雙ヶ岡:京都の西に三つ並ぶ眺めの丘
京都盆地の西の縁に、三つの丘が南へ向かって背丈を下げながら一列に連なっている。最も北にある一の丘が標高約116メートルで最も高く、続く二の丘が約102メートル、三の丘が約78メートル。きれいに並んだその姿が「雙ヶ岡(ならびがおか)」という名の由来である。
所在は京都市右京区御室、仁和寺のすぐ南手にあたる。昭和16年(1941年)11月13日、国の名勝に指定された。名勝の指定基準のなかでも「展望地点」として登録されており、旧都を見渡す眺望の良さが評価されたものである。
天皇の遊猟地、大臣の山荘、そして隠者の丘
平安のころ、この丘は宮廷に近い場所だった。天皇や貴族が斜面や麓の野で狩りを行い、和歌に詠まれることも多く、古くからの歌枕として知られた。
東の麓に山荘を構えた人物がいる。承和4年(837年)に没した右大臣・清原夏野で、当時の人々から双岡大臣と呼ばれた。丘の東に建つ法金剛院は、その山荘の跡地と伝えられている。
雙ヶ岡の名がよく結び付けられるのは、『徒然草』の作者として知られる兼好法師である。十四世紀前半に成った『徒然草』は、自然や人事、芸術、無常などを題材にした243段の随筆を収め、『枕草子』『方丈記』と並ぶ三大随筆の一つに数えられる。兼好は晩年をこの丘の麓の庵で過ごしたと伝わる。ただし兼好の経歴については後世に整えられた部分が多いことが近年の研究で指摘されており、丘との結び付きは古くからの言い伝えとして受け止めるのがよい。東麓に設けられた遊歩道が「つれづれの道」と名付けられているのは、その書名にちなんだものである。
古墳が点在する丘
貴族たちが訪れるよりはるか前、雙ヶ岡は墓域だった。三つの丘には24基の古墳が分布し、双ヶ岡古墳群と総称される。築造は6世紀後半から7世紀前半にかけて。多くは直径10〜20メートルほどの円墳で、丘と丘の間の谷筋に集まっている。
そのなかで一基だけ規模が際立つ。一の丘の頂上近くにある1号墳で、直径約44メートル、高さ8メートル近くの円墳である。古墳群のなかで最大、かつ最も古く、6世紀後半の築造とみられる。昭和55年(1980年)の発掘調査で、両袖式の横穴式石室が確認された。玄室の長さはおよそ6メートル、開口部は南西を向く。調査では須恵器や土師器、鉄製品、金環、凝灰岩製の石棺の破片などが出土した。石積みの一部に崩落の危険があったため、石室は調査後に埋め戻されたが、南西側の低い位置に一部が露出している。
1号墳の大きさは、被葬者が相応の地位にあったことを示している。考古学では、太秦・嵯峨野一帯を開発した渡来系氏族・秦氏の首長の墓と考えられている。墳丘の前には清原夏野の名を刻んだ石碑が立つが、これは1号墳を夏野の墓とする古い言い伝えに基づくもの。発掘の成果はこの墳丘を夏野よりはるか以前のものと位置づけており、石碑はかつての伝承を残す記録として立っている。
開発の危機から、守られる風景へ
昭和16年の指定は眺望をたたえるものだったが、それだけで丘の姿が守られたわけではない。昭和39年(1964年)、雙ヶ岡の一部をホテル用地として売却する構想が持ち上がった。地元住民が反対運動を起こし、計画は取り下げられた。
この問題は京都だけのものではなかった。同じころ、鎌倉では鶴岡八幡宮裏山の宅地造成への反対運動が、奈良では若草山一帯の開発が、それぞれ危機感を呼んでいた。三つの市が連携して働きかけた結果、昭和41年(1966年)に「古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法」、いわゆる古都保存法が制定される。雙ヶ岡はこの法律に基づく歴史的風土特別保存地区に組み入れられ、丘での開発行為が規制されることになった。
丘は戦後、仁和寺の所有となっていた。昭和53年(1978年)に京都市が一部を公有化して散策路や広場の整備を始め、昭和61年(1986年)に一般へ開放された。
丘を歩き、頂から眺める
雙ヶ岡の登りは気負わずに楽しめる。東の麓から一の丘の頂までは短い時間で着くが、頂上近くには急な箇所もあり、下りは足元に気を配りたい。三つの丘には林の中の小道が巡り、歩きやすい場所にはベンチや説明板が置かれている。
