄南北線の終点・真駒内駅から南東へ15分ほど歩くと、深い緑の公園のなかに薄いピンクの下見板張りの平屋が見えてくる。旧北海道庁真駒内種畜場事務所、現在のエドウィン・ダン記念館である。明治20年(1887年)に農商務省所管の真駒内種畜場の事務所として建てられ、平成12年(2000年)9月26日に国の登録有形文化財として登録された。
木造平屋建、鉄板葺、建築面積は231平方メートル。下見板張りに緑の寄棟屋根、正面中央には切妻造の玄関と屋根窓を構え、背後には両側面ベランダ付きの部屋が増設されている。設計は農商務省北海道事業管理局。フロンティアの末端に持ち込まれた、慎ましい洋風建築である。
北海道酪農の礎を築いたアメリカ人
エドウィン・ダンは1848年、アメリカ・オハイオ州チリコシーの広大な農地を持つ家に生まれた。25歳の明治6年(1873年)、開拓使の招聘で来日。牛や羊を引き連れての赴任だった。東京・麻布の第三官園や函館郊外の七重官園を経て、北海道の中心地・札幌の南へと送られる。七重では後に妻となるツルと出会っている。
明治9年(1876年)、ダンの選定により開拓使真駒内牧牛場が開かれた。乳牛の導入、豚や馬の繁殖、バターやチーズ、練乳、ハム、ソーセージといった加工技術の指導など、北海道の畜産は文字通りここから始まった。明治12年(1879年)には飼養頭数の増加に伴う水不足を解消するため、真駒内川から約4キロにわたる用水路の掘削を指揮。この水路は今も真駒内の街を流れ、住宅街の緑道として歩く人を見守っている。
開拓使が廃止された明治15年(1882年)、ダンは翌年に一度帰国。だが翌明治17年(1884年)、今度は駐日米国公使館の二等書記官として再来日した。明治26年(1893年)には全権公使に昇進し、日清戦争では北京駐在公使と協力して和平交渉に貢献。退官後は新潟の石油事業や三菱会社のサルベージ事業にも携わり、昭和6年(1931年)、東京・代々木の自宅で82年の生涯を閉じた。日本の土を踏み続けた人生だった。
名前の主が一度も使っていない建物
静かな逆説がある。この建物は明治20年(1887年)の竣工。ダンが米国に帰国した4年後である。当時の真駒内は、廃止された開拓使から農商務省へと所管が移り、施設は「真駒内種畜場」と改称されていた。設計を担当したのも農商務省北海道事業管理局であって、開拓使の手は離れている。つまり、エドウィン・ダンその人がこの事務所で執務した記録はない。
それでも、この建物がダンと切り離せないのは、ダンが明治9年に拓いた牧場の系譜のなかにあるからだ。真駒内種畜場は明治26年に北海道庁種畜場、昭和11年(1936年)には北海道農事試験場畜産部と名を変えながら、米軍に接収される昭和21年(1946年)までの70年間、北海道の酪農・畜産技術研究の拠点であり続けた。事務所もまた、その変遷の中心にあった。
接収後、種畜場機能は十勝の新得町へ移転し、本来であれば事務所も解体される運命にあった。これを惜しんだのが「エドウィン・ダン顕彰会」(現・ダンと町村記念事業協会)である。昭和39年(1964年)、建物の一部を1.5キロほど南の真駒内中央公園(現在のエドウィン・ダン記念公園)に移築し、ダンの業績を伝える記念館として開館した。
登録の理由と建築の特質
登録基準は「造形の規範となっているもの」。明治期の北海道に建てられた洋風官庁建築のなかでも、農業・畜産行政の拠点としての性格をはっきり残す数少ない遺構である。札幌時計台や旧札幌農学校関連の建物群と並んで、北海道の近代化を実物で語る一群に位置づけられる。
平成19年(2007年)には経済産業省が認定する近代化産業遺産にも選ばれ、サッポロビール博物館などとともに、北海道の第一次産業の発展を実物で示す建築遺産のひとつに位置づけられた。同年には第13回札幌市都市景観賞も受賞している。
建物自体の改修も繰り返されてきた。平成14年(2002年)の大規模改修を経て平成15年5月に再開館。下見板張りの外壁は淡いピンクに塗り直され、寄棟の屋根は緑の鉄板で葺かれている。深い緑の樹々を背景に立つ姿は、明治の北海道行政が描いた洋風建築のひとつの完成形と言ってよい。
館内:23点の油絵が語るダンの生涯
建物内部はそれほど広くはない。ざっと見れば15分で歩き終わる規模だが、展示の中心となるのは北海道出身の洋画家・一木万寿三が5年をかけて制作した23点の油絵である。ダンの回想録をもとに、オハイオ州を発つ青年期から東京の晩年に至るまでが、物語の場面のように描かれている。一枚一枚に詳しい解説が添えられ、絵本や紙芝居のように読み進められる。
奥の部屋には真駒内種畜場の精巧な模型がある。事務所、牛舎、めん羊舎、乳製品加工棟、飼料畑が広大な敷地に配置された往年の姿を、立体で確認できる。この部屋からは、建物両側に張り出すベランダが窓越しに見える。文化財解説に明記された特徴のひとつで、外光を取り入れながら室内と外との緩衝帯をつくる、明治期洋風建築の常套手段である。
ほかにも、かつて広い牧羊場の空に時を告げていた時鐘や、当時の貴重な写真パネル、ダンゆかりの遺品が並ぶ。展示の後半には、昭和47年の札幌オリンピック以降の真駒内の変貌を伝える写真群もあり、近代農業の中心地が冬季五輪の舞台へと変わっていった経緯まで追える。
公園、銅像、そして「オンコ桜」
記念館を出ると、敷地を囲むエドウィン・ダン記念公園が広がっている。面積は約2万4000平方メートル。南北に長く、中央を真駒内用水が流れ、池ではマガモなどの水鳥が羽を休めている。
