もとは別の寺の門だった
九条通に面する東寺の南大門は、幅およそ18メートル、棟までの高さ約13メートルあり、東寺がもつ数多くの門のなかで最も大きい。寺の正面入口にあたる門でありながら、この建物はもともと東寺のために造られたものではない。慶長6年(1601年)、千体の観音像で知られる三十三間堂(蓮華王院)の西大門として建てられ、京都の東のはずれにおよそ三百年近く立っていた。それが解体され、この地に組み直された。
建立を担ったのは豊臣秀頼である。父の豊臣秀吉は16世紀末、三十三間堂を取り込む形で巨大な方広寺(大仏)の寺域を整えていた。秀頼は1600年代の初めにこの一帯へ門や塀を加えており、慶長6年に建てた西大門が、現在の東寺南大門にあたる。
移築は明治28年(1895年)に行われた。かつて方広寺があった土地に帝国京都博物館(現在の京都国立博物館)が建設されることになり、それに関連して門の移転が決まった。東寺は古くに南大門を火災で失っており、正面の門を欠いた状態が続いていた。余った門の移築は、双方の事情を同時に解決する方法でもあった。大工は門を解体し、材を京都の市内を横切って運び、現在の九条通沿いに組み直した。
重要文化財に指定された理由
南大門が国の重要文化財に指定されたのは、明治43年(1910年)8月29日のことである。評価の根拠は、この門が桃山時代の建築をよく残している点にある。桃山時代は秀吉とその周辺が活躍した短くも意欲的な時期で、建築では大きな規模と豪華な装飾が好まれた。
門の形式は三間一戸八脚門である。中央に通路を設け、その左右に間口をとり、四本の主柱に四本の控柱を添える、合わせて八本の柱で屋根を支える構造を指す。屋根は切妻造で、本瓦葺の正式な瓦屋根を載せる。各部の寸法はゆとりがあって重厚であり、豊臣家のもとで建てられた公的な建築に共通する特徴を備えている。
単なる構造の枠組みにとどまらないのが、装飾の彫刻である。梁と梁のあいだには蟇股(かえるまた)と呼ぶ部材が置かれる。蛙が脚を開いた姿に似ることからこの名がある。ここでは鳥や獣が浮き彫りで彫り込まれており、桃山期の工匠が寺院にも城郭にも用いた写実的で自由な意匠が見られる。この年代の門で当初の木組みを保つ例は少なく、それが国の保護を受けた理由の一つになっている。
見どころ
多くの来訪者は、足を止めずに門の下を通り過ぎていく。九条通から折れてくる歩行者や、ときに車も通る現役の入口を兼ねているためである。ここは立ち止まる価値がある。門の真下を抜けるのではなく、わきに寄って構造を見上げてみたい。
彫刻された蟇股は、近くで眺めると見応えがある。梁の間に組み込まれた鳥や獣は、象徴のためというより愛嬌のために置かれたもので、一つ一つが隣と異なる。太い柱が下の礎石とどう接するか、瓦屋根が妻側でどのように反るかにも目を向けたい。
門をくぐると、寺は北へ一直線に開ける。正面には金堂と講堂が並び、東には五重塔が立ち上がる。高さおよそ55メートルは木造の塔として日本で最も高く、通りすぎる列車からも市内の南側からもよく見える。南大門の下に立つことは、この寺が本来どの軸線に沿って参拝されるべく造られたかを確かめることでもある。
門の周辺
東寺は正式には教王護国寺といい、延暦15年(796年)、新しい都・平安京の南の入口を守る官寺として創建された。弘仁14年(823年)に嵯峨天皇から空海(弘法大師)に下賜され、真言密教の根本道場となった。平成6年(1994年)には「古都京都の文化財」の一つとしてユネスコの世界遺産に登録されている。
境内では、講堂に空海が構成した二十一体の仏像群が立体曼荼羅として安置されており、密教の教えを立体で示そうとした試みとして貴重である。五重塔は寛永21年(1644年)に将軍徳川家光によって再建されたもので、国宝に指定されている。西側の縁には鎌倉時代の蓮華門が立ち、これも国宝である。南大門・東大門・慶賀門・北大門はいずれも重要文化財にあたる。
毎月21日には、空海の命日にちなむ弘法市が開かれる。骨董や古道具、植木、食べ物を扱う露店が数百と並び、夜明け前から地元の人や旅行者で境内がにぎわう。東寺は京都駅から南西へ徒歩15分ほどで、市内の世界遺産のなかでも歩いて行きやすい場所にある。
Q&A
- 南大門は通り抜けできますか。
- できます。南大門は寺の正面入口として機能しており、歩行者に開かれています。門をくぐること自体や外側の境内を歩くのに料金はかかりません。拝観券が必要なのは堂内や庭園です。
- この門は本当に別の寺から移されたのですか。
- はい。慶長6年(1601年)に三十三間堂の西大門として建てられ、明治28年(1895年)に東寺へ移築されました。移築は、もとの境内に帝国京都博物館が建設された時期と重なります。
- 三十三間堂の南大門とどう違うのですか。
- 別の門です。どちらも豊臣秀頼が建てたため混同されがちです。三十三間堂に残る南大門は慶長5年(1600年)の建立で、東寺の門はその西大門にあたり、翌慶長6年(1601年)に建てられました。
- 訪れるのに適した時期はいつですか。
- 境内は一年を通して訪れやすい場所です。毎月21日には弘法市でにぎわい、3月下旬から4月初めには桜、11月には五重塔まわりの紅葉が見られます。
基本情報
| 名称 | 教王護国寺南大門(きょうおうごこくじなんだいもん) |
|---|---|
| 所在地 | 京都府京都市南区九条町 |
| 所有者 | 教王護国寺(東寺) |
| 指定区分 | 重要文化財(明治43年〈1910年〉8月29日指定) |
| 年代 | 慶長6年(1601年)建立/明治28年(1895年)に東寺へ移築 |
| 員数 | 1棟 |
| 構造及び形式 | 三間一戸八脚門、切妻造、本瓦葺 |
| 規模(概数) | 幅約18メートル、高さ約13メートル |
| アクセス | 京都駅から南西へ徒歩約15分 |
| 所在寺院 | 「古都京都の文化財」(1994年ユネスコ世界遺産)の構成資産 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/1841
- 世界遺産(世界文化遺産)教王護国寺(東寺)/京都府ホームページ
- https://www.pref.kyoto.jp/isan/kyouou.html
- 三十三間堂(蓮華王院)/ウィキペディア
- https://ja.wikipedia.org/wiki/三十三間堂
- 東寺/ウィキペディア
- https://ja.wikipedia.org/wiki/東寺
最終更新日: 2026.06.02