登った先に待つのは一の丘の頂からの眺めである。1号墳のかたわらの小広場に立つと、足下に仁和寺の屋根と御室の家並みが広がり、西には嵯峨野や嵐山の山々が見える。途中の「とおみのひろば」と名付けられた一角からは、市街の向こうに比叡山を望む。日が暮れると、夜景を目当てに登ってくる人もいる。
東の斜面はもっと穏やかだ。「つれづれの道」沿いには桜などの花木が植えられ、芝生の広場が二つ設けられている。一つは花を眺めるための広場、もう一つは疎林の木漏れ日の下で過ごす広場で、どちらもゆっくりと時間を過ごすのに向いている。
雙ヶ岡の周辺
これほど多くの名所に囲まれた丘は京都でも珍しい。北側には、9世紀末の創建で世界遺産に登録された仁和寺が建ち、遅咲きの御室桜で知られる。少し先には石庭で名高い龍安寺がある。東には臨済宗の一派の大本山・妙心寺の広大な伽藍が広がる。花園駅に近い東麓には、夏に蓮の花が咲く法金剛院が静かにたたずむ。
丘に駐車場はない。多くの人は嵐電(京福電鉄)御室仁和寺駅から徒歩数分、あるいはJR花園駅から10分ほど歩いて訪れる。市バスの停留所も近くにある。
Q&A
- 頂上まで登るのにどのくらいかかりますか。
- 東の麓から一の丘の頂までは、ゆっくり歩いても15〜20分ほどです。丘自体は低いものの、頂上近くには急な区間があり、下りも含めて歩きやすい靴をおすすめします。
- 1号墳の石室の中に入れますか。
- 入れません。昭和55年の発掘調査の後、石積みの崩落を防ぐため石室は埋め戻されました。墳丘の南西側の低い位置に石室の一部が露出していますが、内部へ立ち入ることはできません。
- 入場料や開門時間はありますか。
- 雙ヶ岡は門のない開かれた丘で、入場料はかかりません。道に急な箇所があるため日中の訪問が安心で、駐車場がないので公共交通機関の利用が現実的です。
- 訪れるのに良い季節はいつですか。
- 春は東斜面の「つれづれの道」沿いに桜が咲き、秋は林の小道が色づきます。頂上の広場からの夜景を目当てに、夕方に登る地元の人も少なくありません。
- 兼好法師は本当にここに住んでいたのですか。
- 晩年の庵を丘の麓に置いたという言い伝えがあり、東麓の遊歩道もその著書にちなんで名付けられています。ただし兼好の経歴は近年の研究で見直されており、丘との関わりは確かな史実というより古くからの伝承として受け止めるのがよいでしょう。
基本情報
| 名称 | 雙ヶ岡(ならびがおか/双ヶ丘・双ヶ岡などとも表記) |
|---|---|
| 所在地 | 京都府京都市右京区御室雙岡町 |
| 指定区分 | 国指定名勝 |
| 指定年月日 | 昭和16年(1941年)11月13日 |
| 指定基準 | 十一.展望地点 |
| 各丘の標高 | 一の丘 約116メートル、二の丘 約102メートル、三の丘 約78メートル |
| 古墳群 | 双ヶ岡古墳群(6世紀後半〜7世紀前半、24基)。1号墳は直径約44メートルの円墳 |
| アクセス | 嵐電(京福電鉄)御室仁和寺駅から徒歩約2分、JR花園駅から徒歩約10分、市バス停留所も近接 |
| 公開状況 | 無料・門のない開かれた丘。駐車場なし |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース「雙ヶ岡」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/1698
- 京都市 文化市民局「雙ヶ岡」
- https://www.city.kyoto.lg.jp/bunshi/page/0000005651.html
- ウィキペディア「双ヶ丘」
- https://ja.wikipedia.org/wiki/双ヶ丘
- ウィキペディア「双ヶ岡1号墳」
- https://ja.wikipedia.org/wiki/双ヶ岡1号墳
- ウィキペディア「古都保存法」
- https://ja.wikipedia.org/wiki/古都保存法
最終更新日: 2026.05.22