ロイ・スミス館本館(旧大谷家住宅主屋)──六甲山麓に佇むスパニッシュ様式の昭和邸宅
神戸市灘区、六甲山の南麓のなだらかな斜面に、昭和10年(1935年)に竣工した一棟の優美な洋館が静かに佇んでいます。ロイ・スミス館本館(旧大谷家住宅主屋)は、もとは兵庫の貿易商の邸宅として建てられた建物ですが、1960年に神戸大学で半世紀以上にわたって教鞭を執ったアメリカ人教授ロイ・スミス先生のために、教え子たちが買い取って寄贈したことから、その名で広く知られるようになりました。現在は国の登録有形文化財に指定され、大正末から昭和初期にかけて阪神間で花開いたスパニッシュ様式住宅建築の貴重な遺構として、近代建築史のうえでも高く評価されています。
歴史的背景
本建物は、昭和10年(1935年)に貿易商・大谷茂氏の邸宅として竣工しました。大谷家は明治期に琉球の百合根貿易で財を成したJ・J・ジャーメンの末裔と伝えられる富裕な家系で、建設地は当時、神戸の中でもとりわけ憧れの住宅地として知られた灘区篠原の高台に位置しています。この一帯は明治後期から、神戸の実業家や貿易商、また少なからぬ外国人居留者によって、洋風の邸宅が次々と建てられた地域でもありました。
設計を担当したのは、阪神間で活躍した昭和初期の代表的建築家・清水栄二氏です。清水氏は本建物のほか、東灘区に残る御影公会堂や甲南漬資料館の設計でも知られ、阪神間モダニズムを語るうえで欠かせない人物の一人とされています。大谷邸においても、当時阪神間で流行していたスパニッシュ様式の意匠を巧みに採り入れ、地域の雰囲気にふさわしい上質な住宅をかたちづくりました。
本建物の物語が新たな展開を迎えたのは、1960年(昭和35年)のことです。この年、明治・大正・昭和の三代にわたり旧制神戸高等商業学校から神戸大学に至るまで半世紀以上を教鞭に捧げてきたアメリカ人教師ロイ・スミス先生に、その教え子たちが感謝の意を込めて旧大谷家住宅を購入。財団法人神戸大学六甲台後援会名義で取得し、同年11月21日に「ロイ・スミス館(THE ROY SMITH HOUSE)」と命名されました。スミス先生は1968年に退官帰国するまでの約8年間をこの邸宅で過ごし、以後、現在に至るまで後援会によって大切に維持管理されてきました。文化財登録上は、戦後の1946年から1965年にかけて、また2007年にも改修工事が記録されています。
文化財に指定された理由
ロイ・スミス館本館は、2011年(平成23年)10月28日に国の登録有形文化財(建造物)として登録されました。その理由はいくつかあります。
第一に、この建物は阪神間モダニズムを象徴するスパニッシュ様式住宅の貴重な現存例であることが挙げられます。1995年の阪神・淡路大震災では、同種の邸宅建築の多くが倒壊あるいは大きな損傷を受けており、現存する建物の歴史的価値はますます高まっています。第二に、丸瓦のスパニッシュ瓦、ハーフティンバー、三連窓といった当時の意匠を非常によく残し、内部にもタイルやステインドグラスが要所に配されるなど、昭和初期のモダンな感覚をきわめて明瞭に伝えています。第三に、清水栄二という確かな設計者の手による作品であり、車庫・門・庭園と一体となって屋敷構えがほぼ当初のかたちで残されている点も、建築的完成度の高さを物語っています。さらに、戦前から戦後にかけて神戸大学で長く教えた外国人教授ロイ・スミス先生の旧邸宅という、神戸ならではの国際色豊かな文化的意義もこの建物の価値を支えています。
建築の見どころ
本館は木造二階建、寄棟造で、建築面積は420㎡に及びます。外観は、大正末から昭和初期に神戸・芦屋一帯で流行したスパニッシュ・リバイバル様式の代表作の一つといってよいものです。屋根には特徴的な丸瓦のスパニッシュ瓦が葺かれ、壁面には漆喰のなめらかな仕上げ、ハーフティンバーの装飾、三連のアーチ窓などが組み合わされて、温かみのある南欧風の表情を生み出しています。玄関上部の開口部は、日本の伝統建築を思わせる真壁造風の仕上げで処理されており、洋と和が静かに対話する独特の意匠となっています。
内部の間取りは洋風生活を前提として整えられていますが、各所に配されたタイルやステインドグラスが、昭和初期のモダニズムの楽天的で洗練された空気感を伝えています。緻密な造作と上品な比例感をもつ室内は、戦間期の日本住宅建築を学ぶうえでも重要な参考例となっていますが、現在は一般公開されていません。
敷地全体としても、本館単体ではなく一連の屋敷構えとして価値が認められています。敷地北東隅には、本館と色彩・素材を揃えて建てられたロイ・スミス館車庫(旧大谷家住宅車庫)が別個に登録有形文化財となっており、門や庭園とあわせて、清水栄二氏が当初構想した格調ある住宅景観をいまに伝えています。
訪問にあたって
本建物は財団法人神戸大学六甲台後援会が管理する私有財産であり、原則として一般には公開されていません。訪問の際には、建物および周辺住宅地の静謐な雰囲気を尊重し、敷地内に立ち入らず、外観を公道から眺めるにとどめてください。
