坂井銘醸大正蔵 ― 酒造りの人々が暮らした「広敷」

千曲川の流れる長野県千曲市戸倉。旧北国街道に沿って白壁の蔵が一列に連なる一角に、坂井銘醸の屋敷がある。その奥に建つ二階建ての一棟が「大正蔵」である。蔵と名はつくが、米や仕込み中の酒を納めた建物ではない。大正の初め、おおむね一九一二年から一九二五年のあいだに建てられたこの棟は、酒を醸す人々が寝起きした場所であった。

国の登録原簿は、この建物を「広敷」と記す。冬ごとに蔵入りした杜氏や職方、奉公人らの宿泊・居住棟であり、造り酒屋の屋敷構えをかたちづくる主要な一棟に数えられている。

一軒の造り酒屋と、蔵が連なる屋敷

坂井家がこの下戸倉宿で酒を醸し始めてから、およそ四百年。家伝では創業を慶長元年(一五九六年)とする。酒造石高が増えるにつれて建物は一棟ずつ加えられ、蔵は建てられた年号にちなんで名づけられた。宝暦蔵、寛政蔵、慶応蔵、明治蔵、大正蔵、昭和蔵。並びそのものが、屋号の歩みを土壁に記した暦のようでもある。

大正蔵は、茅葺きの主屋の西方、年代の古い宝暦蔵の南側に接して建つ。西面は慶応蔵の釜場部分の東北隅に食い込むかたちでおさめられ、働く建物どうしが隙間なく組み合わされていた様子をいまに伝える。東西を棟とし、切妻造、桟瓦葺きの二階建てで、建築面積はおよそ一一六平方メートル。登録原簿の解説は構造を木造と記し、軸組に厚い土壁をまとう土蔵造の建て方をとる。

登録の理由と、その意味するもの

大正蔵が登録有形文化財となったのは平成十五年(二〇〇三年)一月三十一日、告示は同年二月のことである。これは国宝や重要文化財とは区分の異なる制度にあたる。登録有形文化財は、平成八年(一九九六年)に設けられた比較的ゆるやかな保護の仕組みで、いまも日々使われている建物の趣を残しながら、内部での暮らしや生業を続けられるように配慮されている。

大正蔵に付された登録基準は、国土の歴史的景観に寄与しているもの、という一点である。その価値は、ひとつの意匠の見事さよりも、全体が欠けなく揃っていることにある。坂井家の建物は一括して登録され、居住の棟、仕込みの蔵、釜場、麹室がひとそろいで残った。働きと働く人の配置までも、これほど明瞭にとどめる造り酒屋は多くない。

訪れて目を留めたいところ

蔵群は現在、「酒造コレクション」として公開されている。仕込み蔵の内部では、酒造りの道具を間近に見、梯子を上って大きな木桶をのぞき込み、洗米・蒸し・仕込み・しぼりへと続く工程をたどることができる。

展示には、思いがけない二つの出会いがある。昭和五十七年(一九八二年)、寛政蔵の二階から、江戸の俳人加舎白雄(一七三八〜一七九一)の資料が大量に見つかった。白雄は坂井家に長く逗留した人で、その翌年、日本で唯一の白雄の記念館がここに開かれた。画家の竹久夢二もこの地に滞在し、残した作品が敷地内の絵画館に掛かる。坂井銘醸の代表銘柄「夢二」は、その名にちなむ。

宝暦十年(一七六〇年)の大火ののちに再建された茅葺きの主屋は、いまは「萱(かや)」と名づけられた蕎麦処として整えられ、併設のカフェと売店では蔵元の全銘柄を試飲して求められる。駅前通りに続く長い白壁の前に立つとき、登録基準のいう「歴史的景観」の意味がもっとも素直に腑に落ちる。

戸倉のまわりで

酒蔵は戸倉駅から歩いてほどなく、千曲川沿いに広がる戸倉上山田温泉と同じ一帯にある。この谷あいは、日本遺産「月の都 千曲」の物語に属し、近くの姨捨に伝わる名高い月見の景にちなんでその名がある。温泉につかり、川辺を歩き、春には千曲一帯を彩るあんずの花を眺める。そうした旅と、酒蔵めぐりは自然に重なり合う。

Q&A

Q大正蔵の内部に入れますか。
A坂井銘醸は蔵を「酒造コレクション」として公開しており、登録された建物が展示室と街並みの双方をかたちづくっています。どの建物の内部を見られるかは時期によって変わることがあるため、訪問日に確かめるのが確実です。
Q居住の棟がなぜ「蔵」と呼ばれるのですか。
A坂井家は建てた年号にちなんで建物を名づけたため、この棟は大正蔵となりました。実際の役割は国の登録原簿に「広敷」と記され、酒造りの季節に杜氏や職方らが暮らした宿泊・居住の棟でした。
Q開館時間と入館料は。
A酒造コレクションはおおむね九時から十七時の開館で、年始に休館します。近年の案内では入館無料とされますが、やや古い案内には料金の記載もあるため、事前の確認をおすすめします。
Q行き方を教えてください。
Aしなの鉄道の戸倉駅が最寄りです。国道十八号の方へ歩いて数分、駅を出てまもなく茅葺きの主屋が目に入ります。
Qこれは国宝ですか。
Aいいえ。大正蔵は登録有形文化財です。平成八年に設けられた、現役で使われ続ける建物のための区分で、いまも町の暮らしを支える酒蔵にふさわしい位置づけといえます。

基本情報

名称坂井銘醸大正蔵(さかいめいじょうたいしょうぐら)
所在地長野県千曲市大字戸倉一八五五ノ一(〒389-0804)
指定区分登録有形文化財(建造物)/登録 平成十五年(二〇〇三年)一月三十一日、告示 同年二月二十六日(登録番号 20-0118)
登録基準国土の歴史的景観に寄与しているもの
員数一棟
構造土蔵造二階建、瓦葺、建築面積 約一一六平方メートル
年代大正初期(一九一二〜一九二五年)
所有者坂井銘醸株式会社
アクセスしなの鉄道 戸倉駅から徒歩約三〜五分
公開状況「酒造コレクション」として一般公開(おおむね九時〜十七時、年始休館)。入館料は近年無料との案内(事前確認を推奨)

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁):坂井銘醸大正蔵
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00003098
文化遺産オンライン(国立情報学研究所):坂井銘醸(主屋ほか)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/168402
日本遺産ポータルサイト「月の都 千曲」:坂井銘醸酒蔵
https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/culturalproperties/result/5052/
Go NAGANO 長野県公式観光サイト:酒造コレクション
https://db.go-nagano.net/topics_detail6/id=3400

最終更新日: 2026.06.21