公園中央付近には、ヘレフォード牛を従え、めん羊を肩に乗せたエドウィン・ダンの銅像が立つ。彫刻家・峯孝の制作で、昭和39年の記念館開館に合わせて完成した。六面のレリーフを配した台座には、農機具を扱う農夫や馬など開拓期の場面が刻まれており、像の周囲を歩きながら細部を読み込むのも楽しい。
記念館のすぐ脇に、地元で「オンコ桜」と呼ばれる珍しい合体木がある。もとは旧事務所の玄関前にあったイチイ(オンコ)の木で、移築の際にここへ移植された。やがてその幹から自然にサクラの枝が伸び、毎年春には濃緑の針葉の間から淡紅の花が咲くようになった。文化財そのものではないが、建物の移転史を木として語り続ける存在である。
アクセスと周辺の見どころ
札幌中心部からは地下鉄南北線で約20分、終点の真駒内駅で下車。そこから記念館までは徒歩で15分ほどだ。住宅街を抜けるルートの途中で、平成13年に第10回札幌市都市景観賞を受賞した真駒内用水の水路に出会う。これがそのままダン記念公園の入口へとつながっている。
記念館から北へ600メートルほどの真駒内公園は、昭和47年の札幌冬季オリンピックの主会場として整備された場所である。屋内のアイスアリーナと屋外の競技場があり、開会式とフィギュアスケートが行われた。今は桜の名所としても知られ、5月のエゾヤマザクラの時期には花見客で賑わう。豊平川と真駒内川の合流付近にある豊平川さけ科学館も、徒歩圏内で立ち寄れる施設のひとつだ。
記念館自体に駐車場は用意されていない。徒歩か自転車で訪れるのが現実的で、入館料は通年無料である。冬期は開館日が限られるため、訪問前に開館日を確認したい。
Q&A
- この建物でエドウィン・ダンは実際に仕事をしていたのですか?
- していません。建物が竣工した明治20年(1887年)の時点で、ダンはすでに米国に帰国していました。翌年に外交官として再来日し、その後北海道を訪れる機会はありましたが、ダンが牧畜技術の指導者として執務した「牧牛場の事務所」は別の建物(明治13年築)で、現存しません。本記念館はダンが拓いた真駒内牧牛場の系譜を継ぐ事務所として、その業績を伝える施設です。
- 開館日と料金を教えてください。
- 夏期(4月1日〜10月31日)は水曜以外の毎日、冬期(11月1日〜3月31日)は金・土・日のみの開館です。時間はいずれも9時30分から16時30分まで。年末年始は休館。入館は無料です。
- 見学にどれくらい時間がかかりますか?
- 館内を通り抜けるだけなら15分ほどですが、油絵23点の解説や、種畜場の模型、写真資料を一つひとつ丁寧に見ていくと1時間以上はかかります。公園も含めると2時間程度を見込んでおくとよいでしょう。
- 館内で写真を撮ってもよいですか?
- 個人利用の範囲であれば撮影は概ね可能ですが、油絵への直接のフラッシュ撮影は控えるのが望ましいです。商業利用や出版物への掲載を予定する場合は、事前に職員へ確認してください。
- 周辺で食事や休憩できる場所はありますか?
- 記念館から徒歩数分の範囲にラーメン店や蕎麦店があります。北側の真駒内公園は広い芝生があり、暖かい季節にはお弁当を持って訪れる人も多いです。コンビニエンスストアは真駒内駅周辺に集中しています。
基本情報
| 名称 | エドウィン・ダン記念館(旧北海道庁真駒内種畜場事務所) |
|---|---|
| ふりがな | えどうぃん・だんきねんかん(きゅうほっかいどうちょうまこまないしゅちくじょうじむしょ) |
| 所在地 | 北海道札幌市南区真駒内泉町1-6-1 |
| 所有者 | 札幌市 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物) |
| 登録年月日 | 平成12年(2000年)9月26日 |
| 登録番号 | 01-0027 |
| 登録基準 | 造形の規範となっているもの |
| 時代 | 明治(明治20年/1887年築、昭和39年/1964年移築) |
| 設計 | 農商務省北海道事業管理局 |
| 員数 | 1棟 |
| 構造及び形式等 | 木造平屋建、鉄板葺、建築面積231㎡ |
| その他 | 近代化産業遺産(平成19年認定)、第13回札幌市都市景観賞(平成19年受賞) |
| 開館時間 | 夏期(4月1日〜10月31日):9:30〜16:30、水曜休館/冬期(11月1日〜3月31日):金・土・日のみ開館、9:30〜16:30、年末年始休館 |
| 入館料 | 無料 |
| 電話 | 011-581-5064 |
| アクセス | 札幌市営地下鉄南北線 真駒内駅から徒歩約15分 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00001841
- 文化遺産オンライン エドウィン・ダン記念館(旧北海道庁真駒内種畜場事務所)
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/139111
- 札幌市南区役所 エドウィン・ダン記念館
- https://www.city.sapporo.jp/minami/doboku/edwindun.html
- 札幌市 れきけん×ぽろたび エドウィン・ダン記念館
- https://www.city.sapporo.jp/keikaku/keikan/rekiken/buildings/building45.html
- ようこそさっぽろ エドウィン・ダン記念館
- https://www.sapporo.travel/spot/facility/edwin_dun_memorial_museum/
最終更新日: 2026.05.16