所在地は阪急神戸線・六甲駅から坂道を北に登った位置にあり、駅から徒歩でも十分に行ける距離です。JR神戸線をご利用の方は六甲道駅で下車し、徒歩または市バスで六甲山麓へ向かうとよいでしょう。いずれの駅からも、緑豊かな篠原の住宅地を歩く道のりは、二十世紀初頭からの邸宅や閑静な並木道が続く、散策そのものが楽しい時間となります。
周辺情報
ロイ・スミス館の周辺には、近代日本建築や神戸の国際的な歴史に関心のある旅行者にとって魅力的な見どころが点在しています。山手側を少し下れば、湊川神社や神戸大学の歴史あるキャンパスが広がっており、そこには同じく国の登録有形文化財に指定されている神戸大学本館や兼松記念館が、20世紀初頭の高等教育建築の重要な遺構として現存しています。海側へ少し足を伸ばせば、日本でもっとも有名な異人館街として知られる北野異人館街にたどり着き、十数棟の旧外国人邸宅が一般公開されています。設計者・清水栄二氏の他の作品をたどりたい方には、東灘区に残る御影公会堂を訪ねる楽しみもあります。さらに、六甲山そのものをケーブルカーやロープウェイで登れば、大阪湾を一望する大パノラマと、この地を長く愛されたものにしてきた緑豊かな山並みを存分に味わうことができます。
Q&A
- ロイ・スミス館本館の内部は見学できますか?
- いいえ、本建物は財団法人神戸大学六甲台後援会が管理する私有財産で、原則として一般公開はされていません。外観のみ、公道からご覧いただくことができます。周辺は閑静な住宅地ですので、静かにお楽しみください。
- ロイ・スミス先生とはどのような人物だったのですか?
- ロイ・スミス先生(1878〜1969)はアメリカ・イリノイ州生まれの教育者で、1909年に旧制神戸高等商業学校(現在の神戸大学)に赴任し、半世紀以上にわたって教鞭を執りました。1968年に89歳で退官し、神戸大学最初の外国人名誉教授となった人物です。
- もとは大谷家の住宅だったのに、なぜ「ロイ・スミス館」と呼ばれているのですか?
- 本建物は1935年に貿易商・大谷茂氏の邸宅として竣工しましたが、1960年にロイ・スミス先生の教え子たちが恩師のために邸宅を買い取り、「ロイ・スミス館」と命名して寄贈したことに由来します。スミス先生はこの邸宅で1968年の退官帰国まで過ごされました。
- 建物はどのような様式の建築ですか?
- 大正末から昭和初期にかけて阪神間で流行したスパニッシュ・リバイバル様式の住宅建築です。丸瓦のスパニッシュ瓦、ハーフティンバーの装飾、三連のアーチ窓、内部のタイルやステインドグラスといった意匠に、その特徴がよくあらわれています。
- アクセス方法を教えてください。
- 阪急神戸線・六甲駅から坂道を北に上がった、神戸市灘区の閑静な住宅地内にあります。徒歩で十分にアクセスできます。JR神戸線をご利用の場合は六甲道駅で下車し、徒歩または市バスで六甲山麓へお向かいください。
基本情報
| 名称 | ロイ・スミス館本館(旧大谷家住宅主屋) |
|---|---|
| 所在地 | 兵庫県神戸市灘区篠原北町4-4-13他 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物)/登録年月日:2011年10月28日 |
| 所有者 | 財団法人神戸大学六甲台後援会 |
| 当初施主 | 大谷茂氏(貿易商) |
| 設計 | 清水栄二 |
| 竣工年 | 1935年(昭和10年)/改修:1946〜1965年、2007年 |
| 構造 | 木造二階建、瓦葺、寄棟造、建築面積420㎡ |
| 建築様式 | スパニッシュ・リバイバル様式(ハーフティンバー、三連窓、内部にタイル・ステインドグラス) |
| 公開状況 | 非公開(外観のみ公道から見学可) |
| 最寄駅 | 阪急神戸線・六甲駅/JR神戸線・六甲道駅 |
参考文献
- ロイ・スミス館本館(旧大谷家住宅主屋)|文化遺産オンライン
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/246150
- ロイ・スミス館車庫(旧大谷家住宅車庫)|文化遺産オンライン
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/198691
- 国指定文化財等データベース|文化庁
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00009050
- 灘百選・建物③|神戸市灘区役所
- https://www.city.kobe.lg.jp/c63604/kuyakusho/nadaku/shokai/miryoku/hyakusen/hyakusennokaitatemono3.html
- 第30回 神戸大学コラム ロイ・スミス館|Pochitto神戸
- http://www.pochitto-nishisuzu.com/page/kobeuniv/30.php
- ロイ・スミス館(旧大谷家住宅)|神戸の観光・散策・さんぽ
- http://kobe.peach21.org/roy-smith.html
最終更新日: 2026.04.23