大正9年創業、稲わらの菌から始まった製造所
宮城野納豆製造所(みやぎのなっとうせいぞうしょ)は、宮城県仙台市宮城野区銀杏町にある納豆と納豆菌の製造所で、大正9年(1920年)に創業し、昭和9年(1934年)頃に現在地で建てられた工場の7棟が令和元年(2019年)9月10日に国の登録有形文化財となった。JR仙石線の陸前原ノ町駅に隣接する千坪余り(約3,500平方メートル)の敷地に、木造の工場棟と石蔵が寄り集まっている。
創業者の三浦二郎は、仙台市教育委員会の解説で、近代の科学的な納豆製造法の確立に寄与した人物として紹介されている。同社の説明では、三浦は現在の北海道大学で納豆菌を研究した半澤洵の教えを受け、大正10年(1921年)から自社の納豆菌づくりに取り組んだ。稲わらから採った菌を培養し、その系統を途切れさせずに現在まで使い続けているという。
大正の初めまで、納豆は稲わらの束に煮豆を包んで作るのが普通で、出来は安定しなかった。煮た大豆に純粋な納豆菌を付け、温度と空気の出入りを管理すれば、衛生的な納豆を量産できる。半澤の研究が示したその道筋を、町の工場の規模で実地に移したのが宮城野納豆製造所である。三浦が考案した、発酵の温度を調節できる室(むろ)は「三浦式醗酵室(文化室)」と呼ばれ、納豆の近代的な製法の確立に貢献したと評価されている。
同社の沿革によれば、若林区南小泉にあった時代の昭和3年(1928年)に、折箱入りの納豆が東北産業博覧会で銀賞を受けた。昭和9年に現在地へ移転。昭和11年(1936年)に刊行された半澤の『納豆製造法』増訂第3版の序には、三浦が自分の工場の写真を寄せたことへの謝辞が記されており、移って間もない新工場が研究者の目にも留まっていたことがうかがえる。
戦争のため昭和19年から27年(1944年〜1952年)まで製造は止まり、昭和28年(1953年)に再開した。2代目の三浦一夫が蒸気の圧力をかけて回す回転釜の開発に取り組み、昭和42年(1967年)にはプラスチック容器入りの販売を始める。すべて手作業だった工程の一部に機械を入れたのは平成15年(2003年)のことである。
7棟がまとめて登録された理由
令和元年に登録されたのは、納豆及び納豆菌製造棟、熟成棟、石蔵及び豆小屋、休憩室、ボイラー室、亜炭小屋、車庫の7棟である。登録番号は04-168から04-174まで続き、登録基準はいずれも「国土の歴史的景観に寄与しているもの」とされた。
この工場の文化財としての価値は、長く外に知られていなかった。敷地が塀で囲まれて中の様子がうかがいにくいうえ、平成17年(2005年)に刊行された宮城県の近代化遺産総合調査の報告書にも収められていない。転機は平成27年(2015年)で、建築士の安井妙子が工場棟群を調べて平面図を作った。価値を認めた3代目社長の三浦晴美は建物を保存して使い続けることを決め、屋根の葺き替えなどの営繕を重ねたうえで、敷地内のほぼすべての建物を登録へ申請する意向を示した。
文化庁の解説は、7棟それぞれについて「近代食品工場の構成」や「動力設備の様相」を伝える点を挙げている。原料を貯え、量り、煮て菌を植え、発酵させ、冷まして出荷する。その順序がそのまま建物の並びになっており、熱源のボイラーと燃料小屋、配送車の車庫、働く人の休憩室までが一つの敷地にそろって残る。一棟ずつではなく、まとまりで見たときに昭和初期の食品工場の姿が読み取れる。
建物が今も本来の用途に使われていることも見逃せない。調査に関わった安井は、創業以来変わらない方法で納豆と納豆菌を作り続けている点を、文化財としての大きな要素に挙げている。
敷地の配置と製造の流れ
7棟は、敷地の中央に南を向いて建つ納豆及び納豆菌製造棟を軸に配置されている。製造棟は切妻造平屋の東棟と寄棟造2階建の西棟が連なった建物で、事務所と住まいを兼ねる西棟の正面が工場の出入口になる。
工程の順にたどると、まず製造棟西棟の西側に石蔵及び豆小屋がある。地元産の秋保石を積んだ石蔵に大豆を貯え、背後に付く木造の豆小屋で量る。大豆は製造棟の東棟で煮られ、納豆菌を接種されて容器に詰められる。包まれた納豆はトロッコに載せられ、製造棟から熟成棟へ延びる軌道を通って発酵用の小部屋に運ばれる。熟成棟の北側は、発酵を終えた納豆を冷まして出荷する場所である。
