ひとつ屋根の下にある二軒の家

塙家住宅は、茨城県笠間市安居にある江戸時代後期の民家2棟で、昭和51年(1976年)2月3日に重要文化財に指定された。

指定名称には「(茨城県西茨城郡岩間町)」という括弧が付く。指定当時の自治体名がそのまま残っているためで、岩間町は平成18年(2006年)に合併して笠間市の一部となった。現在の住所は笠間市安居2009番地である。

指定は2棟からなる。主屋は桁行13.5メートル、梁間9.3メートルで、年代は18世紀中頃。その脇に建つ土間は桁行13.2メートル、梁間6.7メートル、妻入で、江戸後期(1751年から1829年)とされる。いずれも寄棟造茅葺である。

塙家は普通の農家ではない。笠間市によれば、関ヶ原の役の後、慶長7年(1602年)に秋田家が秋田から宍戸へ移った際、納戸役として随伴したのが始まりと伝えられる。正保2年(1645年)に秋田家が三春へ再び転じたとき、塙家は当地に留まって帰農し、以後代々割元名主を務めた。割元名主は複数の村を束ねる立場である。住宅の規模と構成は、その身分に見合っている。

塙家住宅が指定された理由

道から塙家住宅を眺めると、東日本に広く見られる曲屋、つまり茅葺の屋根が一続きに折れ曲がった民家に見える。この見立ては誤りで、その訂正こそが重要文化財に指定された理由にあたる。

この建物はもともと分棟型だった。土間の部分と床上の部分が、隣り合った別々の建物として建てられている形式である。屋根が一連に葺かれて今の姿になったのは後のことだ。文化庁は塙家住宅について、関東地方の分棟型民家のなかで土間部と床上部が同時期に建てられた唯一の遺例だと記している。あとから片方を継ぎ足したのではない、という点が効いている。

根拠は骨組みにある。笠間市は二か所を挙げている。ひとつは土間境に並ぶ柱列と、その上の小屋組。二棟分の構えがそのまま残っている。もうひとつは釜屋、すなわち土間側の建物の叉首材の上端で、そこには自前の屋根を受けるはずだった母屋桁の仕口が使われないまま残っている。二棟の間はもともと大樋の架かる位置で、巨木をくりぬいた樋が双方の屋根から落ちる雨をまとめて流していた。

分棟型は黒潮の流れる暖かい沿岸部に多い形式とされる。それが内陸の茨城県中部に現れることは、素直に考えれば意外である。なぜこの形が伝わったのかは、まだ決着がついていない。

現地で見るべきところ

二つの屋根が出会う場所に立ってみたい。谷になった部分が論の継ぎ目であり、屋内に入らずとも接合を読み取れる唯一の場所である。ここに据えられた大樋は、分棟型の家がみずから抱え込んだ問題への実務的な答えだった。隣り合う斜面から落ちる大量の雨水が、ごく狭い隙間に集まってくるからだ。笠間市は「接合部の大雨樋」と題した写真を公開している。

次に寸法の比を見る。主屋は桁行13.5メートル・梁間9.3メートル、土間は桁行13.2メートルと長さこそ近いが梁間は6.7メートルしかなく、しかも妻側から入る。奥行きも入口の向きも建てられた時期も違う二つの構造体が、一枚の茅葺の下に並んでいる。そう気づいた瞬間から、曲屋に見えていた輪郭は別のものに変わる。

茅葺そのものもゆっくり見る価値がある。軒先の厚み、棟から軒へ向かう色の移り、葺き替えられて色の異なる部分。この規模の屋根は放っておいて保つものではないから、塙家住宅がどう手入れされているかが表面に出る。周囲の田が裸になる冬から早春は、道から屋根の全体を見通しやすい季節である。

塙家住宅の見学方法

塙家住宅は個人の所有で、所有者が生活する敷地に建っている。公開日・公開時間・拝観料は笠間市も文化庁も公表していない。事前に手配のない限り、外観を見る物件と考えておくのが妥当である。内部を見たい場合は、出発前に笠間市教育委員会生涯学習課(電話0296-77-1101)へ問い合わせてほしい。

建物は旧岩間地区の南寄り、田の広がるなかにある。最寄り駅はJR常磐線の岩間駅で、タクシーで約10分。現地を通るバス路線はない。車の場合、東京方面からは常磐自動車道の岩間インターチェンジまで約90分、そこから一般道を少し走る。

公道から外観を撮影する分には問題ない。敷地内へ踏み込んだ撮影や内部の撮影には所有者の承諾が要る。博物館ではなく住まいであることを前提に振る舞いたい。見学者用に整えられた駐車場も便所も解説員もないため、滞在は短くなる。笠間市内のほかの国指定文化財と組み合わせて回るのが現実的だろう。

Q&A

Q塙家住宅の内部は見学できますか?
A事前の手配なしには見学できません。個人所有の住宅で、公開日・時間・拝観料は公表されていません。訪問日に内部を見られるかどうかは、笠間市教育委員会生涯学習課(電話0296-77-1101)へお問い合わせください。
Q塙家住宅へは最寄り駅からどう行きますか?
AJR常磐線の岩間駅が最寄りで、タクシーで約10分です。現地を通るバス路線はないため、タクシーか車が必要です。
Q塙家住宅の名称に「岩間町」と入っているのはなぜですか?
A昭和51年(1976年)の指定当時の自治体名が、指定名称にそのまま残っているためです。西茨城郡岩間町は平成18年(2006年)に合併して笠間市となりましたが、指定名称は書き換えられていません。
Q塙家住宅はほかの茅葺民家と何が違うのですか?
A土間部と床上部を別々の2棟として建てた分棟型で、あとから屋根を一連に葺いた点が違います。文化庁は、関東地方の分棟型民家のうち両方が同時期のものは塙家住宅だけだとしています。
Q塙家住宅はいつ建てられたのですか?
A主屋は18世紀中頃とされます。土間は江戸後期、1751年から1829年の間に位置づけられています。両者は昭和51年(1976年)にまとめて重要文化財に指定されました。

基本情報

名称塙家住宅(茨城県西茨城郡岩間町)
所在地茨城県笠間市安居2009番地
指定区分重要文化財
指定年昭和51年(1976年)2月3日
員数2棟(主屋、土間)
寸法主屋 桁行13.5メートル・梁間9.3メートル/土間 桁行13.2メートル・梁間6.7メートル
所有者個人
公開状況公開日・拝観料の公表なし。事前に笠間市教育委員会へ確認しない限り外観のみの見学

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「塙家住宅(茨城県西茨城郡岩間町)主屋」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/257
文化庁 国指定文化財等データベース「塙家住宅(茨城県西茨城郡岩間町)土間」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/258
笠間市「国指定文化財[塙家住宅]」
https://www.city.kasama.lg.jp/page/page000221.html
文化遺産オンライン「塙家住宅(茨城県西茨城郡岩間町)主屋」
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/121267
茨城県教育委員会「塙家住宅」
https://kyoiku.pref.ibaraki.jp/bunkazai/kuni-17/

最終更新日: 2026.09.06

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