工程を支える建物は東側に集まる。製造棟の東棟の東隣に休憩室が接続し、その南にボイラー室が続く。ボイラー室の煉瓦造の亜炭焚きボイラーは、大豆を煮る熱源などに使われた。燃料の亜炭は、さらに南東の敷地境に建つ亜炭小屋へ、道路側の搬入口から運び込まれた。製品を運ぶ配送車の車庫は、敷地の南西の隅に東を向いて建つ。
建てられた時期は二つに分かれる。製造棟・熟成棟・石蔵及び豆小屋は昭和9年頃、休憩室と車庫は昭和前期の建築で、ボイラー室と亜炭小屋は昭和25年(1950年)頃に加わった。
見学とアクセス
宮城野納豆製造所は操業中の民間の工場で、敷地と7棟の建物はいずれも一般に公開されていない。同社のウェブサイトに見学受け入れの案内は見当たらず、敷地は塀で囲まれているため、外から建物全体を見渡すことも難しい。工場の内部は、同社が公開している工場紹介のページと動画で見ることができる。
見学について分からないことがある場合は、仙台市教育委員会文化財課(電話022-214-8892)が問い合わせを受け付けている。同社の営業時間は午前9時から午後5時までで、日曜日が休業日、電話は022-256-7223である。
最寄り駅はJR仙石線の陸前原ノ町駅で、仙台駅から乗車6分ほど。製造所は駅に隣接しており、地上に出て数分で敷地の外周に着く。仙台市宮城野文化センターも隣り合っている。所在地は地番では銀杏町663ほか、郵便の宛先では銀杏町4-29と表記される。
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)― 宮城野納豆製造所納豆及び納豆菌製造棟
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00012860
- 国指定文化財等データベース(文化庁)― 宮城野納豆製造所熟成棟
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00012861
- 国指定文化財等データベース(文化庁)― 宮城野納豆製造所石蔵及び豆小屋
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00012862
- 国指定文化財等データベース(文化庁)― 宮城野納豆製造所休憩室
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00012863
- 国指定文化財等データベース(文化庁)― 宮城野納豆製造所ボイラー室
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00012864
- 国指定文化財等データベース(文化庁)― 宮城野納豆製造所亜炭小屋
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00012865
- 国指定文化財等データベース(文化庁)― 宮城野納豆製造所車庫
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00012866
- 仙台市の指定・登録文化財 ― 宮城野納豆製造所納豆及び納豆菌製造棟(仙台市教育委員会)
- https://www.sendai-c.ed.jp/~bunkazai/shiteidb/c03052.html
- 仙台市 仙台市の指定・登録文化財
- https://www.city.sendai.jp/bunkazai-kanri/kurashi/manabu/kyoiku/inkai/bunkazai/bunkazai/toroku.html
- 宮城野納豆製造所 宮城野納豆について(沿革)
- https://www.miyagino-nattou.com/about.html
- 宮城野納豆製造所 工場紹介
- https://www.miyagino-nattou.com/factory.html
- せんだいメディアテーク「まち・ひとスケープ」#17 宮城野納豆製造所を訪ねて
- https://www.smt.jp/projects/scape/2019/12/19.html
最終更新日: 2026.09.25
基本情報
| 名称 | 宮城野納豆製造所 |
|---|---|
| 所在地 | 宮城県仙台市宮城野区銀杏町663他 |
| 所有者 | 有限会社宮城野納豆製造所 |
| 指定 | 登録有形文化財 7件 |
| 座標 | 38.26472, 140.90896 |